【ASD青年の成長物語】第1章・第4話「小学2年生・1学期~夏休み」🕊️
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[1] 🕊️ はじめに
―第1章・第3話の回想および今回の導入文―
陽樹さんと私が初めて出会ったのは、彼がすでに成人し、
自らの働き方や生き方に深く悩んでいた頃でした。
カウンセリングを重ねていく中で、
彼は過去のことをよく覚えていることに、
私は何度も驚かされました。
普通なら「昔のことはあまり覚えていないんです」と
言われることが多いのですが、陽樹さんは違いました。
たとえば、「小学2年生の初日に母にこう言われた」と、
言葉のトーンや場面の空気感まで詳細に語ってくれるのです。
その記憶の繊細さと正確さには、臨床家としての私も舌を巻きました。
第1章・第3話では、小学1年生の3学期を中心に、
彼がどのように「学校」という社会の中に馴染んでいったのか、
そして周囲の年上の子どもたちとの関わりが、
いかに彼の心に影響を与えていたかをご紹介しました。
今回の第4話では、小学2年生の1学期から夏休みまでを振り返ります。
「ただ時間が過ぎた」のではなく、
陽樹さんの中では確実に「何か」が芽生え始めていた季節です。
成長の嬉しさ、別れの寂しさ、学びの楽しさ、
そして、自分だけの「こだわり」や「違和感」──
その一つひとつが、後の人生に深く根を張っていくのです。
子どものころの出来事は、
大人になると一見、些細なことに見えるかもしれません。
でも、その些細な経験が、
自分の輪郭を形づくる芯のようなものになることがあります。
陽樹さんの心の記憶をたどりながら、
彼が自分自身のことをどのように見つめてきたのか、
一緒に見ていきましょう。
[2] 🎒「進級」という階段をのぼる喜び
―新しい教室、新しい学年、新一年生の登場に心がはずむ―
「2年生になった日、
母が『陽樹は今日から2年生』って言ってくれたんです。
妹の実里にも『今日から年長さんだね』って。
なんか、ちゃんと成長してるって思えて、嬉しかったんですよ」
陽樹さんがそう語ってくれたとき、私はその場の光景が浮かぶようでした。
ほんの短い言葉のやりとりですが、
それが彼にとって
「自分が1つ成長した」という確かな実感となっていたのです。
子どもが自分の成長を肯定的に捉えられる瞬間は、とても大切です。
言葉の温度、家族の反応──その一つひとつが、心の土壌を耕していきます。
そして、新年度が始まると、教室が1階から2階へ移動しました。
「毎日、階段をのぼるのがちょっと誇らしくて。
あ、2年生になったんだ、って。
階段って、ただの移動じゃなくて自分の位置が変わることを
実感できるんですよね」
この言葉に、私は唸りました。
階段をのぼるという身体感覚が、
そのまま「成長」の象徴になっていたのです。
物理的な変化と心理的な変化が重なることで、
「変わったんだ」という実感が増幅される。
このような感性は、感受性の高いお子さんに多く見られる傾向です。
さらに、陽樹さんの心を軽やかにしたのは、新1年生の登場でした。
「1年生の前では、ちゃんとしないと、って。
僕もお兄さんだぞって気がして。なんかウキウキしました」
誰かの前でしっかりしたいという気持ちが芽生えるのも、
また成長の証です。
小さな社会の中で役割が変わっていくとき、
人は自然と自分の行動を見直し始めます。
とくに発達の繊細な子どもにとって、
この「自分がどう見られているか」はとても重要なテーマです。
時にその意識が過敏になりすぎることもありますが、
この頃の陽樹さんにとっては、
自己肯定感を高めるよい機会となっていたようです。
陽樹さんは当時、周囲との関係性や環境の変化に対して、
慎重ながらも前向きに反応していました。
新学年という新しいステージに立った彼の心は、希望と少しの不安と、
そしてたくさんの好奇心で彩られていたのだと思います。
[3] 🎓「6年生がいなくなった」心の穴と、新たなつながり
―「別れ」と「引き継ぎ」の中で感じた、陽樹さんの独特な感情の動き―
陽樹さんが、2年生になった春のことを思い出しながら、
ぽつりと言った言葉がありました。
「卒業していった6年生のお兄さん、お姉さんたちがいなくなったの、
すごく寂しかったです。すごく優しくしてくれた人たちだったから」
この一言には、彼の中にある「人とのつながり」への強い感受性が、
にじみ出ていました。
ASD傾向を持つ方の中には、人との関係が苦手と思われがちですが、
実際にはその逆です。
