きみだけが知らない歌(9)最終話|小説
前回のお話
8.あおいと文乃
9.兄弟喧嘩(最終話)
翌々日。俺は先日の件と自身の報告を兼ねて志波田医院を訪れていた。
あの後、央里さんから電話があったらしく、俺が報告するまでもなかった。央里さんは、吉田君に千秋あおいの話が出来たと、それは嬉しそうに話していたそうだ。後日親子で央里さんの会社を訪れ、彼女が大切に保管していたよしんば千秋の遺品整理をする約束をしたらしい。
これを話している志波田先生も嬉しそうだ。
俺はこの一件で疑問に思ったことを訊ねてみた。
「先生。吉田君がよしんば千秋の歌を聴いて気持ち悪いと感じたのは、私と同じなのでしょうか?」
「引退騒動で病んだ彼女の気持ちがお腹の彼に伝わって、彼女の歌に拒否反応を起こしたということかい?」
「赤ん坊の頃も、よしんば千秋の歌を聞かせると泣いていたそうですし、そうかなと......」
「母体の精神状態が穏やかであることが好ましいのはわかるよね。胎教にいい音楽があるくらいだからその逆もある。そう考えると、その可能性はあるが、あくまで母体の話だからね。お腹の子供にどこまで影響するかは、彼がお腹にいた頃を覚えていて、話を聞けない限りわからんよ」
「それはそうですね……」
俺でさえ覚えていないのに無理な話だった。
真相は記憶の奥深く...。確かめようがない。
会話が途切れたところで、ラジオが流れていることに気づいた。
「先生もラジオを聴かれるのですね」
「さっきまで生徒さんが出演されていたんだよ。声が出せなくなって一度は引退も考えた時期もあったが、根気よくリハビリを続け復活されたんだ。復帰後初めてラジオに出るから是非聞いてくれと連絡をもらったんだ」
「それは嬉しいですね!」
「彼が望んだ結果になって本当に良かった。関わらせてもらったことに感謝してるよ」
先生は満足げな表情を浮かべていた。医者でボイストレーナーという一風変わった肩書は、先生にとって必要で、最も理想的なのだ。自分にしか出来ないことをヤル、という気持ちが少しわかる気がした。
「ところで、治ったと言っていたが、原因は何だったのかね?お兄さんと話したんだろう?」
「それがですね... 。小学校にあがる前まで、大学生の兄とその友達に混ざって遊んでいたのは間違いありませんでした……」
「ん?気分がすぐれないのかね?」
「いいえ、そうではありませんが。話さないとだめでしょうか?」
「君は私の患者だよ。困るねー、正直に話してくれなくては」
気が進まなかったが、先生が真摯に向き合ってくださることは、この一件でよく分かったので正直に話すことにした。
「当時、兄たちの間で大人気だったのがよしんば千秋でした。女性の間では彼女の髪型やメイクや衣装を真似ることが流行っていたらしく、そうした女性をよしんばギャルと呼んでいたそうです…。兄たちは、私に手作りの衣装を着せ、メイクを施し、私を彼女に見立ててよしんば千秋ごっこをしていたらしいのです」
ここまで話したところで先生は肩を震わせ笑いを堪えていた。
「もう、先生!」
「すまない。でも可愛いい話じゃないか」
「そうなんです。兄たちが喜んでくれることが嬉しかったのだと思います。嫌がるどころか進んでやっていたらしいです。まったく記憶にないので兄の話をそのまま信じれば、ですが……」
「すると、お兄さんとの間にトラウマになるような出来事はなかったということだね」
「はい。小学校にあがってから、よしんば千秋ごっこを嫌がるようになったと言ってたので、先生がおっしゃっていたように、同級生にからかわれたのだと思います。これも記憶にないので確信はありませんが可能性は高いと思います」
先生は腕を組み目を細めた。
「するとおかしいな…。君はよしんば千秋を知っていた。お兄さんとの関係も悪くなかった。同級生にからかわれたのが原因かもしれない。ここまではお兄さんと話しをする前と何も変わっていない。話の中に君の気持ちが変わるところはどこにもない。それなのに症状は治まったって変じゃないか?」
「私の気持ち…ですか…」あの日のことを思い返してみる。
「関係あるかわかりませんが、話をしている最中、兄がずっと大笑いしているものでだんだん腹が立ってきました。ラジカセを譲ってくれとお願いすると5000円と言い出した兄にキレてしまいまして『兄貴のせいだろが!』と言ってラジカセを奪って兄の家を出ました」
「もしかして、これまでお兄さんと喧嘩したことがないとか?」
「言われてみれば喧嘩らしい喧嘩をした覚えはありません」
「同級生にからかわれた君は、やり場のない気持をお兄さんにぶつけることが出来なかった。『兄貴のせいでバカにされたじゃないか』という一言が言えなかった。そうは考えられないかい?」
「じゃあ、あの時キレたことで、その気持ちが晴れたということですか!?勘弁してくださいよ、先生…」
