見出し画像

236.【小説】Bar 3rd Friday ∣Chapter 8:Old Pal

Chapter 8:Old Pal

Old Pal

『オールド・パル』

ライ・ウイスキー、ドライ・ベルモット、カンパリで構成される、少しクセのある大人のカクテル。

名前の意味は「旧友」。

一度は離れていたとしても、また戻ってきてくれる──そんな願いが込められている。

カウンターには、有村がいた。

マスターは体調不良で休みだと、彼女から聞いていた。 代わりに、今夜は彼女が一人で店を切り盛りしている。

「今夜は……少し静かだね」

沢渡が腰掛けると、有村は笑って答えた。

「はい。月の第3金曜日だけが騒がしくなるんです」

それが自分のことだと気づき、沢渡は小さく笑った。

「うん、でも悪くないよ。この静けさ」

「そう言ってもらえると、救われます」

「それに俺も最近、第3金曜日以外にも顔を出してるし」

「そうですね。 私、沢渡さんのおかげで、随分と早く馴染めました。ありがとうございます」

グラスに注がれたOld Palは、琥珀にも朱にも見えた。

「でも……マスターがいないと、やっぱり少し心細いです」

「けど、君がいれば、もう十分じゃないか?」

沢渡の言葉に、有村は小さく首を振った。

「私、まだ何も成し遂げてないんです」

「成し遂げるって……もう充分、店を守ってるだろ」

「守ってるだけじゃ足りません。 最初はカクテルの技術だけを学べばいいと思ってたんです。でも、この店に来る人たちは、それ以上の何かを求めてる。

マスターが応えていた“何か”を、私はまだ分かっていなくて……」

言葉に詰まった彼女を、沢渡は黙って見つめていた。

有村は手元のグラスを見つめながら、ぽつりとこぼす。

「……実は、マスター、最近ずっと体調が悪くて。病院には行ってるみたいなんですが、体力的に限界が近いのかもしれません」

沢渡が顔を上げる。

「そんなに悪いのか?」

「はっきりとは聞いてません。でも、先日ぽつりと『そろそろ店を畳もうかと思ってる』って……」

「……そうか」

しばし、沈黙が落ちる。

「私、この店が本当に好きなんです。 空気も、音も、照明の柔らかさも、全部。もっとここで学びたい。でも──」

「でも?」

「私一人じゃ、足りないんです。 お客様との距離の取り方や、言葉の選び方……カクテルを作るだけじゃ足りないって、最近やっと気づきました。

この店で本当にお客さんと向き合うには、もう少し人生を知らなきゃいけない気がして」

沢渡はグラスを持ち直し、静かに訊ねた。

「誰か、継ぐ人はいないのか?」

「いません。マスターにも、その気はないみたいです」

そして、有村はまっすぐに沢渡を見た。

「……沢渡さん、お願いがあります。

マスターにはまだ話してません。
でも、もし一緒にやってくれるなら、私、ここを続けていきたいんです」

「俺に、か?」

「はい。私じゃ力不足です。でも、沢渡さんがいれば──この店を、守れる気がするんです」

沢渡は目を伏せ、琥珀色の液体を見つめた。

「俺も、若くはない。不器用だし、感情表現も苦手だ」

「それがいいんです。誰よりも、相手を気遣ってくれるところが」

有村は、はっきりと告げた。

「沢渡さんなら、一緒にやれる気がします」

その言葉に、沢渡はしばらく黙っていた。

「……考えさせてくれ」

「もちろんです」

カウンター越しの距離が、今夜は少しだけ近く感じた。

その奥では、マスターがいつも通りに整えたであろうカウンターが、まるで店の矜持を保つように、静かに光っていた。


いいなと思ったら応援しよう!

Spica∣言葉を編む ありがとうございます。 お気持ちが、大変励みになります。その、お気持ちに応えれる様な記事を引き続き作っていきたいと思います。 本当に、ありがとうございます。