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【#21】連載小説 『美容室「ヨアケ」、開店します。』 (第5章2話・最終章「そっちからみたら」佐藤さんの場合②)

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少しの間があってからドアの向こうで物音がし、理恵は宅配便だと思ったらしくハンコを片手にドアを開けた。


「えっ…」


グレーのスウェット姿にボサボサの金髪の理恵は、驚いた顔をして固まった。夢と同じで、目の周りには殴られたようなアザがあった。


「り…あ…、理恵…あ、あの…」


「あ?誰だよ男か?」


ゴミだらけの荒れたリビングには、金髪の男がスマホをいじりながら寝そべっていた。男は上半身を面倒くさそうに起こして、玄関を覗いた。

「なんだ?ジジイか?」


バンッ!


佐藤さんの目前でドアが閉まり、中から理恵の怒鳴り声が聞こえた。

「なんでここ分かったんだよ!帰れよっ!!」


「あ、あの、理恵…」


「ああ?!今更何なんだよ?おめえなんて関係ねーよっ!!」


「り…」


「帰んねーと警察呼ぶぞ!!」


「り、理恵…」


佐藤さんはそれ以上何も言えなかった。ドアが再び開くことはなく、佐藤さんは理恵の声が聞こえなくなっても、しばらくそこに立ち尽くしていた。

雨はますます激しくなっていた。アパート外廊下のトタン屋根から雨水が滝のように流れ落ちていて、佐藤さんの周りのすべての音を搔き消していた。


***

それから佐藤さんは、ヨアケに月に一度くらいのペースで通っていたが、その都度、律儀にシルバーグレーの猫が代金を返しに来た。最初は遠慮したが受け取るまで帰らないので、佐藤さんは素直に従うことにした。

理恵が心配で、ヨアケでカットしない日も頻繁にアパートの様子を見に行っていた。しかし物陰で見ているだけで、声をかけるのは必ず手紙に書いてあった通り、ヨアケに行った日にしていた。
一方、理恵が彼氏から受けているDVはエスカレートしているような気がしていて、佐藤さんは心配していた。

言われたとおりに「ヨアケ」に行き、それから理恵に会いに行く。
カットに行かなかった日は、理恵が不在なことがほとんどだった。

そんなある日。仕事の前に理恵の家の様子をこっそり見に行ったとき、ドアの前に「お父さんへ」と書かれた手紙が置いてあるのに気が付いた。

お父さんへ
いつも心ぱいしてくれてありがとう!いろいろはなしたいから、夜の十二時にうちの前のこうえんに来てね!ぜったいきてね!まってるよ!
理恵より

佐藤さんは一瞬喜んだが、すぐにこれはおかしいぞ、と感じた。
あんなに拒絶されているのに、突然こんな手紙を書くはずがない。


(あの彼氏に書かされとるな…)


しかし、佐藤さんには行かないという選択肢は無かった。黙って家を出たことを許してもらおうだなんて微塵も思わなかったが、暴力を受けている理恵を何とかしたかった。ただそれだけだった。

結局その日は仕事が長引いてしまい、ヨアケに着いたときは二十二時を過ぎていた。今日こそあの男から理恵を救いたい、と焦るあまりに、佐藤さんはたまたま店で一人練習していた田辺麻衣に、半ば強引に声を掛けてしまった。

夜遅くに必死な様子でカットを懇願された麻衣が、怖くなり拒絶するのも無理もなかった。

「ああ、申し訳ないことをした…理恵の彼氏に会うなんて余計なことまで言っちまったし…」

佐藤さんは激しく後悔した。

麻衣のおびえた顔が理恵の顔と重なり、気持ちが沈んだ。


「あ!イテテテ…こりゃ、あばらやったな…」


佐藤さんは帰ってきて服も着替えず、敷きっぱなしの布団に倒れ込んだ。
理恵の彼氏に蹴られた脇腹に激痛が走る。以前ヒビが入ったことがあったので、今回もそうだろうと思った。
何とか起き上がり、引出しにぐちゃぐちゃに詰め込まれていた湿布の袋を引っ張り出す。脇腹に貼ると、佐藤さんは冷たさにビクッっとした。

自分がこんな思いをするのは仕方がない。当然の報いだと思った。
しかし理恵は違う。あんな彼氏に将来を壊されていい筈がない。

佐藤さんは暗い気持ちのまま再び布団に倒れ込むと、すぐに闇に引き摺り込まれるような眠りに落ちた。



***


それから数か月、佐藤さんの足はヨアケから遠のいていた。麻衣に合わせる顔が無かったからだった。
その間にも理恵の様子は頻繁に見に行っていて、先日もまた彼氏に見つかり蹴られてしまった。いまだに脇腹は痛む。


しかしある日。佐藤さんが定位置のコタツでテレビを見ていると、再びあのシルバーグレーの猫がやって来た。


「おお、久しぶりだな。相変わらずどこから入って来るんだか…。せっかくだけど、もうヨアケに行くつもりはないから…」


「ニャー」

猫はコタツの上に、ジッパー付きのポリ袋に入れられた手紙を置いた。いつもの上質なものとは違い、そこらへんに売っているようなレターセットが使われていた。


「ん?読めってか?」


佐藤さんは袋から手紙を取り出した。


『りえさんのお父さん、佐藤さんへ』

お久しぶりです。美容室「ヨアケ」の田辺麻衣です。
先月たまたま、佐藤さんがりえさんと彼氏と一緒にいるのを見かけました。お怪我はないですか?心配しています。

先日、また同じ公園でりえさんを見かけました。それで少し話すことができて、今度「ヨアケ」に、私のカットモデルとして来てもらえることになりました。
佐藤さんもいかがでしょうか?ぜひりえさんとご一緒にカットさせて頂きたいです。
○月○日(火)19時です。

私、スタイリスト試験に合格したんです!佐藤さんのおかげです。ありがとうございます!