むしろ、関係性に対して非常に敏感で、
信頼できる人との絆をとても大切にする方が多いのです。
特に陽樹さんにとって、「6年生のお兄さん・お姉さんたち」は、
安心できる存在だったのでしょう。
学校という小さな社会の中で、無条件に可愛がってくれる年上の存在。
たとえ言葉を交わす時間が少なくとも、
その人たちが「そこにいる」というだけで、
陽樹さんの中には安心感が芽生えていたのだと思います。
その存在が、ある日突然「いなくなってしまった」
──この事実が、
彼にとって小さな喪失体験となっていたことは間違いありません。
ですが、それと同時に彼はこんな風にも語ってくれました。
「新しい6年生も好きでした。
去年の11月に家に遊びに行ったお兄さんもいたし、
帰りのバスで一緒だったお姉さんもいて。
なんか、また仲良くなれるかもって思ってました」
この言葉には、
陽樹さんなりの「引き継ぎ」があったことを感じさせられます。
関係性が途切れることを敏感に感じながらも、
新たな関係へと自然と気持ちを向けていける力。
それは、ASD傾向を持ちながらも、周囲に恵まれた経験や、
本人の内なる適応力が育まれてきた証でもあるのです。
また、新1年生の登場によって、「見守られる側」から「見守る側」へと
少しずつ意識が変化していた時期でもありました。
自分がかつて感じていた安心感を、今度は自分が誰かに与える立場になる。
そんなふうに、人は少しずつ社会的な役割を受け取っていきます。
陽樹さんは、彼なりのリズムで、
「つながりの変化」と「心の居場所の再構築」を行っていたのでしょう。
それは、きっと誰にでもできることではありません。
だからこそ、私は彼の話を聴きながら、その記憶力の確かさと、
心の動きの細やかさに、何度もうなずいてしまいました。
[4] 🧮「九九の天才」だったけれど
―算数の飛びぬけた力と、他教科への関心の薄さが意味するもの―
陽樹さんが小学校2年生の頃、算数の「九九」において、
周囲の子どもたちから「天才」と呼ばれていたと聞いたとき、
私は少し笑いながら「それは誇らしかったでしょう?」と
尋ねたことがあります。
すると、彼はこう返してきました。
「うーん……誇らしかった、というよりも、
ただわかるから言えるって感じでした。九九が楽しかったのは確かです。
でも、それ以外の教科は……あんまり覚えてないです」
この差こそが、彼の特性を象徴するものだったように思います。
ASD(自閉スペクトラム症)の傾向をもつ方の中には、
「特定の分野にだけ強い集中力を発揮する」
という特徴が見られることがあります。
それは、本人が興味を持つ対象に限って極めて高い理解力や記憶力を示す、
いわゆる「スプラジアルな才能(島のように飛びぬけた能力)」
として知られています。
陽樹さんにとって、それがこのときは「九九」だったのです。
一方で、他の教科──国語や社会、理科、音楽、美術など──についての
記憶が曖昧であることにも、私は重要な意味を感じました。
それは決して「能力が劣っている」ということではなく、
「興味や関心が向きにくかった」ということ。
人は、興味のあることには自然と注意を向け、
繰り返し思い出すことで記憶に残ります。
逆に、興味の持てないものは、どれだけ学習しても頭に定着しにくく、
経験としても残りづらいものなのです。
つまりこの時期の陽樹さんは、
「自分の中で意味を感じられるもの」と「意味を感じられないもの」とを、
無意識に選別しながら過ごしていたのでしょう。
そして、それは彼が「何に安心し、何に心を動かされるか」を知るための、
大切な手がかりでもあったのです。
九九という、明確なルールとパターンをもった学習に安心感を持ち、
そこに楽しさを見いだした──
それは、彼の知的特性や感受性が素直に表れた瞬間でした。
だからこそ、「天才」と言われたこと以上に、
「楽しかった」と語った陽樹さんの記憶は、
彼の生き方にとって大きな意味をもつものだと、
私は感じています。
[5] 📕「漢字辞典」に夢中だった少年
―漢字へのこだわりが示す「知のかたまり方」―
「1年生のころに買ってもらった漢字辞典、好きだったんです」
陽樹さんは、そう言って、少し照れくさそうに笑いました。
多くの子どもが辞書に興味を示すことはあまりありません。
むしろ、調べるための面倒な道具と感じる子どもの方が
多いかもしれません。
でも陽樹さんは、その辞典を手に取り、まだ習ってもいない漢字を眺め、
意味を知ることを面白がっていたと言います。
このエピソードを聴いたとき、
私は「やはりこの方の学び方には、明確な傾向があるな」と感じました。
