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234.【小説】バイバイ、私の未来⑤

第5章:見えない階段

その日、風はやさしく、空はどこまでも青かった。
けれど、遥子(ようこ)は顔を上げなかった。

青すぎる空に目を向けるには、彼女の胸の中は、まだ整っていなかった。
傷が乾ききるには、少しだけ時間が足りなかった。

騒動から、数ヶ月。
所属していた芸能事務所との契約は、正式に解除された。

きっかけは、父の決断だった。

「もう、ここじゃ無理だ」

そのときの父の目は、疲れきっていた。
けれど、不思議と、どこか晴れやかでもあった。

違約金の請求書は、白い紙にしては重すぎた。
それでも父は、遥子を守るために、小さな個人事務所を立ち上げた。

姉・真帆は、大学の課題を抱えながら、家計を支えるためにバイトを増やした。

「私がなんとかするから。遥子は、自分のペースでいいよ」

その言葉に、遥子は声もなく泣いた。

そして、アンコ。  

団地では飼えなかったが、放課後に公園で触れ合う時間だけが、遥子の心をやわらかく撫でてくれた。

アンコの飼い主は、ご近所の老婦人。「予知の子」などと騒ぐこともなく、静かに見守ってくれる、数少ない大人の一人だった。

独立して最初のイベントは、区民ホールでの無料イベントだった。

チラシは手作り。照明は、ほとんど自然光。
それでも、そこには、遥子の言葉を待つ人たちがいた。

「……明日、みなさんにとって“やさしい何か”が起きますように」

そう言って微笑んだ遥子。  

奇跡は起きなかった。
でも──

その日、観客の一人が、帰り道で思いがけず小学校時代の親友と再会した。
二人の子どもが、同じ保育園に通っていることも、そこで初めて知ったという。

SNSには、「予言が当たった」と投稿する声もあった。

父の努力。姉の支え。アンコの無言の寄り添い。
そして、少しだけ前に進もうとする遥子。

彼女の未来視は、以前よりも鈍っていた。
まるで、未来そのものが霧の中に隠れているように。

でも、誰かの背中をそっと押す力は、まだ残っていた。

小さな成功が積み重なり、やがて小劇場や商業施設から声がかかるようになった。
取材も、少しずつ舞い込み始めていた。

けれど、その足元には、見えない不安の影が静かに横たわっていた。

父の借金返済は、想像より重く、生活は切り詰められていた。

そして遥子自身も、未来が「曇って」見えていることを、まだ誰にも言えなかった。

家族の優しさに守られた独立。
でも、それが永遠に続く保証は、どこにもなかった。


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