386.【小説】金胎記 −矢萩三代記−〈声なき神を抱いて〉其七(矢萩編)
【第6章 教団崩壊と真相──真央の破綻と「父の正体」への気づき】
風が鳴いていた。
秋の終わり、山を包む木々の葉が、乾いた音を立てて散っていく。
その音を、真央は屋敷の奥、かつて矢萩栄一郎が過ごしていた書斎の椅子で、じっと聴いていた。
部屋の中は静まり返っていた。
かつて教団の根幹を支えていた文書の数々、寄進台帳、教義草案、信者名簿──
整然と並べられていたそれらは、いまや誰の関心も惹かず、埃を被っていた。
ただひとり、そこに座る若き“神の子”を除いて。
「なぜ、生かされたんだろうな……」
ぽつりと呟いた声が、部屋に沈殿する。
真央は、目の前の古い木箱を開いた。
そこには、かつて弥生が遺した書簡の束が、隠されるように収められていた。
――ふとした拍子に、屋敷の一角が崩れ、木箱が現れたのだった。
彼は震える指で、それを一通ずつ、読み進めた。
「……わたしには、分かりません。あの夜が夢だったのか、罰だったのか……
けれど、あなたの中に、あの人の面影を見たとき、心がふるえました。
あの方を愛してしまったことを、わたしは……一生、誰にも言えませんでした」
弥生の筆跡は、乱れていた。
矢萩と弥生、義父と義娘という禁忌を越えた果てに、自分が生まれたこと。
信吉が父ではなく、“神代の血”が自らに流れていないこと。
神の子どころか、村の、教団の“罪の結晶”だったこと。
そのすべてが、乾いた文字で記されていた。
真央は何度も、それらの文書を読み返し、そしてゆっくりと火鉢へくべた。
灰になっていくそれを見つめながら、呟いた。
「神なんて、いなかったんだ。最初から──」
教団はすでに、巨大な組織へと変貌していた。
分派、外郭団体、寄進団体、政治・経済への関与。
“神の子”は象徴であり、偶像であり、もはや意思など求められていなかった。
だが、その偶像が沈黙し始めると、歪みは一気に露出した。
布教部門の幹部が覚醒薬取引の嫌疑で逮捕され、教団の収益事業が反社会的勢力と繋がっていた事実が、告発された。
信者の中からも、離反の声が上がる。
“神の子”が神を語らないこと。
祈りを返さぬ者に、何を信じればいいのかと。
そして最後の一打は、内側から放たれた。
週刊誌に掲載された“真央の私生児疑惑”。
ある幹部の娘が語る、「私が“選ばれし器”として、彼に抱かれた夜」の証言。
真央は沈黙したままだった。
否定もせず、肯定もせず、ただ、また一人きりで書斎に閉じこもる日々が続いた。
その背を、見つめる者がいた。
金胎教の経理部門を担っていた若き男──津守新(つもり・しん)だった。
静かに忍び寄るように、彼は真央の側近へと登りつめていた。
諫言を繰り返す信吉や古参幹部を遠ざける中、唯一、真央のそばに居続けたのがこの男だった。
「私が、整理します。あなたの名を、護ります」
そう囁く津守の声に、真央は反応を示さなかった。
唯一、彼だけが“神の子”に祈りの言葉を捧げ続けた。
まるで、かつての矢萩栄一郎が“神の母”であった弥生に捧げていたように。
そして真央が最後に外に出たのは、自宅前で週刊誌記者に囲まれた、あの日だった。
「神の子が、逃げるんですか?」
「あなたの父親は、本当に矢萩栄一郎なんですか?」
その問いかけに、真央はただ、記者のカメラを真っ直ぐ見て言った。
「……俺は、神じゃなかったよ」
翌週、津守は、声明を出した。
「教団は腐敗していた。だが、信仰は死んでいない」
そして、“再生のための法人”を立ち上げると宣言した。
真央は、その頃すでに、失踪していた。
そして半年後、ある元信者の遺族によって刺殺される──
「娘を騙し、家族を壊した罰を」と。
金胎教は解体された。
宗教法人の資格も剥奪され、跡地は荒れたまま、誰も近づかなくなった。
だが、それでも、語り継がれた者がいた──
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