250.【小説】家名と血-百年の呪縛-⑥
第5章 継ぐ女、沈む男
義詮(よしあきら)が帰国してから、5年後、東京の郊外にある、神崎原家の別邸にて、ひっそりと隔離されるように移された。
理由は明かされなかった。
だが、誰もが知っていた──彼がもう“家”のためには、使い物にならないと判断されたのだ。
かつて筆を握り、名も知らぬ女の横顔を描き、パリのカフェで自由を味わった男は、今や言葉を失い、ただ静かに天井を見つめるだけの存在となっていた。
その姿を、義隆は一度だけ、無言で見下ろした。
「血は、選ぶものではない。使うものだ」
その言葉の後、神崎原義詮は正式に“廃嫡”とされた。
代わりに呼ばれたのは、妾腹の娘──佳代だった。
佐和の娘として人目を避けて育った佳代は、すでに二十代半ば。実家で母の看病と経理の補佐をしていた。
父からの呼び出しに応じて、東京に上がった彼女は、義隆から企業資料を渡された。
翌朝にはすべての収支と事業構造を頭に入れていた。収益率、支店ごとの人件費比率、官公庁との取引条件──彼女は単に数字を覚えたのではない。
「企業が何を武器に生き延びてきたのか」を把握していた。
「おまえにできるか?」
「継げと言われたのなら、継ぎます。家のために」
そう答えた佳代の目は、義隆のそれと酷似していた。
その年の秋、義隆は佳代の縁談をまとめた。相手は政商・平松家の次男。
格式と財力を兼ね備えた家との“再編”とも言える政略だった。それは婚姻であると同時に、資本と信用の“統合”でもあった。義隆は、娘を通じて神崎原の企業体を“更新”したのだ。
佳代は迷いも怒りも見せなかった。
ただ、静かに結婚の席に着いた。
「家を守るとは、こういうことなのですね」
そう言った彼女の横で、夫となった男は、少し目を伏せた。
婚姻届けが受理された日、義隆は最後の力で、彼女を正式に四代目当主に据える手続きを終えた。
記録上は「神崎原 佳代」が神崎原家の正統後継者となり、義詮の名は系譜から外された。
その知らせを聞いた佳代は、誰にも何も言わず、東京郊外の別邸を訪れた。
沈黙の男──義詮は、やはり天井を見つめていた。
佳代は彼の横に座り、ただ一言だけ呟いた。
「継ぎます、兄さん。あなたが継げなかったものを、私が。」
芸術も、自由も、名も。どれも否定しない。だが、この“構造”は、誰かが引き受けねばならない。それが“継ぐ”ということだと、私は知った。
答えはなかった。
だが、その沈黙こそが、神崎原家の継承の音だった。
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