フォロワーは集めるんじゃなくて出会うものだった
「フォロワー、増やしたいですか?」と聞かれたら
その昔、noteを書きはじめた頃。
(今とは別アカ)
何人かの方からDMをいただきました。
(クリエイター問い合わせってやつ)
「どうやったらフォロワー増えますか?」
「バズったことありますか?」
「ジャンル、変えたほうがいいでしょうか?」
僕なりに真剣に答えてきました。
でも、そのたびにふと立ち止まる。
「そもそも、なんで増やしたいんだろう?」
数字は確かにわかりやすい。
嬉しいし、モチベにもなる。
でも、あるとき気づいたんです。
「フォロワーって、集めるもんじゃなかったな」って。
僕をフォローしてくれた人の、意外すぎる理由
ある日、通知に気づいた。
見知らぬアカウントから、
「フォローしました。あの記事、泣きました」
ってDMが来てた。
正直、驚いた。
その日の投稿は、特にバズったわけじゃない。
むしろ、いいねも少なくて、静かだった。
でもその人は、僕が書いた小さなエピソードー
「父の薬を間違えかけた日」の話に心を動かされたらしい。
「私も親の介護してて、同じことあって」
「ひとりじゃないって思えました」
そう言ってくれた。
それを読んで、思ったんです。
フォロワーって、こっちから集めにいく存在じゃなくて、
出会うものなんだなって。
noteは「人となり」が出る場所
XやInstagramでは、
バズやエンタメ性がフォロワー増加の鍵だったりする。
でも、noteはちょっと違う。
文章の温度とか、声のトーンとか、人生観とか、
そういう、にじみ出るもので読者と繋がるメディア。
だからこそ──
いまこの瞬間、書いている自分の本音に嘘があると、伝わらない。
逆に、取り繕わずに書いたとき、
読んでる誰かが、ひっそりと
「わかるよ」って反応してくれる。
それが、フォローという共感の証になる。
数より、縁を感じられるかどうか
僕はフォロワー100人。
これ、少ないって思う人もいるかもしれない。
でも──
その中に、
あなたの記事で救われた人がいたら。
何年もnoteを書けなかった人が、
もう一回やろうと思えたら。
それって、すごいことだと思いませんか?
僕は最近、「この人と繋がれてよかった」
と思える出会いが何度もありました。
それは、マーケティング的に成功したからではありません。
僕がちゃんと、自分の言葉で書いたから。
自分の人生を語っていい場所、それがnote
SNSの世界って、時々
誰が一番うまく立ち回るか?みたいになりがちです。
でもnoteでは、逆に、
ぶきっちょさとか感情の揺れのほうが届く。
それに、noteって日記でもいいんです。
「今日、家事がしんどかった」
「息子に言いすぎて反省した」
「父が『ありがとう』って言ってくれた日だった」
そんな一行で、共感してくれる人は必ずいます。
そして、その一行をきっかけに、
「この人と、もうちょっとつながっていたい」と思う人が現れる。
それが、noteにおけるフォローの本質なんだと思います。
最後にもう一度、言わせてください
フォロワーは増やすんじゃない。出会うもの。
あなたが丁寧に言葉を綴れば、
きっと誰かが、それを丁寧に受け取ってくれる。
その小さな心の往復が積み重なって、
気づいたら、noteという場所が
自分の居場所になっていく。
焦らなくて大丈夫です。
無理にキャラを作らなくていい。
ちゃんとあなたの声を届けていけば、
出会うべき人に、ちゃんと届きます。
次回予告
スキもコメントもない投稿。
でも、ある夜、そっと届いた「ありがとう」の言葉。
見えない読者の存在に気づいたとき、noteの世界が少し変わりました──。
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