ASDの傾向を持つ方は、
「自分の興味に対して、非常に強く深くのめり込む」ことがあります。
そしてそれは、単なる好きを超えて、
体系的に知識を集めていくという形で現れることもあるのです。
陽樹さんにとって、
漢字というのは「意味と形が結びついている体系」でした。
1つの部首がどのように使われているのか、読みが何通りあるのか──
それをまるでパズルのように解いていくことに、
快感を感じていたのでしょう。
彼にとって「わからないことを調べる」という行為は、
「自分の中の世界を広げていく楽しさ」そのものだったのかもしれません。
これは、一般的な好奇心とは少し違う、
「秩序だった知識への愛着」と言えるかもしれません。
また、こうした知識の集め方には、
安心感を求める気持ちが関係していることもあります。
曖昧なものより、決まりのあるもの。
答えが一つに定まっている世界の方が、陽樹さんにとっては心が落ち着く。
その意味でも、
辞書はとても彼に合った「世界の入り口」だったのではないでしょうか。
この頃からすでに、
彼の認知スタイルははっきりと表れていたのだと感じます。
興味の対象に対しては、
自ら学びに向かい、その過程に満足を見いだしていた。
彼の「知のかたまり方」は、
すでにこの小さな辞書の中に芽を出していたのです。
[6] 👨🏫「社会の授業は好きだった」坂元先生との出会い
―初めて「勉強が楽しい」と感じた、特別な授業体験―
「社会だけは、楽しかったんです」
陽樹さんがそう話したとき、私は少し驚きました。
なぜなら、それまでの彼の語りからは、
「勉強=算数以外は無関心か、煩わしいもの」
といったイメージが強かったからです。
ですが、その「社会」の授業を担当していたのは、
坂元先生というユーモアのある先生だったそうです。
前年度まで6年生を担任していた、堂々とした印象のある男性の先生。
近づきがたかった存在が、
意外にも「楽しい授業」をしてくれたというのです。
この意外性こそが、陽樹さんの心に深く残ったのではないでしょうか。
ASD傾向を持つ方の中には、
「決まったもの」「予測できるもの」を好む一方で、
「予定外の楽しい驚き」が記憶に強く残る方もいます。
それは、安心の中に起きた嬉しい裏切りとして心を動かすからです。
坂元先生は、おそらく陽樹さんにとって
「怖そうだけど、面白かった」
という二面性を持った人物だったのでしょう。
授業そのものも、知識を覚えさせるためだけではなく、
先生自身の語りや工夫が随所にあったのだと思います。
それが、初めて「勉強が楽しい」と思えた体験として、
彼の記憶に刻まれたのでしょう。
このエピソードは、私に一つの示唆を与えてくれます。
それは、子どもたちにとって何を学ぶかと同じくらい、
誰から学ぶかが大切だということ。
特にASDの特性を持つ子どもたちは、感情のゆれが少ないように見えても、
「自分が認められている」
「この人は信頼できる」
といった感覚をとても大切にしています。
「社会は好きだった。
でも、坂元先生がいなくなってからは…あまり覚えてないんです」
そう語る陽樹さんの言葉には、学びそのものより、
先生とのつながりが光っていたのだと感じさせられました。
一人の先生との出会いが、学ぶ楽しさを知るきっかけとなる。
その原体験は、きっと彼の中に今もあたたかく息づいているのでしょう。
[7] 🌧️「父がいない夏休み」言葉の裏にあった感情
―心の奥に残された、「うっとおしさ」と「寂しさ」の同居―
「父のこと、好きではなかったです。でも、いなくなると寂しかった」
陽樹さんがこう語ったとき、
私は彼の中にある複雑な感情の層を感じ取りました。
好きではないはずなのに、いなくなると寂しい。
これは、大人になっても簡単には言語化できない、
矛盾をはらんだ心の動きです。
小学2年生の夏。
豪雨による災害の復旧支援のため、陽樹さんの父親は長期出張に出ました。
毎週月曜の早朝に出発し、土曜の夜に帰宅。
日曜日だけ家にいる生活が、半年以上続いたといいます。
幼い陽樹さんにとって、その生活の変化はどう映ったのでしょうか。
父親は普段から口うるさく、
特に勉強のことで何かと指摘されることが多かったようです。
夏休みが始まって1週間後、父が発した
「あと5週間しかないぞ。計画的にやれよ」
という一言には、
まるで陽樹さんの自由な夏を脅すような響きがあったのでしょう。
「うっとおしいな」と思った──そう語る一方で、
月曜の早朝、
出発していく車のエンジン音を聞いた瞬間にこみ上げてきたのは、
