【夜の静寂🌙、昼の気配】(3)境界を越える距離
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この事務所とは、
もう十年以上の付き合いになる。
顔ぶれは変わっても、
空気の癖のようなものは、
驚くほど変わらない。
その中に、ひとり、
いつも少し浮いた存在の男性社員がいた。
個性が強い。
言葉の選び方も、
感情の出し方も、
不器用だ。
彼は孤独と戦っているように見えたし、
その孤独から滲み出た不満を、
ときどき抑えきれずにいた。
私もまた、
彼とは自然と一線を引いていたひとりだった。
だからだろうか。
あの派遣の彼女が、
彼に寄り添っているのを見たとき、
強い違和感を覚えた。
部署は違う。
業務上の接点も、
ほとんどない。
それなのに、
彼女はごく自然に、
彼のそばにいた。
ある日、
たまたま彼の近くの席で仕事をすることになった。
視界の端で、
彼女が彼の隣に腰を下ろすのが見えた。
特別なことは何も起きない。
キーボードの音、
紙をめくる音、
その合間に、
彼のほうから何気ない私語が投げられる。
彼女は、
それを遮らずに聞いていた。
相槌も、評価もない。
ただ、聞いている。
契約している部署の男性社員だけではない。
誰も踏み込まなかった場所へ、
彼女はすっと足を運ぶ。
その距離の詰め方は、
押しつけがましくもなく、
かといって冷たくもない。
絶妙だった。
そんな彼が、
ある難関の国家資格の一次試験を突破した。
通過率は一割強。
残る二次試験は面接で、
一か月後に迫っている。
その資格は、
彼にとって人生を大きく変える分岐点だった。
腐らず、
積み上げてきた結果なのだと、
遅ればせながら気づかされる。
そのときから、
私は彼を見る目が変わった。
そして同時に、
自分の立ち位置も少し変えた。
彼が二次試験を通過できるよう、
直接的ではないが、
情報を共有し、
声をかけ、
隣に座るようにした。
あくまで、自然に。
仕事の流れの中で。
──だが、正直に言えば。
その行動の奥には、
別の意図も潜んでいた。
彼女は、そこにいる。
彼のそばに。
そして、私の視界の中に。
彼を支えるという建前の裏で、
私は、
彼女の視界に入ろうとしていたのかもしれない。
その事実に気づいたとき、
胸の奥に、
わずかな緊張が走った。
距離を保つ。
そう決めていたはずなのに、
人の縁は、
ときに思いもよらない形で交差する。
その交差点に、
私は立ってしまったのだろうか。
(つづく)
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