242.【小説】バイバイ、私の未来⑦
第7章 アンコ、春を連れてくる
【1】姉・真帆の独白
もう、無理かもしれないって、何度も思った。
街でも、学校でも、遥子の悪口ばかりで。
「未来が見える」なんて、みんな冗談だって笑ってて。
先生まで、本気にしなくなってた。
私は、信じたかった。あの子の言葉も、涙も、全部。
でも、怖かった。
世間が怖くて、自分が笑われるのが怖くて……
きっと私は、自分を守ることで、あの子を見捨てようとしてた。
そう、思う。
【2】父・真一の独白
あのとき、もう終わったと思ってました。
支援の話は流れ、取材は打ち切られ、金は底を尽きた。
家族を守ることができなかった。親としての矜持も、責任も、なにもかも……。
それでも、遥子だけは、真帆だけは、どうにか護ってあげたいと思っていました。
自分がどうなっても、娘たちだけは……。
夜中に帳簿を睨みながら、電卓を叩く手が震えて止まらなかった。
そして、誰にも言えずに、ただ「何でもない」と笑っていた。
【3】アンコの飼い主の独白
団地の階段を駆け上がって……遥子ちゃんの部屋の前に、アンコが座りこんで。
何度連れて帰っても、また走って行くんです。まるで、呼ばれてるみたいに。
うちの家族は、あんなことがあった後だったので、「遥子ちゃんにはもう会わせないほうがいい」って言いました。
でも、アンコは違いました。
覚えてたんですね。あの子のこと、全部。
【本編再開】
暗い部屋の隅で、遥子はうずくまっていた。
電気もつけず、声も出さず、ただ膝を抱えて、時が過ぎるのをやり過ごしていた。
外から、小さな足音がした。
コン……コン……
「……アンコ?」
顔を上げると、扉の向こうに、黒い毛並みが見えた。
まるで、そこに来ることが決まっていたかのように、アンコは佇んでいた。
鍵を開けると、アンコは一目散に遥子へ飛びついた。
「あぁ……アンコ……会いたかった……」
遥子は泣いた。
声にならない嗚咽を漏らしながら、アンコの温かい体温に触れた。
その温もりが、沈んだ胸の奥を、ほんの少し、溶かしていくようだった。
——そして、何かが、音を立てて動き出した。
「行こう、アンコ」
遥子は立ち上がった。
まるで導かれるように、アンコとともに駆け出す。
向かった先は、アンコの飼い主の家だった。
玄関前に立った瞬間、遥子は何かを感じた。胸騒ぎ、というには確かな確信。
ノブを握った瞬間、扉は鍵がかかっていないことに気づいた。
「ごめんください!」
返事はない。
中へ踏み込むと、台所で、倒れている人影があった。
アンコの飼い主の妻だった。
コンロの火はつけっぱなし、ガスの匂いが漂っていた。
「救急車!」
すぐに119番へ電話をかける。
間一髪、彼女は命を取り留めた。
その夜、遥子はアンコに寄り添いながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。
未来が見える——そうではない。
“未来は、触れることで変わっていく”。
遥子は、そう確かに思った。
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