【教員だった私が、自分の人生を取り戻すまで①】うつ病になって気づいた、私を苦しめていた正体
50歳目前で、26年間の教員生活を手放すことにした。
「もったいない」
「最大限に休職してから決めてもいいんじゃない?」
辞めると伝えると、みんなに止められた。
教員って、定年以外で辞める人がほとんどいないから。
教員は、幼い頃からの夢だった。
嫌いになって辞めるわけじゃない。
子どもたちと関わる仕事は、今でも好きだ。
それでも26年間、
生活のため。責任感。周りの目。
そういうものに縛られて、
辞めたいと思いながら辞められなかった。
そんな私が、なぜ踏み出せたのか。
その話を、正直に書こうと思う。
26年の教員生活で、2回うつ病になった。
1回目は2年間、休んだ。
「早く戻らなきゃ」
「迷惑かけてる」
休んでいる間も、ずっとそう思っていた。
自分が休んでいる間、誰かが私の分まで頑張っている。
そう思うと、ゆっくり休むことすら罪悪感だった。
私は戻った。
戻るしか選択肢がないと思っていたから。
復職後は学年主任も任され、
保護者や子どもたちからも信頼してもらえた。
自信もついた。やりがいも感じていた。
もう大丈夫だと思っていた。
でも転勤先で、また壊れた。
前の学校では、しんどい時に愚痴を聞いてくれる同僚がいた。
一緒に笑える仲間がいた。
それがどれだけ支えになっていたか、失って初めて気づいた。
転勤先では、誰にも頼れなかった。
抱えても抱えても、誰かと分かち合えない日々が続いた。
やがて、体が悲鳴を上げ始めた。
朝から吐き気が止まらない。
夜は寝付けない。
やっと眠れても夜中に何度も目が覚めて、朝方に力尽きたように覚醒する。
通勤の運転中、理由もなく涙が溢れてくる。
些細なことにイライラして、帰宅すると我が子に当たってしまう。
それでも朝になると、また車に乗った。
今度こそ限界だった。
職場だけじゃなかった。
家に帰っても、休まる場所がなかった。
夫も残業続きで、育児も家事もほぼ一人で抱えていた。
どこを向いても、誰かの要求が待っていた。
すべてが自分にナイフを向けているような、
切羽詰まった感覚が続いていた。
前の学校では、時間になれば帰れた。
お迎えにも、ちゃんと間に合っていた。
でも転勤後は違った。
トラブル対応が続いて、帰る時間が読めない。
時計を見るたびに焦りがこみ上げて、
パニックになりながら車を走らせた。
今思えば、よく事故を起こさなかったと思う。
そして学童に着くと、暗い部屋で息子がぽつんと待っていた。
一か所だけ明かりがついた部屋で、先生と二人。
胸が痛かった。
でも次の日も、その次の日も、また間に合わなかった。
不妊治療の末、あきらめかけた頃にやっと授かった子だった。
この子のためなら何でもできると思っていた。
この子の笑顔が、私の一番の宝だと思っていた。
なのに。
他の子どもたちのために頑張っているのに、
なんで一番大切な息子を悲しませてばかりいるんだろう。
習い事の送迎も間に合わず、泣く泣く休ませることが増えた。
帰宅してからも、余裕のない私は息子に笑顔を向けられなかった。
もう、限界だった。
「なんで一番大切な息子を悲しませてばかりいるんだろう」
ずっとそう思っていた。
でも、違った。
悲しんでいたのは、息子じゃなくて私だった。
「息子を大切にしたい」
「息子に笑顔でいてほしい」
「息子のそばにいたい」
その自分の気持ちを、私自身が踏みにじっていた。
頭を殴られたような衝撃だった。
その頃、職場でも追い打ちをかけるような出来事があった。
誰にも助けてもらえないという絶望感に打ちひしがれた。
なんで大事な息子まで犠牲にして頑張っているのに、
こんなにうまくいかないんだろう。
そう思ったら、すべてのことへの気力がなくなった。
うつ病と診断された。
1ヶ月休んで復帰した。
でも復帰2日目の朝、ベッドから一歩も動けなかった。
泣きながら学校に電話して、また休んだ。
私はもう何もできないダメな人間だ。
そう感じた。
自分を大切にしていなかったのは、
他でもない、自分だった。
その気づきが、私の中で静かに、でも確かに灯り始めた。
うつ病と診断されてからは、ただ毎日、息をして生きながらえていた。
一日中ベッドかソファで過ごした。
何もできない自分を、心の中でずっと罰し続けた。
消えてなくなりたい、と思うこともあった。
でも息子の顔を見ると、その思いを自制することができた。
そんな私に、夫と息子は何も変わらず接してくれた。
邪険にするでもなく、腫れ物に触れるでもなく、
ただ、いつもと同じように。
夫は残業をやめ、毎日息子を迎えに行き、
家族のお弁当を買って帰ってきた。
息子も変わらず元気に学校に通った。
私が何もできなくても、日常は何も変わらなかった。
それが不思議だった。
そしてある日、ふと気づいた。
私は何を、一人で背負っていたんだろう。
自分しかできない、自分じゃなきゃダメだというのは、
私が勝手に思い込んでいただけだったのかもしれない。
それが、自分と向き合い始めたスタートだった。
その頃、たまたまコーチングをしている元教員のYouTubeを見た。
コーチングを受けている人が、自分の考えを深めていく様子を見て、
私も受けてみたいと思った。
勇気を出して、申し込んだ。
その体験が、私の人生をまた大きく動かした。
自分を苦しめていた正体は、
「環境」でも「仕事」でもなく、
もっと別のところにあった。
それに気づいたとき、
人生のハンドルを初めて自分で握った感覚があった。
この続きは、また書いていきます。
コーチングと出会って何が変わったのか。
なぜ私は「自分を犠牲にしない働き方」を選べたのか。
もし今、
・責任感で押しつぶされそうな人
・本当はもう限界なのに、踏ん張っている人
・「辞めたい」と思いながら動けない人
そんな方がいたら。
あなたは、弱くない。
ただ、自分を後回しにしすぎただけ。
よければフォローして、続きを読んでください。
そしてもしよければ、コメントであなたの今の気持ちも教えてください。
ここを、
「一人で抱えなくていい場所」にしていけたら嬉しいです。
このnoteは
「教員だった私が、自分の人生を取り戻すまで」
という体験を書いたシリーズです。
次の記事では、
休職中に出会ったコーチングの話を書きます。
第②話はこちら