佐藤さんがこの手紙を見つけてくれることを願っています。余計なお世話だったらすみません。
当日、お待ちしております。

『美容室ヨアケ スタイリスト 田辺麻衣』


(ついに、合格したか…)


一緒に入っていた真新しい名刺の「スタイリスト」という文字を見て、佐藤さんは誇らしい気持ちになった。麻衣の喜んでいる顔が目に浮かび、顔がほころぶ。

(俺が行っても、いいんだろうか)


しかし、これ以上ヨアケや麻衣に関わらないほうがいいと思った。
佐藤さんは手紙を袋に戻し、タンスの引き出しに仕舞った。
猫はいつの間にかいなくなっていた。



約束の日。
佐藤さんは手紙を取り出してもう一度読んでいた。しかしすぐに床に放り投げると、ごろりと寝転がった。
古いアパートの天井の、見慣れた木の節模様に何となく目をやる。
変わり映えのしない、いつもの景色。人生も終盤に差し掛かり、あの節の模様をあと何回俺は眺めるんだろうなぁ…とぼんやり考えたときだった。

「ニャー」


「うわっ!!!」


シルバーグレーの猫がコタツの上に座って、佐藤さんを覗き込んでいた。
そして咎めるような声でもう一度鳴くと、床に音もなく降り、手紙を前足でトントン、と指した。


「…いや、俺はいいよ。理恵には今更どの面下げてって思われとるし。田辺さんにも悪いから…」


猫は、深い海のような美しい瞳で、じっと佐藤さんを見つめた。佐藤さんは目が離せなくなった。



「おとーさん!!これ、真ん中の線ね!」


小学生の理恵は、家の前の雪が積もって踏み固められた道路に、縄跳びを伸ばして置き、バドミントンのラケットを佐藤さんに渡した。


「理恵、俺は手加減しないからな!」


佐藤さんは肩を回して準備体操すると、結構本気のサーブをした。羽は鋭い角度で区切り線の理恵の側に落ちた。


「よっしゃーっ!」


佐藤さんがこぶしを突き上げた。


「お父さん!ずるい!!」


「いや、ずるくないぞ!手加減したらつまんないだろ」


再び同じように鋭いサーブを放つ。


「あーもうっ!強すぎるっ!」


理恵は真っ赤になって怒った。



「ははは!!ほら行くぞ…うわあ!!」


大きく振りかぶった佐藤さんが、雪に足を取られて仰向けに転んだ。


「きゃはははは!!!」


理恵は笑いながら走ってきて、横に一緒に寝転んだ。二人がそのまま大きな声で笑い続けたので、母親が家の窓から覗いて、「二人とも、なにやってんのー?!」と言って笑った。

北海道の空は東京よりも青が深い。二人でひっくり返ったまま空を見つめていたが、やがてそれはゆらゆら揺れてかすみ、見慣れた古ぼけたアパートの天井になった。



「寝てたのか…」



時刻は夜の八時を過ぎていた。猫はいつの間にかいなくなっていた。

佐藤さんはジャケットを着て、家を出た。




『美容室ヨアケ 末継様』

先日はありがとうございました。
最初はヨアケに行ったことを後悔しました。でもあのネコちゃんのおかげです。勇気が出ました。

この間は田辺さんに手紙をもらって、閉店後に理恵がくるっていうもんで、おじゃまさせてもらいました。
そのとき理恵と、久しぶりにちゃんと話せました。彼氏とは別れたと言っていてほっとしましたが、母さんともあまりうまくいってなかったようでした。
帰りに二人でラーメンを食べました。

今ではときどきですが、一緒に夕飯を食べに行ってます。電話すると出てくれるようになりました。そっけないですけどね。
散髪のお代も、ありがとうございました。

自分の人生なんてコドクで、働いて食って寝て、そのくり返しで終わるとばかり思っていました。それは家を出た当然のむくいだと思ってました。

すべて、田辺さんや末継さん、あのきれいなネコちゃんのおかげです。
すごく感謝してます。ありがとうございました。

佐藤




「佐藤さん、ちょっと時間がかかったけど良かったな。きれいな猫ちゃんによろしく、ってさ」


地下倉庫の奥で手紙を読みあげると、末継が言った。
スタイリングチェアの上にはシルバーグレーの猫が背筋をすっと伸ばして座っていて、当然そうでしょう、と言っているかのようだった。


(『佐藤さんの場合』おわり・『コウタソウタのソウタの場合』に続く)


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