社会の変化はゆっくりになっている(2) 「技術革新は減速している」という説
2. 「技術革新は減速している」という説(2人の経済学者・コーエンとゴードン)
第1回では、現代の世界では、先進国を中心に経済成長が減速していることを確認し、それに伴う現象として、世界の多極化が起こっていることを述べました。つまり、減速した先進国を中国をはじめとする新興国が追い上げることで、先進国への一極集中的な状況が崩れてきたということです。
しかし、先進国における減速は、経済成長だけでなく、技術革新も含むと著者は考えています。今回は、現代における技術革新の減速について述べます。これは、一般的な見方とはかなり異なるはずですが、以下説明していきます。
*サムネイルの写真は、国立代々木競技場 第一体育館(1964年、意匠設計:丹下健三)。このような、今みてもモダンで「未来」をも感じさせる建築が60年余り前につくられていたのです。1964年の60年前というと1904年(明治時代、日露戦争の頃)です。そこからの60年にくらべ、この建築以後の60年の変化はゆっくりだったのでは?
この数十年、暮らしはたいして変わっていない?
ここまで、現代の世界における先進国を中心とする「減速」ということを主張してきました。それにしても、ほんとうに先進国では、減速が起こっているのでしょうか?
この減速という動きは、経済成長だけでなく、技術革新も含みます。先進国における経済成長の減速については、先ほど簡単に述べましたが、こちらは多くの人にとって比較的納得しやすいと思います。「先進国では、かつて(数十年以上前)のような経済の高度成長はみられなくなった」という認識は、かなり共有されているのではないでしょうか。
しかし、「技術革新が減速している」と言われると、違和感のある人は少なくないはずです。前にも述べたように、私たちは「現代において、革新や変化は加速している」という話を多く聞かされているのです。
しかし、じつは「技術革新が加速しているかどうか」「今後どうなっていくか」については、識者のあいだで対立があります。たしかに、この問題を論じる識者のうちの目立つ人たち(主流派)は、「技術革新は今後さらに加速する」と言っています。そして、驚異の未来技術や、その影響などについて語るのです。
しかし、一方で、技術革新について「この数十年間で減速している」と指摘する比較的少数の「減速論者」もいます。
なお、「減速論」というのは、私の造語で、「現代の世界・社会は、これまでの急速な発展や変化から、変化の緩やかな減速の局面へ移行した(移行しつつある)」とする主張のことです。この主張の支持者が「減速論者」です。
たとえば、経済学者のタイラー・コーエンは、2011年の著作で「アメリカ人の暮らしは、インターネットを別にすれば、1950年代以降たいして変わっていない」と述べています。
「自動車・冷蔵庫・電気照明といった現代的な暮らしの基本的な道具は、1950年代当時(アメリカには)すでにあった」ことをコーエンは指摘します。また、現代については《生活は便利になったし、身の回りのモノの種類も増えたが、変化のペースは祖父母や曽祖父母の世代に比べて緩やかになった》と述べています。「生活の変化が緩やかになった」ことは、技術革新の減速を示している、というわけです(『大停滞』NTT出版、2011年、池村千秋訳、27~28ページ、原著2011年)。
コーエンの著書のテーマは、アメリカ経済の中長期的な停滞です。同書では、その停滞のおもな原因のひとつとして、技術革新の減速について論じています。
私も、「経済成長を根底から支えているのは(少なくとも“支える重大な要素”のひとつは)技術革新である」という前提に立っています。つまり、先進国における経済成長の鈍化と技術革新の減速は、深く結びついていると考えます。
「期待外れ」だった1970年代以降の成長・進歩
また、コーエンの著作から数年後に、経済学者のロバート・J・ゴードンは、アメリカにおける技術革新の停滞と、今後の経済成長の低下の可能性を、コーエンよりもさらに詳しく大著で論じています。ゴードンもまた、技術革新と経済成長の結びつきを重視しています(『アメリカ経済 成長の終焉(上・下)』日経BP社、2018年、原著2016年)。
ゴードンによれば、1870年から1970年は急速な進歩や成長が起こった「特別な世紀(100年)」だそうです。その時期に、アメリカは世界をけん引しました。そしてゴードンは、1870年以降の100年間のアメリカの変化について、こう述べています。
《わずか一〇〇年で、日常生活は様変わりした。屋外での肉体労働は空調の効いた室内での仕事に代わり、家事は家電製品が担うようになり、暗闇には灯りがともった。人びとは孤立して生活するのではなく、移動できるようになった。……カラーテレビで届けられる世界各地の映像を居間で楽しむこともできる。何より重要なのは、新生児の寿命が四五歳ではなく七二歳に延びたことだ》
たしかに1870年からの100年の変化は、激しいものでした。そして、このような重大な革新は1970年頃には(アメリカでは)終わったのだと、ゴードンは言います。それ以降のITなどによる現代の進歩・成長は、限定的で「期待外れ」なものになったと。