寂しさだったのです。
この両義的な感情は、ASDの特性をもつ方の中でも、
特に繊細な感受性をもつ方によく見られるものです。
感情の表現が表面的には乏しくても、内側では細やかに揺れ動いています。
「うるさいけれど、そこにいてくれる人」
「鬱陶しいけど、自分を見てくれている人」。
そんな存在が突然いなくなったとき、自分でもよくわからない寂しさが、
心にぽっかりと穴をあけてしまうのです。
陽樹さんは、あの夏、自分の中にある父親との距離感に揺れていました。
頼りにしたい気持ちと、近づきたくない気持ち。
どちらかを選ぶのではなく、どちらも共にあったのです。
そして、それを正直に語れるようになった彼の成長に、
私は静かな感動を覚えました。
感情は、白か黒かではありません。
むしろ、グレーの中にこそ、その人の真実が隠れている。
私はそう思っています。
[8] 🖋️「武田の印鑑じゃなきゃダメだった」
―スタンプへのこだわりと、その奥にあった「自己の枠」―
「ぼくは、絶対に“武田”の印鑑じゃないと嫌だったんです。
他の苗字なんて、意味がわからなかった」
陽樹さんが語ってくれた、夏休みのラジオ体操での出来事。
日々参加するたびにもらえるスタンプ
──その役割は6年生が担っていましたが、
陽樹さんは、自分のカードには
「武田」と書かれた印鑑で押してもらわないと納得がいかなかったのです。
けれど、上級生たちのちょっとしたいたずら心で、
別の名字の印鑑が押されたとき、
陽樹さんはひどく傷つき、強い悔しさを感じたと語ります。
多くの子どもにとって、それはただのスタンプかもしれません。
でも、ASD(自閉スペクトラム症)の特性をもつ方々にとって、
「意味のある自分の枠」が崩れることは、
世界の秩序が乱れるような体験なのです。
陽樹さんにとって、武田という印鑑は単なる名前ではなく、
「自分だけの証明」であり、
「自分がこの場所にきちんといた」という実感だったのでしょう。
それが別の名前になるということは、
自分の存在が歪められたような不快感、
あるいはなかったことにされるような
強烈な不安を引き起こしてしまうこともあるのです。
もちろん、当時の周囲の子どもたちに、
そうした事情が分かるはずもありません。
けれど、これはまさに、ASDの方の「こだわり」がどこからくるのか──
という問いへの重要なヒントでもあります。
それは、頑固さやわがままではなく、
むしろ「自分の心の世界を守るための境界線」なのです。
周囲の秩序や意味づけが突然変わると、
自分の中の地図も一緒に壊れてしまう。
だからこそ、元どおりであることが、彼にとってはとても大切でした。
大人になった陽樹さんは、こうした「こだわりの正体」に気づき、
少しずつ自分を理解するようになっていきます。
でも、当時の彼はただ、涙をこらえて、
悔しさにじっと耐えるしかなかったのです。
私はその話を聞きながら、
「あなたのこだわりには、ちゃんと意味があるよ」
と伝えてあげたくなりました。
それは、他の誰にも分からないとしても、
あなたにとっては大切な心の秩序なのです。
[9] 📚 おわりに(次回予告:小学2年生・2学期)
―「関係」と「心の声」が、少しずつ揺れ始める―
陽樹さんの2年生1学期と夏休みは、
心の奥に刻まれた小さな出来事が幾つも連なった、
静かで濃密な時間だったのだと思います。
「九九の天才」と称えられる誇らしさ、
でも他の教科にはまるで興味がわかなかったこと。
「社会の授業が好きだった」と話す笑顔の裏に、
坂元先生とのほんのわずかな「つながりの心地よさ」が見え隠れしたこと。
そして、夏休みの父親の言葉にうんざりしながらも、
朝方の車の音に、静かに寂しさを感じていたこと──。
どれも、いわゆる“エピソード”としては些細で目立たないかもしれません。
でも、そのひとつひとつが、
陽樹さんの心の中で、しっかりと意味をもって残っていた。
私が驚かされたのは、やはり彼の記憶の細やかさです。
何年前だったか、誰が、どのときに、何を言ったか──
その一語一句まで、情景とともに残されている。
それは単なる記憶力の良さというより、
感情の「通電率」が非常に高いからこそ、
記憶と感情が強く結びついていたのだと感じています。
そして、彼がこの時期に感じていた「安心」と「違和感」、
あるいは「こだわり」と「気づかれにくい孤独感」は、
やがて次の学期に入ることで、少しずつ輪郭を変えていきます。
👇 第1章・第5話へ続く
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