旅の仲間たちへ ─ SPAC新作『うなぎの回遊 Eel Migration』WIP速報
こんにちは。張藝逸です。東京藝術大学の博士課程で越境する演劇を研究しながら、SPAC(静岡県舞台芸術センター)でインターンとして活動しています。
このシリーズでは、SPACの新作パフォーマンス『うなぎの回遊 Eel Migration』の創作過程を記録しています。産卵のために何千キロもの旅をするうなぎの生態と、1990年代以降に海を渡り静岡に根を下ろしたブラジルにルーツを持つ人々の人生を重ね合わせながら、約2年のフィールドリサーチをもとに生み出されたこの作品に向けて、WIPまでの4回では、作品に関わる「人たち」(第1回)、「音楽」(第2回)、「うなぎ」(第3回)、そしてWIP直前の「場所」(第4回)についてお伝えしました。「SHIZUOKAせかい演劇祭2026」での世界初演まで、引き続きこのシリーズをお届けしていきます。
今回は速報です。2月28日と3月1日、浜松科学館みらい~らでワーク・イン・プログレス公演(WIP)が行われました。WIPとは、制作途中の作品を観客の前で上演する、いわば創作の中間報告です。旅の途中を温かく見守ってくださったすべての皆さまへ、感謝を込めて、2日間の記録をお届けします。

開演前、台本・演出の石神夏希が観客に語りかけました。「演劇は観客がいることで成り立つものです。やっていること、そのプロセス、つまり旅の途中を、多くの人にシェアしたい。今日ここにいる皆さんは、この旅に参加している仲間です」。その言葉を胸に、幕が上がりました。
渦の中へ
照明の樋口正幸と音響の和田匡史のフルパワーによって、科学館のホールは劇場へと変貌していました。その空間を支えるのは、舞台監督の下田寛典と演出部の降矢一美です。客席は舞台美術デザインの佐々木文美が設計した渦巻きの形に組まれ、観客はメイン舞台をぐるりと囲むように座りました。渦の外側には、サブ舞台「サントスの台所から」が広がっていました。アンジェラと貴島豪が、実際にキャロットケーキの生地をつくっています。客席から「レシピを配ってほしい」という声が上がるほどの臨場感でした。

衛生上の理由から当日の配布は断念しましたが、アンジェラが生地を持ち帰り、翌日の公演前に焼き上げてきてくれました。できたてのケーキは2日間の観客の前にその姿を見せることができ、プロジェクトメンバーたちで毎日シェアしました。舞台で生まれたものが外へ出て、また戻ってくる。この作品の「循環」というテーマと、静かに響き合う出来事でした。本公演では、皆さんと一緒に食べられることを願っています。

音響にも工夫がありました。反響の少ないこの会場に合わせて、楽器エリアにマイクを設置し、その音を会場四隅のスピーカーから流す構成をとりました。開場前、客席がまだ空の状態で稽古を見ていると、いつもどこか空気が冷たかった。エアコンの風でテーブルのシートが常にひらひらと舞っていました。音楽家の棚川寛子とSPAC俳優の森山冬子から、「冷たい空気の中では音がきれいになる」という話を聞いていました。入場前にあえて温度を下げておくことで、観客が快適に鑑賞できる環境と音の美しさが、同時に成り立っていたのです。鉄琴の澄んだ音、鼓の響き。それらが科学館のホールをゆっくりと満たしていきました。
アンケートでも多くの観客が音楽の力を真っ先に挙げ、「音楽が循環している」「心に響く」という言葉が並びました。第2回でお伝えした、楽譜を使わず互いの音を聴き合うことで生まれる音楽が、客席にもしっかりと届いていたのです。渦の中心から広がるように、音もまた、この空間に集まった仲間たちを包んでいました。