《一九七〇年以降の経済成長は、目をみはるものである反面、期待外れでもある。一九七〇年以降の進歩が、娯楽、コミュニケーション、情報の収集・処理といった人間の狭い活動領域で起きてきたことに気づけば、このパラドックスは解消する。人々の関心が高い、食料、衣服、住居、交通、健康、自宅内外での労働環境といった分野では、一九七〇年以降、定性的にも定量的に進歩のペースは鈍化している》
多くの史実・データから「減速」を論じる
ゴードンの『アメリカ経済 成長の終焉』(以下、同書)の特徴や価値は、じつに多くの史実やデータをもとに、大きな流れを主張している点にあります。アメリカという現代世界をけん引してきた国家・社会の減速を系統的に論じたものであり、これからの世界の動きを考えるうえで重要な視点や情報を提示しています。
この小論では、減速論にかかわるさまざまな著書を紹介しますが、ゴードンの同書は、そのなかでもとくに重要です。
ゴードンは、日本語版で上下巻あわせて1000ページ余りになる同書のなかで、アメリカにおける1870年から2010年代までのさまざまな社会領域の変化を、具体的な事実や数多くのデータに基づいて述べています。
対象となるのは、身近な生活に関わる、食料、衣服、住宅・設備、輸送・交通、情報・通信、娯楽、保健・医療、労働環境などの幅広い領域です。ただし、生産・供給の現場よりも、衣食住などの生活のあり方をおもに扱うという点では、議論の対象をある程度限定しています。
ゴードンは同書で《本書は、経済学と歴史学を独特な形で融合したもの》だと述べています。つまり、「人びとの日常生活や働く環境を詳細に研究している点は、統計的なデータや企業活動が中心の一般的な経済史とは異なるが、一方で暮らしの詳細を経済成長の分析という文脈のなかで解釈しており、その点は、人びとの生活についての一般的な歴史記述とも異なる」ということです。
アメリカにおける住宅の急激な変化
たとえば、ゴードンは1870年におけるアメリカの住宅について、つぎのように説明しています(ゴードンの同書の第4章などを筆者・秋田が整理・要約)。1870年は、その後の急激な変化が始まる直前の時期です。
1870年当時、圧倒的多数のアメリカ人は、電気、セントラル・ヒーティング、上下水道、水洗トイレのどれもがない家に住んでいた。これは、当時の技術水準によるもので、富裕層であっても一般的なことだった。エジソンによる電灯の改良は1879年である。セントラル・ヒーティング、上下水道、水洗トイレは当時すでに一定のものが存在していたが、普及は限られていた。
当時の家庭では、薪や石炭による暖房や、オイルランプによる照明が用いられたが、それらは多くの煙や煤を出し、火事などの危険を伴うものだった。人びとは1日に何度も井戸や川に水を汲みにいく必要があった。それは時間のかかる重労働であり、多くの水を使う洗濯や入浴は、一般的な家庭ではせいぜい週1回。
そして、汚水や糞尿は、多くの場合河川や家の周辺に捨てられた。都市において、このような汚水・汚物の処理は、伝染病などの深刻な問題をひきおこした。
このような、人びとの暮らしの詳細や匂いを感じさせるような事柄について、ゴードンは同書の全体を通して述べています。
そして、1870年頃以降、アメリカの住宅は急激に変化していきます。それは、電気や内燃機関の技術を基礎として1800年代末~1900年代前半に起こった、産業・経済の革新の結果です。この革新は「第二次産業革命」といわれます。
なお、1700年代後半から1800年代前半には、イギリスを先駆として、蒸気機関などによる「第一次産業命」が起こった、とされます。また、1960~70年代以降は、コンピュータなどの情報技術による「第三次産業革命」が進行した、とする見解もあります(以上の「革命」の時期は、いずれも先進国におけるものです)。ゴードンも、このような三次にわたる「産業革命」があったことを前提としています。
第二次産業革命による住宅の劇的な変化は、「ネットワーク化」という概念で総括できるものでした。つまり、電気、上下水道、ガス、電話のネットワークで結ばれた住宅が出現し、特に都市部において急速に普及していったのです。そして、この動きと並行して、都市化(都市人口の割合の増加)も大きく進みました。
こうした動きを、ゴードンは、暮らしの具体的な様子とともに、さまざまな統計データをもとに述べています。たとえば、ゴードンの同書には、1900年代前半における住宅の変化についてまとめた、つぎのような一節があります。
《…ネットワーク化による都市部の変容は、きわめて短期間で起きている。……一九四〇年にアメリカに現存していた住宅の七七パーセントは一九〇〇年以降の建築であり、そのほとんどが最初から、電気と上下水道の配管という当時の最新技術を取り入れていた。都市部では、一九四〇年時点で電気が広く普及し、洗濯機と電気冷蔵庫の世帯保有率は四〇パーセントに達していた。さらに電話線、水道、現代的な配管を備えた浴室、セントラル・ヒーティングもあたり前になっていた》
