レーニン・「革命」を発明した男【手のひらの偉人伝20】
ロシア革命(十月革命、1917)を指導し、初の社会主義国家・ソビエト連邦を建国したレーニン(1870~1924)。レーニンはペンネームで、本名はウラジーミル・ウリヤーノフです。
革命以前のロシアは、皇帝が支配する専制帝国でした。レーニンは、その下級貴族の生まれです。しかし、17歳のとき、大学生の兄が皇帝暗殺の企てに関与したとして処刑されて以降、ロシア帝国を憎むマルクス主義者になります。
レーニンは秀才でした。最初に入った大学は、彼の学生運動や兄の件の影響で退学になりますが、20歳の時には、名門ペテルブルク大学の卒業検定試験に首席で合格。
その後弁護士になりますが1年半で辞め、革命の活動家に。20代の終わりには、3年余りのシベリア流刑にもなっています。彼の活動を、実家の母親や同じく活動家の妻が金銭面も含め支えました。
流刑から釈放後、彼は西欧に亡命。1905年にロシアで第一革命というクーデタ(結局は鎮圧)が起きた際に一時帰国したほかは、1917年まで西欧で活動します。
1917年には、参戦した第一次世界大戦が泥沼化し混迷するロシアで、レーニンとは別勢力による革命が勃発し、皇帝による支配は崩壊。その動乱に乗じ、レーニンは権力奪取に成功したのでした。
革命に至るまでのぼう大な読書や著作、論争を通じ、彼は「自分だけがマルクス主義という“真理”を完全に理解した」と確信していました。
そんな全能感を持つ知識人が、権力を得たらどうなるか。
レーニンは、多くの革命家が抱く「民衆とともに」という理想を否定し、独裁に徹しました。そして、旧体制の支配層を大量処刑し、ときに庶民も容赦なく弾圧。強制収容所という恐怖の施設を生んだのもレーニンたちです。
レーニンは自分の理想国家建設の理論に、全てを従わせようとしました。そして質素な服装で贅沢もせず、1日十数時間働き続けた……
毛沢東などの、のちの革命家の多くはレーニンを手本にしました。レーニンは、20世紀の革命を発明したのです。
しかし、レーニン流の革命は恐怖の独裁国家を生み、今ではその多くが崩壊しました。彼は巨大でしたが、多くの問題の根源だともいえます。
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*古今東西の偉人を数百文字で切り取って紹介した記事を、その都度思いつきでアップしています。
(参考文献)
ロバート・サーヴィス『レーニン(上・下)』岩波書店、2002年(タイトルの写真は同書による)
エレーヌ・カレール=ダンコース『レーニンとは何だったか』藤原書店、2006年
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