ブラジル友だちチケット
今回のWIPでは、制作チームの坂中季樹と佐藤飛子から「ブラジル友だちチケット」という特別企画が用意されていました。
浜松市は、日本で最も多くのブラジル人が暮らす都市のひとつです。1990年代の入管法改正以降、日系ブラジル人を中心に多くの人々が働く場を求めてやってきました。現在も市内には約1万人のブラジルルーツの人々が暮らしています。第1回でも書いたように、『うなぎの回遊』は、そのコミュニティとともに作られた作品です。
公共劇場であるSPACが「誰のための劇場か」を問い直すとき、第1回でご紹介した石神の言葉が浮かびます。「劇場に足を運ばない人と出会いたい」。「ブラジル友だちチケット」は、その問いへのひとつの答えでした。ブラジルにルーツがある人だけでなく、「何かしらのつながり」があれば誰でも使える割引チケットです。ブラジルのフェスに行ったことがある、友だちにブラジル人がいる、カポエイラをやったことがある、サンバが好き。どんなつながりでも構いません。来場者はボードに自分とブラジルとのつながりを書き込み、その言葉の前で写真を撮る人もいました。今回のWIPでは字幕の設置はなかったものの、ポルトガル語訳の脚本も用意されました。


言語の壁や距離によって、普段は劇場から遠ざかっていた人たちの姿がそこにありました。旅の仲間は、劇場の外にもいたのです。「演劇鑑賞でこんな体験ができるとは思わなかった」「異文化交流ともいえた」。アンケートに残されたそんな言葉が、それを証明していました。
科学館という舞台
劇場ではない場所で上演するということは、その場所とともに作品を作るということでもあります。ゲネプロ(本番と同じ条件で行う最終リハーサル)の日、浜松科学館みらい~らの上野さんが見にきてくれました。本番さながらにすべてが動き始めたそのとき、舞台道具を運ぶ場面で、出演者の髪が静電気で立ってしまうというハプニングが起きました。稽古場では一度も起きなかった問題です。スタッフが頭を抱える中、上野さんはすぐに笑顔で答えてくれました。「入場前に、後ろのパーテーションに触れて放電するといい。整髪料も効きますよ」。「これは科学の力だ」と、その場の全員が喜びました。想定外のことが起き、その場所にいる仲間の知恵が助けてくれる。上野さんもまた、旅の仲間でした。
公演後、上野さんからメッセージが届きました。今回の公演をきっかけに初めて科学館を訪れた方が多かったこと、科学館がアートの発信拠点となった意義と価値を広く伝えられたこと。第4回で「会場が科学館であることには、もうひとつの意味がある」と書きました。アートが科学館へやってきて、科学が舞台裏を助け、それまで科学館に来なかった人たちが扉をくぐり、互いを変え合う2日間でした。
WIPは、その「始まり」が観客と出会うときです。SPAC俳優の赤松直美、貴島豪、森山冬子、吉見亮。ブラジルにルーツを持つ県民出演者の相川アンジェラ、アイラ・ウェンディ、ペレイラ・ハセヤマ・クレイデ、矢野陽規。音楽の棚川寛子。そして石神夏希をはじめとする創作チームが、浜松科学館で待っています。

「私、呼ばれている」
WIPでは公演後にアフタートークが行われ、ブラジルにルーツを持つ県民出演者4人が、自分の言葉で観客に語りかけました。

アイラ(アイラ・ウェンディ)は、子どものころからずっと歌や演技に憧れていたと話しました。大人になって、大好きだったことはいつの間にか遠くなり、表現する機会も失われていた。ある日、自分の住む団地でSPACのチラシを見つけた。「私、呼ばれている!」と思って応募したといいます。参加してみると、自分でも知らなかった面が引き出されていきました。「やるよ、できるよ」「できたじゃん、すごいね」。そう言ってもらえることで、自分の中にあるとは知らなかったものが表に出てきた。

アンジェラ(相川アンジェラ)は、母国語ではない言語で演じることの難しさを語りました。心の中ではポルトガル語で考えて、表現は日本語で出す。その切り替えがとても難しい。それでも「子どもたちにもいい刺激になれば」と、楽しんで参加していると話しました。

