正解を探してしまう朝に。立ち止まることも、養生のひとつ
三が日が過ぎ、
まだお正月の余韻を残したまま、
少しずつ日常の入口に立つような朝ですね。
今朝は少し冷え込んでいるので、
ストーブの位置を気持ちデスクに近づけ、
ハーブティーが冷めないように保温ポットにたっぷり入れて、
私も今日から仕事の準備をはじめています。
そんな中、
生徒さんから受け取ってきた質問をまとめた
昔のノートをみつけました。
懐かしくなって、ページをめくってみたのですが、
当時は何も感じなかったのに
今日は、ちょっと違和感を覚えるというか...…
ちょっと哲学的になってしまいますが、
——人は、なぜこんなにも「正解」を求めるのだろう。
そんな言葉がふいに浮かんできました。
「こんな症状はこのハーブでいいですか?」
「これと、これならどれが正しいですか?」
そんな問いの数々。
どの問いも、ほぼ「正解」をもとめてるんですよね。
でも、生徒さん達と同じように、
「これは正しい」
「こうすれば間違いない」
「専門家が言っているから安心」
そう言われると、私もほっとします。
テキストにはこう書いてあるから、
専門家が言っているから、
病院の先生に聞いたところ..…
そんな風に安心して生徒さんへ答えを渡す。
迷わなくていい。
考えなくていい。
選ばなくていい。
——そう思えることは、
とても心強いな、と。
今はもっと便利で、
情報が正しいかは別にして、
ネットで簡単に答えが得られる時代です。
私も、
何か悩みがあるとスマホの検索窓に答えを求めては、
ホッとしてスマホを置く……
なんてことを繰り返してきました。
でも、最近その「正解」に、
少しだけ違和感を覚えることもあります。
それは、あまりにも早く、
正解が簡単に手に入るようになったからかもしれません。
検索すれば、
診断すれば、
AIに聞けば、
すぐに「答え」が返ってくる。
それは便利で、ありがたい一方で、
「自分はどう感じているのか」を確かめる前に、
次へ進んでしまっている気がするのです。
本当は、
体が小さなサインを出していたり、
心が立ち止まりたがっている。
講座的に言えば、本能を置き去りにしているということでしょうか。
自然療法や養生を学んでいると、
「これが効く」「これは良い」という言葉にたくさん出会います。
辞典に書いてある。
専門家が監修している。
歴史がある。
それらは確かに、大切な知識です。
でも同時に、
その知識をどう使うかは、
いつも「今の自分」に委ねられています。
今日は心地よくても、
明日は違うかもしれない。
あの人には合っても、
私には重たいかもしれない。
その微妙な違いを感じ取る力は、
正解そのものからは、
教えてもらえない気がするのです。
誰かの言葉を否定するのではなく、
自分の感覚を置き去りにしたくない。
更年期になり、
自分のからだと向き合わざるおえないからこそ
そんなことを思うようになったのかもしれません。
2026年は、
なにげない養生日記を書いていこうと思っていました。
でも、
体を整えることと同じくらい、
今日みたいに自分がどう考えているかを整えることも、
養生なのかもしれません。
人は、正解を求める生き物なのだと思います。
でも正解を求める前に、
「これは本当に、今の私に合っているだろうか」
そんな問いを、
ほんの少し挟む。
それだけで、暮らしの手触りは、
変わってくる気がします。
2026年は、
そんな問いも養生のひとつとして、
ときどき言葉にして残していけたらと思っています。
正解を差し出されたとき。
安心すると同時に、
ふと立ち止まりたくなることは、ありませんか。
🔳 12月|冬の養生 記事まとめ▼
冬のあいだ、喉や鼻の乾燥、
台所での養生について書いてきた12月の記事を、
まとめてあります。
