258.【小説】ぐるり、左 ― 遠回りのあとで ―③
第3章:渋谷 - 眩しかった日々 -
渋谷駅を出ると、109の光がいつも視界の端に入ってくる。
若者の街。
そう言われて、私はどこかで一歩引いていた。
自分は“そっち側”じゃない、と思い込むことで、少しだけ大人になった気がしていた。
社会人になって、渋谷で働くようになった。
流行の最先端。
人混み。
スピード。
競争。
すれ違う誰もが、目的を持って速く歩いていた。
その中で、自分の足音だけが少し遅れているような気がした。
私がよく歩いていたのは、宮益坂だった。
駅前の喧騒を抜けて、少しずつ静かになっていく坂道。
あの通りには、どこか安心感があった。表参道に向かう途中の、背伸びしすぎない都会。
雑踏の音が後ろに遠のいて、代わりに風の音が聞こえた。カフェの軒先の灯りが、街を柔らかく照らしていた。
昼休み、会社の先輩とカフェで打ち合わせをした。
夜、デザイナーと合流して深夜まで作業した日もある。
終電を逃して歩いた帰り道、コンビニで買ったおにぎりを、ビルの影で食べたこともある。
人気のない歩道に、ヒールの音だけが響いた。高層ビルの窓には、いくつかの明かりがまだ灯っていた。
きらびやかなはずの街が、時折ひどく無口に見えた。
でも、そんな渋谷が私は嫌いじゃなかった。
今思えば、あの頃の私は、まっすぐだった。
不器用で。
空回りして。
よく泣いて、よく笑っていた。
周囲の期待に応えたかったし、自分にも勝ちたかった。
そんなふうに頑張っていたことを、いまの私は、少しだけ羨ましいと思っている。
過去の自分が、どこかのガラスに映っていたら、きっと声をかけてしまうと思う。
「そのままで大丈夫」って。
あの頃の私は、“前だけを見ているつもりの横顔”で、都会という鏡に、自分の姿を必死に映していたのかもしれない。
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