クレイデ(ペレイラ・ハセヤマ・クレイデ)はポルトガル語で語り、通訳の宮本ルーカスがその言葉を日本語へ届けていきました。ブラジルポルトガル語手話を使う教師として言葉以外の表現に関心を持っていたこと、日本に来てからは言語の壁があってその機会がなかったこと。SPACのチラシを見て応募したら、まさか自分が舞台に立つとは思っていなかった。「日本語が話せない」と伝えたら、「大丈夫、助けるから」と言ってもらえて、参加を決めたと話しました。

ハルキ(矢野陽規)は、台本を一人で覚えることの難しさを語りました。今までは親に手伝ってもらっていたけれど、今回は一人で頑張った。「思った以上に自分でも頑張れるんだなって、改めて知りました」。
アンケートでは、4人の存在感に心を動かされたという声が相次ぎました。「輝いていた」「迫力があった」「キラキラしていた」。静岡に暮らすブラジルルーツの人々がアートの主役として舞台に立つ意義を感じた、という言葉も寄せられました。

やがて観客の質問によって話題がうなぎへ移ったとき、4人の答えはそれぞれ違いました。アイラは「うなぎとブラジルの移民?」と最初は不思議に思ったけれど、話を聞くうちに「接点がたくさんある」と気づいた。ハルキは「教科書でうなぎの回遊は読んだことあるけど、ブラジルのことは一言も書いてない」と笑いました。クレイデは、稽古を重ねるうちにうなぎと移民のつながりを感じていったと語ります。
“Pessoas que vão, voltam, depositam seus filhotes, seus ovos em algum lugar e retornam, voltam para buscar…”
(行って、帰って、卵をどこかに置いて、また迎えに戻る……)
アイラが演じる劇中の台詞が、その場の空気を変えました。
「うなぎは生まれる場所は選ばない、死ぬ場所も選ばない」
「そうだ、私たちもそうなんだ」
いつどこで生まれ、いつどこで死ぬのか、本当にうなぎのように選べない。
「その言葉にすごく刺されました」
アフタートークが終わると、出演者とブラジルの友だちが抱き合っていました。言葉よりも先に、体が動いていました。
旅はまだ途中です
『うなぎの回遊 Eel Migration』は、「SHIZUOKAせかい演劇祭2026」にて世界初演を迎えます。浜松科学館の渦巻きから、SPACの拠点の1つである野外劇場「有度」へ。場所が変われば、作品も変わります。次回は、WIPを経て稽古場がどう変わったのか、出演者やチームの声をお届けします。
最後に、WIPの実現に力を貸してくださったすべての方に感謝を伝えたいと思います。浜松科学館みらい~らの皆さま、通訳の宮本ルーカスさん、ご来場いただいた観客の皆さま、そしてこの創作を支えてくださっているすべてのスタッフの皆さま。ありがとうございました。
石神が開演前に語ったように、この旅はまだ途中です。そして、このシリーズを読んでくださっている皆さんもまた、旅の仲間です。これからも見守ってください。

公演情報
世界初演|SHIZUOKAせかい演劇祭2026
『うなぎの回遊 Eel Migration』台本・演出:石神夏希
日程:2026年4月25日(土)、26日(日)、29日(水・祝)各日18:30開演
会場:静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」(静岡市)
上演時間:90分(予定)
言語・字幕:上演言語/字幕:
日本語上演(一部ブラジルポルトガル語)/日本語・英語・ブラジルポルトガル語字幕
チケット・詳細はこちらをご覧ください。
*関連企画
フェスティバルcafe&bar ― Festa Brazil(ブラジル・ナイト)
4月25日(土)、26日(日)15:00~22:00
4月29日(水・祝)12:00~22:00
会場:せかいの劇場ミニミュージアム「てあとろん」
