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社会の変化はゆっくりになっている(4) 現代は「応用的な改良」の時代

この一連の記事では、「現代において、社会の変化は加速しているとよくいわれるが、じつは減速している」ということを論じています。その主張を、経済成長、人口、技術革新、新しい文化の創造などにおける減速の事象や先行する言説を取り上げて述べていきます。

今回はその第4回で、第3回まででおもに述べてきた「技術革新の減速」についての「まとめ」です。「減速」とは、より詳しくいえば、技術革新が、根本的な革新から応用的な改良に軸足を移している、ということだと述べています。

【これまでの内容】
まず、「1870年頃からの100年間にくらべ、1970年頃以降の革新・発展は、期待外れ」ということを、住宅を中心とする生活関連の変化を通して論じました(第2回)。「家電に囲まれ、電気や水道、電話線などにつながった住宅などの生活環境」は、アメリカでは1940~50年代から基本的に変わっていないのです。

さらに、数十年前の世界で語られた「すごい未来」のビジョンが今もそれほど実現していないことを指摘しました(第3回)。月面基地、核融合、超音速旅客機の普及、リニア新幹線……旅客機は70年代のコンコルドが今も歴代最速なのです。


4.現代は「応用的な改良」の時代



*サムネイルの写真は、国立代々木競技場 第一体育館(1964年、意匠設計:丹下健三)。このような、今みてもモダンで「未来」をも感じさせる建築が60年余り前につくられていたのです。1964年の60年前というと1904年(明治時代、日露戦争の頃)です。そこからの60年にくらべ、この建築以後の60年の変化はゆっくりだったのでは?


1970年頃以降、基礎的な革新から応用的な改良へ


前回述べた、1970年頃(ジャンボジェットやコンコルドの登場)以降のジェット旅客機の革新のあり方の変化は、第2回で述べた(アメリカの)住宅の場合と、基本的な構図は同じです。旅客機でも住宅でも、1970年頃までに基本が固まった後は、IT化や既存の要素の性能の向上はありましたが、根本的な変化はないのです。

このような「革新のあり方の変化」(つまり減速)を、「住宅」という素材のなかの「トイレ」にフォーカスして例えて述べるなら、つぎのようにいえると、私は考えます。

1970年頃以前の技術革新は、水洗トイレのある暮らしをもたらしたが、1970年頃以降の現代の技術革新がもたらしたのは、ウォシュレット(温水洗浄便座)のような、きめ細かい応用的な改良である。

温水洗浄便座は、1960年代には欧米で原型といえる製品がつくられ、医療用などとして用いられていましたが、本格的な発展・普及は、TOTOによる一般向けの製品「ウォシュレット」の発売が開始された1980年以降のことです(林良祐『世界史一のトイレ ウォシュレット開発物語』朝日新書、2011年など)。

ウォシュレットは、高度の技術が詰まった工業製品であり、たしかに快適さや恩恵をもたらしてくれます。これがないと困る、という人は多くいます。しかし、文明や生活全体のなかでは位置づけられる「層」が、水洗トイレそのものとはちがいます。水洗トイレのほうが、より基礎的な層にあり、ウォシュレットは水洗トイレよりも、上澄みの層に位置づけられるでしょう。

「基礎的」「上澄み(上層)」というのは、これまで述べた表現では、「幹」と「枝葉」にあたります。

あるいは、ソフトウェアのバージョン番号でいえば、「最初の1桁レベルの大改訂」と「小数点以下のマイナーな改訂」ということです。つまり、バージョンが「1.X」から「2.X」に移行することは、いわば「基礎的な革新」です。

これに対し、「Ver.2.1」が「2.2」になるのは、「きめ細かな、応用的改良」にあたります。小数点以下第二位や第三位であらわすような、さらに細かい改良もあるでしょう。そして、現代の技術革新は、数十年以上前よりも「小数点以下の改訂」のほうにシフトしていると、私は考えます。

