【読書感想文】「ティファニーで朝食を」「グレート・ギャツビー」「プロジェクト・ヘイル・メアリー」
トルーマン・カポーティの代表作であり、自由気ままな女性を描き人気となった「ティファニーで朝食を」
スコット・フィツジェラルドの名作、大富豪の栄光と終焉を綴る「グレート・ギャツビー」
小説低迷の近年では屈指の話題性を生んだSF小説、アンディ・ウィアー著の「プロジェクト・ヘイル・メアリー」
以上、映画化された三作の読書感想文。
⒈ ティファニーで朝食を

先に映画を見たのだが、方々で指摘される通り、オードリー・ヘプバーンの愛くるしい美貌が、エネルギッシュで気分屋の娼婦の役柄に合っていないと感じ、そもそも原作はどのような話なのか気になって読んだ小説。
あらすじ。
舞台はNY。裕福な男性たちとの人脈を金脈として生計を立てる、自由奔放な若手女優ホリーと、彼女と同じアパートに住む売れない作家の「僕」。アパートの住人たちに厄介事を持ち込むホリーと「僕」は徐々に親交を深めるが、やむ無く結婚していた過去が発覚し、溺愛する弟を戦争で失い、ギャングの共犯者に間違われ婚約者に絶縁されたホリーは、ついに敬愛するティファニーのあるNYを去り、「僕」にも行方知れずの消息不明となった。
映画はテーマが明確で、「娼婦業を負い目に感じず快活に生きる女と、葛藤を抱える優しい芸術系の男との恋」であるが、小説はテイストが異なり、恋愛要素は皆無で、言うなれば群像ドラマ。
ホリーの職業や「僕」との関係性が映画と小説では大きく違うが、そこは気にならなかったものの、自分には、雑に表現すると、この本は単なるヒロイン物語にしか思えなかった。「可哀想なホリー」のエピソード群がバタバタと列記され、そんなバタバタ人生の彼女に関わる他の人物たちは、彼女を彩る装飾品に過ぎない位置付けに見える。それこそ「僕」は、ホリー専用の語り手のような。ホリーばかりが贔屓されて照らされる印象を受けた。
映画版のいかにもな恋愛譚はとても浅いが、小説も、何かを掴もうと物語や人物に思索を伸ばしてみても、結局のところ、ホリーの喜怒哀楽しか引っかかってこない。自分の読解力不足かもしれないが、ともかくホリー以外が希薄で、ドラマとしての奥行きを感じられず、なんとなく読み進めて、なんとなく読み終えてしまった。
カポーティは同性愛者であり、偏見や抑圧からの解放をホリーに重ねたという考察も可能らしい。そうすると、彼はバランスや公平性をいくばくか放棄して、己のままでありたい欲求を投影したのかもしれない。
ただ一つ、衝撃を受けたのは、驚異的に巧みな文章だ。僕は今まで誰かの文章で唸った経験がなく、「この作家、とんでもなく上手い」と文才の直撃を浴びて舌を巻いたのは、カポーティが初めてだ。村上春樹氏の達者な翻訳もあろうが、やはり原文が見事に違いない。
各文の精度はもちろん高く、併せて、全体の流れ、抑揚、リズム、空気感が綿密に過不足なく、大きなズレもなく噛み合っている。僕はこうして文章を発信する以上、多少なりとも上達したいけれど、カポーティの領域は参考にすら出来そうもなくて、脱帽。
そのように美麗精緻な文章に度肝を抜かれた反面、内容には感受性が刺激されなかった。一般的評価として優れた作品とされているが、やや期待はずれかな。
余談だが、一緒に収録されている短編「クリスマスの思い出」の方が僕は好きだ。男の子と老女のクリスマスの過ごし方が、素直に胸に染みた。
⒉ グレート・ギャツビー

