手塚治虫・虫プロ倒産時に版権を守った大阪の商人【手のひらの偉人伝15】
かつて、マンガ家の手塚治虫(1928~89)が経営する「虫プロ」という大手アニメスタジオがありました。しかし、1973年に多大な負債を抱えて倒産しました。
手塚は自邸や預金を処分して、債務の返済にあてました。そこは潔かったと言われています。
しかし、作品のキャラクター等の版権は手放しませんでした。でも本来なら、こうした版権はさまざまな債権者の手に渡って散逸してしまったはず。
しかし、そうはならなかった。手塚の友人の葛西健蔵さんという、大阪のベビー用品会社「アップリカ葛西」の社長のおかげです。
手塚と葛西さんの縁は、以前に鉄腕アトムのキャラクター商品を同社が扱って以来のこと。葛西さんは、社会活動にも熱心な人格者で、手塚も信頼していました。
虫プロ倒産後、恐ろしい筋の債権者が手塚のもとへやってくることがありました。手塚は、葛西さんに相談するのですが、そのなかで、葛西さんは次のように提案しました。
「作品の版権だけは手放してはいけません。版権さえあれば再起することもできます。そこで、私にいったん版権を全て譲渡しては? そうすれば、誰も版権に手を出せない。 時期が来たらあなたに返します」
手塚は大急ぎで弁護士に何百枚もの契約書を用意させ、葛西さんに版権を譲渡する契約を結びます。常識的には、きわめて危険なこと。でも葛西さんを信じたのです。
そして、約束どおり、後に版権は手塚に返されました。
利益もないのに助けてくれた葛西さんがいなければ、今のようなまとまった形で、私たちが手塚作品の世界に触れることには、困難が伴ったでしょう。少なくとも、版権が守られたことは、その後の手塚の活動にとって大きな支えになったのです。手塚は、虫プロ倒産後も代表作のひとつである「ブラック・ジャック」などの多くの作品を生み出しました。
そして、葛西さんのような支援者があらわれるのは、やはり手塚という人の力でもあるはず。寝食を忘れてひたすら作品づくりに励む彼の姿は、人を動かすところがあるのです。

*古今東西の偉人を数百文字で切り取って紹介した記事を、その都度思いつきでアップしています。
(参考文献)
中川右介『アニメ大国 建国紀 1963-1973』集英社文庫、文庫版2023年
なお、「アップリカ葛西」は、ベビー用品の有名ブランド「アップリカ」の会社です。
・豊富な図版で手塚の生涯や仕事を手軽に俯瞰できるムックで、おすすめです。
「手のひらの偉人伝」のつぎの記事。マガジンにもまとめています。
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