ただし、上記の「ウォシュレットのたとえ」は、あくまで技術革新の「層」のちがいをイメージする助けとしてのものです。決して「インターネットなどの情報処理に関する1970年代以降の革新は、ウォシュレットくらいの規模のものだ」といっているのではありません。

情報分野の1970年代以降の革新は、たしかに大きなものでした。しかし、文明や社会全体のなかでは「基礎」というよりも、かなり上部の層に位置づけられるのではないでしょうか。

そこで、情報分野の近年の技術革新は、前に(第3回で)引用したバーツラフ・シュミルも言うように、穀物の収穫量、エネルギー効率、輸送の速度のような、「文明の存続にかかわる基礎的活動」に対し、強いインパクトはあたえていないのです。


1900年代前半までの革新による劇的な変化


情報分野の革新の影響が限定的であることは、1800年代末~1900年代前半における、電気や内燃機関による技術革新とは対照的です。内燃機関とは、内部でガソリンや軽油などを燃焼させて動くエンジンのことで、その最初の実用化は1880年頃のことです。

電気や内燃機関の技術からは、自動車、航空機、トラクターなどの農業機械、さまざまな製造や建設の機械が生み出され、輸送と移動、農業や工業、大規模な建設事業のあり方は、劇的に変化しました。

そして、それらと同時期に電気・電子系の技術から無線通信やラジオ放送も生まれ、コミュニケーションのあり方も大きく変わりました。前にも述べたとおり、この時期のさまざまな領域にわたる大きな変革を「第二次産業革命」と呼ぶことが、経済史などにおいて一般的です。

たとえば、第二次産業革命がもたらした「農業の機械化」による変化についてみてみます。

技術史家のS.リリーよれば、「アメリカでは、1787年(イギリスでは産業革命の初期、アメリカでは産業革命前夜の時期)には、都市住民1人を養うのに19人の農民が生産する食糧の余剰が必要だったが、1930年頃には、同じく19人の農民で66人の都市住民を養うことが可能になった」といいます(『人類と機械の歴史 増補版』伊藤新一、小林秋男、鎮目恭夫訳、岩波書店、1968年)。

このデータ(とくに1787年)の正確性には限界があるはずですが、ごくおおまかにいえば、「1787年からの150年ほどで、農業の生産性が数十倍になった」ということです。

この劇的な生産性の向上に、とくに大きく寄与したのが、1900年頃以降のトラクター(ここでは土地を耕す農業機械)の普及による省力化です。内燃機関で動くトラクターは、第二次産業革命の産物です。

1800年代半ばまでのアメリカでは、農業が産業において圧倒的な比重を占めていました。1800年には全世帯の8割が、兼業も含め農業に従事しており、農業を行う世帯の割合は1840年になっても6~7割(3分の2)を占めていたのです。 1910年においても、農業人口は、工業化の進展などで減少したものの、依然として就業人口の31%を占めていました。

しかし、トラクターが1910年代後半から急速に普及して機械化がすすむと、農業人口のシェアはさらに低下し、絶対数も減少しはじめました。農業が就業人口に占める割合は1948年には13%になり、80年には3.4%になっています。

*以上のアメリカの農業人口については、ジャック・ラーキン『アメリカがまだ貧しかったころ』杉野目康子訳、青土社、2000年、秋元英一『アメリカ経済の歴史 1492~1993』東京大学出版会、1995年、小澤健二「2000年代アメリカ農業の動向に関する一考察(1)」日本の農業研究所報告『農業研究』第30号、2017年、有賀貞『ヒストリカル・ガイド アメリカ〔改訂新版〕』山川出版社、2012年などによる

ごく大ざっぱな計算で、1840年から1910年までの70年間で、農業人口の割合はほぼ半減したわけですが、トラクターが普及しはじめる前夜の1910年から1980年までの70年間では、農業人口の割合は9分の1になっているのです。

