263.【小説】ぐるり、左 ― 遠回りのあとで ―⑧
第8章:秋葉原・神田 - 混ざらない街 -
秋葉原の駅を過ぎるとき、私は少しだけ目を細めた。
眩しいわけじゃない。
ただ、目に入るものが多すぎて、どこを見ればいいのかわからなくなるのだ。
新しいガラス張りのビル群。
古びた電気街の雑多な看板。
メイド喫茶の呼び込み。
海外からの観光客。
アニメのフラッグ。
つくばエクスプレスで集まる地方の若者たち。
それぞれが、それぞれの世界を生きていて、交わることはない。
でも、それを誰も気にしていない。
ビルの反射に、フラッグと自販機と制服姿が同時に映る。
映り込んだすべてが、互いを気にしないまま、そこにあった。
主張することが、当たり前の街。
そして、混ざらないことが、むしろ“文化”として成り立っている街。
以前の私は、ここが苦手だった。
主張が強すぎて、自分の輪郭が溶けてしまいそうで。
でも今は少し違う。
ここにいる人たちは、ちゃんと“ここにいる”。
それだけで、十分なんだと、ようやく思えるようになった。
周囲のノイズの中で、少し深く呼吸してみた。それだけで、自分の場所が見えた気がした。
神田に入ると、空気が変わる。
そば屋とカレーの匂い。
昼間のサラリーマンたちの会話。
そして、ひっそりと建つニコライ堂の異国のドーム。
こちらもまた、誰にも気づかれずに、ただ在る。
主張しないことで、逆に存在が際立つ街。
白い壁と緑青の屋根。
その沈黙が、かえって記憶に残った。
東京は、きっと“混ざる”ことを前提にしていない。
それぞれが、それぞれのままで、 ただ並んで、すれ違って、それでも街は動いている。
私はそのどこにも属していないけれど、 でも、今の私は、それを怖いとは思わない。
窓の外、秋葉原と神田の境界が流れていく。
誰にも気づかれず、それでも確かに“ここにいる”ということ。
それが、今の私の輪郭だった。
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