189.【小説】金胎記 其三-おおこがね様を巡る三代記-(神代編)
【第3章:神が語られはじめる】
――昭和二十一年初春、神深村・薬師堂
正月が過ぎ、雪がまだ残る参道を、村の女たちが列をなして歩いていた。
皆、紙包みを手に、まるで“お百度参り”のように静かに歩いていた。包みの中には塩や米、時には五円玉が包まれている。
その先、薬師堂。
布を被った“おおこがね様”の前で、弥生が正座して祈っていた。
「皆さま、ありがとうございます。……今日も、神様にお伝えします」
彼女は振り返り、にこやかに言った。
それは、誰にも否定できない笑顔だった。
最初はただの“奥さん”だった。
だが村人たちは次第に彼女を“語る人”として扱い始めた。
「弥生さまは、夢で神様のお声を聞かれたんやと」
「病人を祈祷で治したらしい」
「おおこがね様に、触れんでも、伝わるんやと」
噂は、言葉にされることで信仰になった。
弥生が自ら奇跡を語ったことはなかった。
だが、語られたものが“信じたい者たちの中”で真実になっていった。
信吉は、堂の裏手に畑を耕していた。
小さな鉈と鍬を持ち、無言で作業を続ける。 一日一回だけ堂に顔を出し、灯明を替え、水を供える。
祈りの声は上げない。
弥生が語るたび、信吉は少しずつ、言葉から遠ざかっていった。
「始めたのは、わしじゃない。……ただ、止めることも、できなかった」
子どもたちが「おおこがね様の唄」と呼ばれる謎の節を口ずさみ、祠には布や草履が奉納され、矢萩の支援で奉納帳が作られた。
その名には《御黄金講(おおこがねこう)》と記された。
村人たちはそれを誇らしげに読み上げ、名を連ねていった。
矢萩栄一郎が再び訪れた。
「おめでたいことですな。
……人が動くというのは、商いでも信仰でも、原理は似たものです」
彼は既に、村外の資産家や米問屋と接触し始めていた。
「御黄金講として体裁を整えましょう。
奉納帳も公的にし、講社名簿を作るべきです」
信吉は頷くことも、否定することもしなかった。
弥生は隣の部屋で静かに灯明を替えていた。
——だが、その姿にも、少しずつ異変が見え始めていた。
朝の祈祷では、まるで台詞のように抑揚がつき始め、口調は丁寧でありながら、どこか“自分に酔う”色が差していた。
「おおこがね様は、静かに見ておられます」
「わたくしたちが正しくある限り……必ず、光が降ります」
村の者たちは、その語りを静かに受け入れた。
「弥生さまには、神が宿っとる」
「口調が変わったのは、神の声が入りはじめたからや」
誰もが、それを“良い変化”として受け止めていた。
その夜、囲炉裏を挟んで、弥生が言った。
「今朝……声がしたの。
堂の奥から、静かに……“授かれ”と。
……“おおこがね様の子を、この世に授かれ”と」
その言葉に、信吉は少しだけ、箸を置いた。火の粉が、ひとつ舞った。
「……そうか」
それだけを言って、再び味噌汁を啜った。
信じてはいなかった。
だが、信じているふりをしている自分が、確かにいた。
数日後、薬師堂の外に、白木の札が立った。 《御黄金講(おおこがねこう)》と墨で書かれた札の下には、小さな金の輪の印が彫られていた。
それは、“おおこがね様”を象徴する唯一の“形”になった。
「……これは、誰の手だった? 弥生か。村人か。あるいは──わし、か」
「……もう、止まらんのだな」
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