ただし、農業人口が大きく減少しても、アメリカの食料自給率は、100%以上を維持し続けたのでした。それだけの(10倍程度かそれ以上の)1人あたりでの生産性向上があったということです。そして、農業から工業やサービス業などのほかの分野への大量の労働力の移動が起こりました。つまり、トラクター以降のアメリカ農業における生産性向上などの変革は、それ以前の変化よりも明らかに激しいものでした。

蒸気機関の技術などによって、1800年代半ばから脱穀や収穫については一定の機械化がすすんでいましたが、小麦生産の労力の6割を占めるとされる土地を耕す作業の機械化は、それよりも遅れました。

蒸気機関で動くトラクターも、1850年代にはつくられていました。しかし、車体が非常に重く、爆発の危険も大きいなど、実用的ではありませんでした。トラクターは、内燃機関という技術革新によってはじめて実用化されたのです(藤原辰史『トラクターの世界史』中公新書、2017年)。

これは自動車も同じことです。ただし、当時の新素材である合成ゴムを用いたタイヤなど、エンジン以外のさまざまな革新も、トラクターや自動車の実用化を可能にした要素です。

1980年頃以降、アメリカの農業人口のシェアや絶対数は、減少が緩やかになりました。しかし、それでも2019年には農業就業者は全就業者の1.4%、220万人となり、絶対数としては1978年(330万人)の7割程度に減っています。それでも、1980年から2019年までの間で、アメリカ全体のカロリーベースでの食糧生産量は、14~15%増加しています(この生産量は水産業も含むものですが、その圧倒的な大部分は農業によるもの)。

*1980年においてアメリカの人口約2.3億人で、食料自給率は151%だった。つまり2.3億×1.51=3.5億人分の食糧をアメリカ農業は生産していた。これに対し、2019年は人口3.3億×自給率121%=4.0憶人分である(食料自給率は矢野恒太記念編『世界国勢図会』2022/2023による)。

「以前の7割の人数で、以前よりも15%多く生産した」というのは、1人あたりの生産量が1.6倍になったということです。これはたしかに相当な成果ですが、生産性が10倍程度かそれ以上に向上した1900年代の数十年間と比べれば、やはり緩やかな変化・向上です。

これは、1970年代以降の技術革新が、「文明の基礎」の部分に対し、それ以前ほどの大きなインパクトをあたえていないことの一例といえます。

また、前に述べた「コンピュータ化によって、ジェット旅客機の乗員が3~4人から2人に減った」という省力化も、トラクターによる生産性向上と比較すると、70年代以降の技術革新の限界を示しているのではないでしょうか。


進歩・変化が「基礎」から「上澄み」に移行


ただし、念のために付け加えると、「“文明の基礎”にインパクトは与えていない」といっても、今の文明が情報技術(IT)なしで運営できる、と言っているのではありません。

もちろん、今の社会は、さまざまな情報技術を前提に回っています。この技術は、金融・会計をはじめ、さまざまな事業活動のデータのやり取り・管理において有効なので、社会の至るところに組み込まれているわけです。これが社会の広い範囲でいきなり作動しなくなれば、とてつもない混乱や被害が生じるのは明らかです。

しかし、それらの情報技術の急発展によって、たとえば農業や交通機関において、生産量や輸送力の大幅な向上はなかったということです。少なくとも1900年代初頭の革新ほどのことはなかったのです。

つまり、ここでいう技術革新の減速とは、「あらゆる進歩が止まりつつある」ということではなく、進歩や変化が「基礎」的な層から「上澄み」にシフトしていることを指します。「基礎的・根本的な革新から、応用的できめ細かい改良への移行」といってもいいでしょう。一言でいえば、「革新から応用へ」ということです。

たしかに、既存の枠組みを乗り越える大きな革新をめざす研究も、日々なされてはいます。仮に核融合が実用化されれば、それはエネルギー分野のまさに「根本的な革新」でしょう。しかし、それは前にも述べたように、1950年代以来、ずっと「未来の技術」であり続けています。