「大人が思う以上に子供は敏感に感じ取っている。お兄さんが悪いと心底思えなかった君は、我慢してしまったんじゃないか。物わかりのいい子ほど抱え込むからね」
思い返してみる。兄と話していつも思う。男兄弟はこんなもんだろうという気持ちは、諦め?妥協?遠慮?そんなつもりはなかったが、真正面から兄貴に向き合ったことはなかったかもしれない。
「確かに兄貴に気持ちをぶつけたのはあれが初めてかもしれません…」
「兄弟喧嘩はしておくものです」そういって先生は微笑んだ。
「それにしても、会ったことがない君まで、二十年以上も呪縛を抱えることになるとは、よしんば千秋は凄いね」そう言って先生は笑った。
「本当に凄い人でした」俺も笑った。
* * *
そろそろ帰ろうと上着に手をかけた時、コンコンコンというノックに続いて、聞き馴染みある声がした。
「先生、大元です」
「どうぞ」
「なんで大元が?」
「先輩もいらしてたんですか。今日は先生と打ち合わせです」
「何の?」
「私が先生の体験レッスンを受けて記事にさせていただこうと思って。面白そうだとは思いません?」
「そうだな。良い着眼点だと思う。頑張れよ。じゃぁ俺は帰るわ。先生お世話になりました」
そう言って立ち上がろうとして大元に呼び止められた。
「あっ、先輩! あ・と・で、の続き、まだ聞いてませんけど。お兄さんとお話できたんですよね?」
そうだった。俺は急いで上着をとり素早く袖を通した。
「やはり兄貴たちに混ざって遊んでたらしい。それがトラウマだったんだ。納得した俺の症状は治まったというわけだ。先生が言ってた通りだった」
大元が志波田先生をちらりと見た。
「A-Ha?それだけじゃなさそうですね。全部話してくださいよ」
大元の勘の良さはこういう時厄介だ。全部話したら俺をいじるネタにするに決まってる。どう切り抜けようか考えていたら……、
先生が大元に耳打ちしていた!
先生待って!と言うよりも先に大元が詰め寄ってきた。
「先輩!!!よしんば千秋ごっこってなんですか?!」
あぁぁぁー最悪だ!!!!!
「よしんばギャル、って女装したんですよねぇ?ねぇ?」
「知らん!」
「写真は無いんですか?写真!ねえ先輩!」
「知らん!知らん!」
志波田先生は「お二人は本当に仲が良い」と言って笑っていた。
油断した!今更だが先生に甘い顔を見せてはダメだった。
「お兄さんはきっと写真持ってますよね!」
「そんなもん無かった!」
振り切って出口に向かおうとするが、大元は俺の袖を掴んで離さない。
最悪の展開だ!悪夢だ!
いっそのこと、全部夢でした!ってオチにしてくれ!
誰も聴いてないラジオからは、今巷で流行っている『世界に一つだけの花』が流れていた。
(きみだけが知らない歌・完)
エンディング
ー Spacial Thanks ー
青豆ノノ 掌編小説|アングラ歌謡祭
この物語はフィクションです。
実在する人物・団体とは一切関係ありません。
0.君はよしんば千秋を知っているか?
1.僕だけが聴けない歌
2.音楽と記憶
3.過剰防衛
4.事情を知る人物
5.央里文乃
6.よしんば、揃ったとして
7.千秋あおい
8.あおいと文乃
9.兄弟喧嘩(最終話)
主な登場人物
悠大 達人(ゆうだい たつと:男性):
この物語の主人公。フリーの音楽ライター。
大元 彩子(おおもと さいこ:女性):
音楽雑誌の出版社に務める編集者。悠大とは先輩後輩の関係。彼がフリーになってからも先輩と呼び慕っている。
志波田 一尉(しばた いちい:男性):
志波田医院のオーナーにして、自称ボイストレーナー。業界の重鎮。
央里 文乃(おうさと ふみの:女性):
大手タレント事務所ビートニクの社長。よしんば千秋の元マネージャー。
吉田 公輝(よしだ こうき:男性):
よしんば千秋の長男。遺品整理をして見つけたカセットテープがきっかけで母が歌手だと知った。悠大が連載している音楽雑誌の読者。
吉田 輝海(よしだ てるうみ:男性):
吉田公輝の父親で、よしんば千秋のパートナー。
よしんば千秋(よしんばちあき:女性):
1970年代後半に活躍したアングラ界の歌姫。
吉田公輝の母親。彼が一歳の時に他界。
本名 吉田あおい、旧姓 千秋あおい。
杉田(すぎた:男性):
ジャズバー『恋猫』のマスター。よしんば千秋の親衛隊1号。
親衛隊2号の吉田輝海とは、千秋のハートを射止めるため争った仲。
TALES版(創作大賞2025 エンタメ原作部門にエントリーしています)
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甘いの辛いの大好物です!
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