271.【小説】誰のせいでもない 7-ある刑事の記録-何故、佐久間修は死んだのか。
第六章 午後の光、残された絵
海沿いの町・葉山。潮の香りと緩やかな風が、午後の光とともに街を包む。
その静かな坂道を上がった先に、白を基調とした木造の建物があった。
「葉山ハミングホーム」──児童養護施設である。
玄関口には「ご用の方は職員室まで」と小さく書かれた札が下がっている。
敷地の片隅にはブランコと鉄棒、そして子どもたちの描いた絵が掲示された掲示板が設置されていた。
土曜日の午後。施設の中は、普段より子どもたちの姿が少なかった。
「今日は外部の学習支援の方々が来ていて、子どもたちは近くの公民館に出ています」と職員が説明する。
葛木は一礼して施設の中へ。
談話室の一角、壁には色とりどりの絵が飾られていた。小さな子が描いたものから、明らかにプロの手による作品まで。
「この絵です」
職員が静かに指差した。
海と空を背景に、数人の子どもたちが寄り添い、真ん中で微笑む男がいる。名前の記載はないが、葛木は一目でそれが佐久間だとわかった。
「これは……いつ頃の絵ですか」
「ちょうど二年前ですね。子どもたちの卒園記念の一つです。」
「この絵を描いた方は?」
「南波さや。もともとこの施設に出入りしていた画家さんで……。佐久間さんが支援していたそうです」
職員の言葉を聞きながら、葛木は絵の前でしばらく立ち止まった。
佐久間修。
政治家でもなく、経営者としても前面に出るタイプではなかった男が、何を残したかったのか。
その痕跡は、誰にも知られることのない形で、確かに存在していた。
職員がそっと口を開く。
「……佐久間さん、毎月一度は来てくれてました。あの人、子どもたちには自分の名前も肩書きも言わなかったんですよ。」
「何と呼ばれていたんですか。」
「“月のおじさん”って。月に一度、静かに現れては、絵を見て、子どもと遊んで、黙って帰る。だから……」
葛木は頷いた。
言葉ではなく、行動で支援を続けた男。 だが──
この絵の中の佐久間の笑顔が、果たして本当のものだったのか。
葛木はしばらく、絵の前で立ち止まっていた。
塗り重ねられた青が、空と海の境界を曖昧にしている。微笑む佐久間の表情は、どこか寂しげにも見えた。
──誰も知らなかった。
彼がここに通っていたことも、名前も名乗らず、ただ“月のおじさん”として訪れていたことも。
情報社会の中で、語られるものばかりが記憶になる。だが、本当に残るのは、語られなかった側なのかもしれない。
それを知る術は、もうどこにもない。
絵の右下に、筆跡で小さく書かれていた。
《To the one who sees tomorrow》 ──明日を見る人へ。
葛木はその言葉を、静かに心の中でなぞった。
SNS投稿より
「亡くなった佐久間氏、実は養護施設にも寄付していたらしい。マジかよ……普通に神だろ。」
「そういうのもっと報道しろよ。テレビ何やってんだ?」
「この国って本当に“死んでから評価される”のな。」
「でもさ、本当に本人がそれを望んでたのかね……」
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