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223.【創作秘話】『男と女 ― 珈琲一杯の物語に灯るもの』

はじまりは、神戸・北野の老舗カフェ「にしむら珈琲」での友との待ち合わせだった。

待つ時間の中でふと浮かんだ──もしこの空間で、知らない人同士が交差したら?

そんな短い会話や視線のすれ違いに、物語が生まれるのではないかと。


当初のスタートは、カフェやバーを舞台にした小噺的な掌編シリーズとして構想したものだ。

実際に通ったカフェ巡りの記憶が下地にあり、そこに“珈琲一杯のストーリー”という副題を添えた。

『カタリナ坂で会いましょう』とは別の独立した作品として──

“場所に縛られない物語”を自由に紡いでいけるようにと、このシリーズは始まった。


だが、いつしか変化が訪れた。

店に名前がつき、キャラクターが顔を持ち、会話の余白に人生が滲み出した頃、

気づけばこの作品は、単なる小噺ではなく、過去を受け入れ、それでも前に進もうとする人々の記録になっていた。

第1話の男には、自分自身の要素を強く投影していた。

別れを受け入れながらも、かつての故郷の街でコーヒーを飲む静かな背中。

あの人物は、どこかで自分の記憶と未来の合成体だった。

だが、その後に現れた

「柔らかすぎるパンの男」、
かつての「若きマスター」、
母としての選択に迷う「姉」、
迷いながらも駅に立つ「妹」──

どの人物にも、少しずつ自分の分身が宿っていった。

中でも、「柔らかすぎるパン」のエピソードは、実際の出来事が元になっている。

思いがけず出会ったパンの温かさに、心がほどける瞬間。

それはどこかで、人生に訪れる“癒しの断片”だった。

そして、忘れてはならないのが「ラナンキュラスとカワセミ」だ。

あるデパートの展示会で見かけた、その絵。

とりわけ心を捉えたわけではなかったはずが、物語を重ねるたびに、再会と記憶の象徴になっていった。


ここに登場する人々は、特別な名前も持たず、派手な展開もない。

だが、確かに何かを失い、そして静かに何かを受け取っていく。

それは、自分自身の創作の変化とも呼応している。

自伝的小説三部作を経たあと、私は「理想」よりも「現実を赦す物語」を書きたいと感じるようになった。

カタリナ坂が“理想の街”だったとすれば、この『男と女』シリーズは、“等身大の余白”に物語が宿る場所だ。

きらびやかではないけれど、確かにそこに光がある。

コーヒーの香りに満たされた店内で、今日も誰かの物語が始まり、あるいは終わる。

そんな情景が、いつか誰かの心に残れば──

この短編集を書いてよかったと思えるだろう。


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