同書によれば、1940年のアメリカにおける電気照明の普及率は80%、水道水は70%、水洗トイレ(屋内の現代的なタイプ)は60%、電話は40%に達していました。
なお、住宅に関し、1940年以降の(アメリカにおける)最も大きな変化としては、ゴードンも述べるように、1950年代からの冷房の普及があります。1970年のアメリカでは冷房の世帯普及率は37%であり、2010年には89%となりました。 70年時点では「どの家にもある」とはいえないにせよ、「一般的になった」といえます。
また、同書では浴室の内部にも言及しています。1940年頃には、排水口のあるバスタブ、タイル貼りの床と壁、現代的な便器、ホーローのシンク、ラックなどの浴室の要素が出そろったといいます。《アメリカの浴室は一九四〇年には標準的な型ができあがり、今日までほとんど変わっていない》と、ゴードンは述べています。しかし、1870年には一般的な住宅には浴室はなく、人びとは手洗(たらい)で行水をしていたのです。
1970年代以降の住宅の変化の減速
以上のような細部をも含む説明を、さまざまな分野で積み重ねながら、ゴードンは議論をすすめています。そして、経済統計の分析もふまえたうえで、「1870年代以降、とくに1900年代初頭から半ばにかけて革新・成長のペースが加速し、1970年以降は鈍化している」ということを主張しているのです。住宅は、そうした「減速」を示す重要な例です。
以上でみたとおり、アメリカでは、1940年代には水道・電気などで「ネットワーク化」された住宅が一般的となりました。さらに、1970年頃までには冷房がかなり普及して、現在に至る住宅設備の基本が完成しました。
そして、その後の50年ほどのあいだ、(アメリカの)住宅は大きくは変わっていません。1970年頃からの変化の少ない数十年は、電気も水洗トイレもない住宅から急激に変化した、1870年頃からの数十年とは大きく異なります。1990年代後半以降、パソコンなどのインターネット端末が家庭でも普及しましたが、それは既存の電気や回線の設備の末端に設置されたもので、住宅設備の基本が変わったわけではありません。
アメリカ人の生活様式(住宅はその中心的要素)は、1900年頃以降の世界において「最先端」であり、ほかの国ぐににも大きな影響をあたえました。たとえば、自動車社会はアメリカで始まり、その後世界各地に広がったのです。
現代につながるガソリンエンジンによる自動車の原型は、1880年代にドイツで生まれましたが、最初に自動車の普及が大きく進んだのは、1910年代のアメリカでした。
ゴードンの同書によれば、アメリカでの自動車(乗用車・トラック合計)の世帯普及率は、1900年の0.1%から1910年には2.3%となり、その後急速に普及が進んで、1920年には38%、1930年には90%に達しています。そして、1930年時点において、世界の自動車の78%がアメリカで登録されていたのです。
ゴードンが述べる「アメリカの急速な変化・発展とその減速」は、アメリカ一国の出来事にとどまらない、世界史の大きな動きを代表するものだといえるでしょう。
情報分野の革新は限定的だったのではないか
以上、コーエンやゴードンの著書を紹介しながら述べてきたのは、「1970年代以降の技術革新は、経済や生活を根幹から変えるものではなく、枝葉のきめ細かい改良にすぎない」ということです。
1970年代以前から(アメリカなどの先進国では)すでにあった、上下水道、自動車、水洗トイレ、有線の電話、冷蔵庫、テレビ、旅客機などのほうが、パソコン、インターネット、スマホよりも私たちの暮らしや社会・経済に大きな変化を与えたということを、コーエンやゴードンは述べています。
そして、1970年代以降は、限定的な技術革新しか起こらなかったので、経済成長も「期待外れ」に終わった、ということです。1970年代以降、先進国ではIT化がすすみましたが、前に述べたとおり、経済成長率は低下傾向にあります。
この主張に対しては、異論のある人もいるでしょう。「インターネットやスマホは、やはり重大な革新ではないか」と。
しかし、そのような人には、こう言いたいです――スマホがない暮らし(ただし20世紀的な文明の利器はある)ならば、少なくとも短期的には耐えられるとしても、水洗トイレや冷蔵庫のない暮らしは、それよりもはるかに辛いのではないか?
そして、「やはり辛い」というのであれば、「1970年代以前の20世紀の技術革新のほうが、それ以後の革新よりも重大で基礎的」と認めていることになるのではないでしょうか?
以上のような話だけでは、「インターネットが生まれた時代において技術革新が減速している」などという主張には到底納得がいかないという方は、もちろん多くいるはずです。その一方、賛同できる、という方もいるはずです。
とにかく、1970年代以降の技術革新のあり方について、さらにいくつかの事例から考えてみましょう。
(第3回に続く)
次回は、1950~1970年代の技術的な達成と、それ以降、さまざまな分野で大きな革新が停滞している傾向があることについて述べます。このような技術革新の減速は、この数十年の情報分野のめざましい革新・変化の陰に隠れて、みえにくくなっていると思います。
おもな参考文献