そして、今のジェット機を超える超高速の交通手段も、窒素固定作物レベルの農業を根幹から変えるバイオテクノロジーも、あるいは、現在の生成AIとは次元の異なる、ドラえもんや鉄腕アトムのような「本当に人間的」といえるAIやロボットも、20世紀以来の長いあいだ「未来の技術」のままです。これらの「夢」「構想」を実現するための、根本的な技術革新ができていないのです。

そこで、今の私たちは、さまざまな領域において、1970年頃までに出来上がった基本設計のもとで、それをさらに「小数点以下のバージョンアップ」のレベルで改良することに努めているというわけです。

そして、そのように技術革新が「基礎的・根本的な革新から、応用的な改良へ」と軸足を移すということは、社会の変化のあり方にも当然影響をあたえます。つまり、社会の変化はこれまでの急速で激しいものから、きめ細かく漸進的なものになっていくのです。

そこで、「減速」というざっくりとした言いかたを、現在の社会や技術革新の状況を端的にあらわすものとして、これからも使っていきます。


科学の発展も減速している?


そして、以上みてきたように「技術革新の減速」が起こっているのだとすれば、その根底に「科学の発展の減速」があることも推測できます。

現代の技術は、科学的な発見を現実の問題解決に応用するという意味で、まさに「科学技術」です。「近現代の技術革新は科学研究の発達をベースにして行われてきた」というのは、たしかにその通りでしょう。技術革新の減速は、科学の減速と当然結びついているはずです。

しかし、「科学の最先端の発展状況(減速しているのかどうか)」というのは、私にはとくに手に負えない、高度な専門知識を要するテーマです。現代科学の状況については、この小論で踏み込むことはむずかしいです。

これに対し、技術の進歩は、その成果を具体的な現象や数量(不可能だった何かが可能になった、高速化や省力化が進んだ等)で把握できるので、専門的なことはわからなくても、それなりに論じることが可能なのです。

ただし、現代おける「科学の減速」を主張する専門家も、やはり存在します。2023年に、アメリカのミネソタ大学などの研究チームは、学術誌『ネイチャー』に「科学技術の進歩は鈍化している」とするレポートを発表しました(2023年1月4日掲載)。

このレポートは、「この数十年はきわめて急速だった科学研究やイノベーションの発展が、近年は漸進的になり、革新性が薄れていること」を論じています。研究チームは、1945年~2010年の間に発表された約4500万件の論文と390万件の特許やその引用ネットワークを調査しています。

そして、DNAのらせん構造の発見のような、それまでの研究を陳腐化させてしまう革新的な研究は、1945年以降はしだいに減少し、一方で既存の知識を組み合わせたり、補強したりする傾向が強まっているというのです。ただ、その理由は不明だといいます(レポートを紹介した記事を筆者・秋田が要約、以下同じ)。

これは、ここまでこの小論で技術革新について述べた、「根本的な革新から、応用的な改良へ」という変化と同様の動きといえるでしょう。

「科学研究は減速している」という主張に対しては、「最近でも大きな発見や革新はある」といった反論があり得るでしょう。

これについては、ミネソタ大などの研究チームは、「革新的な科学研究が減少して、漸進的になったとしても、そこからブレイクスルー(大きな成果)が生まれることはあり得る」と述べています。

たとえば、近年の新型コロナウイルスのmRNAワクチンの開発や重力波の発見は、その分野の研究が漸進的になっているなかで生まれた、画期的な成果であると。ただし、そのようなブレイクスルーの頻度は、研究が漸進的になれば、やはり低下せざると得ないと、研究チームは主張しているのです(科学研究の減速については、Forbes Japan「議論を呼ぶ「サイエンスの停滞」を示すレポートがNatureに掲載」2023年1月16日付)。

(第5回へ続く)
第5回は、人口の減速について。世界人口の増加ペースは、この数十年で緩やかに低下しています。将来の世界人口についての最新の予想は、以前よりも下方修正され、「2080年代に104億人でピークをむかえ、2100年までは横ばい」とされているのです。


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