251.【小説】家名と血-百年の呪縛-⑦
第6章 託されし血、継がせぬ名
佳代が平松家の次男と結婚したのは、政略としても、家の安定としても“成功”と見なされていた。
相手は温厚で聡明、事業への理解もあった。
だが、神崎原の“血”は、静かに崩れ始めていた。
結婚から数年、佳代は妊娠する。
しかし、出産直前に死産。
医師の診断は残酷だった──「再びの妊娠は極めて困難」。
神崎原 義隆は激怒した。
「名が絶えるぞ」
それは父としての嘆きではなく、企業体“神崎原”がブランドとして消える危機への焦りだった。
その言葉に、佳代は何も言わなかった。ただ、唇を噛んで立っていた。
やがて平松家との関係は軋み始める。両家の婚姻は、血縁というより“企業統合”の色が濃かった。そして統合とは、数字ではなく、後継によって完結するものだった。
「我が家の嫡流を、このまま終わらせるわけにはいかない」
平松家当主が、表に出てきた。
一方で、夫もまた苦悩していた。
「君を選んだのは僕だ。だが、継ぐ者がいなければ、家に帰れと言われている」
そして、神崎原家の屋敷にて、佳代と夫は、最後の会話を交わす。
「私は、家のためにあなたを選んだ。でも、あなたは、家のために私を手放すのね」
「君が子を産めるなら、こんなことにはならなかった」
その夜、離縁の手続きが始まった。
義隆はすでに決めていた。
「義詮(よしあきら)の子を呼ぶ」
義詮が帰国してから、十年が経っていた。形式的には病と静養の名目だったが、実際には、彼は屋敷の奥に静かに“封じられて”いた。
その間に、カミーユとの間に生まれた息子──信一(ルイ)は、すでに十歳になっていた。
パリ・モンマルトルの古い石造りのアパルトマン。
カミーユは痩せていた。長く患っていた肺の病が進行し、信一に触れる手も弱かった。
「日本に行きなさい、ルイ。あなたの父の国。あなたの祖父の家」
「僕はここで絵を描きたい」
「その絵を、そこで描きなさい」
彼女は、義詮の遺した唯一の絵を包み、小さなトランクに入れた。
その背で、アトリエの壁に描かれていたのは──
父と、母と、幼い頃の自分の絵だった。
日本に降り立った信一──ルイは、十歳だった。
佳代と初めて会った日のことは、彼は後にこう語っている。
「寒い日でした。なのに、その人の声は暖かかった。でも、眼は氷みたいに澄んでいた」
佳代は彼を見て、何も言わず、ただ手を差し出した。
それが、五代目・神崎原信一の、日本での始まりだった。
継がれるはずのなかった名が、遠い異国で育った血によって、“再び意味を持つ”可能性を帯びた瞬間だった。
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