あらすじ。
若くして巨万の富を築き、豪華絢爛なパーティーを惜しみなく開催する大富豪、ギャツビー。全てを手に入れたかに見える彼の胸中には、かつて思いを寄せ、戦争により仲を裂かれたデイジーを、成功した今こそ我が物とする執念が獰猛に迸っていた。
すでに既婚者であるデイジーへ果敢に迫るギャツビー。
抗いがたき揺さぶりに狼狽するデイジー。
ギャツビーと徹底的に対峙する、デイジーの夫のトム。
彼らの憎愛は、半ば必然の悲劇を生んだ。
これも(ディカプリオ主演の)映画を見て原作に興味が湧き、原作は、ど派手な映像や音楽をレオ様フェイスに乗せて強調する映画版とは毛色が異なるだろう、と容易に想像できた。
的中したと言って差し支えないだろうか、小説はキャッチーな「成金の栄枯盛衰」ではなく、栄華や到達の裏側にある、人間の業や闇や落とし穴を表側にあぶり出す、非常に後味の悪い、光と影の物語。
大恐慌直前の当時の絶好調アメリカに渦巻いた、暴力的なまでの熱狂・陶酔と、その死角にぬるりと潜む反動の墜落崩壊の危険性が、創作の土台にあるとされる。実際、出版後に大恐慌が起きたことで予言書の側面を後天的に獲得し、評価が高まったそうだ。
生涯をかけて手に入れたくて心血を注ぎ、そのとおりに掴める物と、どう足掻いても掴めない物。庶民には垂涎の超越的財産は、それを築いた当のギャツビーにはデイジーを得る手段でしかなかった上、とうとう叶わなかったのだから、皮肉な話だよなあ。
というくらいの感想しかなかった。ストーリーにも人物たちにも距離を感じてしまい、遠方からぼんやりと眺めるような読書体験だった。
深淵な作品なのは感じ取れる。良作として他人に勧めることもできる。されど、さほど心に響かなかったのは、単純に僕の好みの問題だろうが、もう少し分析するなら、ストーリーやキャラの行動原理にちょっと疑問が残る。結論ありきの匂いが強いというか。
・ギャツビーは強気なのか弱気なのかわからない。デイジーとの再会を友人(=語り手)に仲介依頼するほど弱気なのに、その後はなかなか攻めていく。
・トムはガソスタ店長の妻と不倫しているが、彼ほど自尊心や自意識が高いなら、もっとハイランクの女を狙いそうだし、ゲットできるだろうに…(笑)。
・デイジーの情緒不安定かつ無責任な振る舞いは、さすがに極端に見えた。あと、ストーリーの肝である乗車のくだりが、いささか不自然で作為的。
ざっと挙げるとこんな具合で、他にも細かくうっすらとした違和感が点在し、その蓄積で没入できず、冷めてしまった。流すように読み進めた箇所もあったので、勘違いが含まれるかもしれないが。
この小説は二十世紀最高のアメリカ文学の一つと讃えられ、学校教育にも使われるそうだが、時代要素の切り方や投じ方が評価されたんじゃないかな。確かに中身の濃い作品だけど、う〜ん、僕の嗜好とは少々ズレていた。人によっては深く感銘を受けるのだろうが。
折角なので、最後に映画版にも言及したい。原作との違いから否定派も多いらしいのだが、僕は首尾よく無難にまとめた出来栄えだと捉えている。僕の好みにフィットしなかっただけで、原作とその背景が訴える享楽と陰鬱の重厚さは折り紙付きなので、それを解像度を落とさず数時間に圧縮しろと要求されるのは、ちと酷だろうと思われる。
3. プロジェクト・ヘイル・メアリー

現在進行形の話題作なので、導入以外の具体的内容は明かさずに書いていく。
導入部分。
ある男が機械音声でベッドでの眠りから起こされる。周囲を見ると一人きりで、何らかの部屋であるが、場所も目的もわからない。突き止める手がかりもない。記憶も朧げで、自分の名前すら思い出せない。ただし、豊富な科学知識を有することは自覚できたため、男はそれを頼りに、事態を解明せんと手近な物で様々な物理的検証を試みていった結果…。
なにやら滅法面白いと聞きつけて、文庫本がブックオフに並んだ瞬間に偶然出くわし、即買いした。
期待を裏切られず、紛れもなく面白かったけれど、展開がちょっと意外だった。そっちの方向へ進んでいくの?みたいな。ただ、それは僕の勝手な予想のせいなので、ちっともマイナスではない。
ちょいマイナスだったのは、数多く登場する、詳細な科学的ないし論理的な記述の部分。
僕は理学部卒なので自然科学全般に明るく、SF物に対しては、つい突っ込んでしまう。その架空機械を作り出すのは逆立ちしても無理だよと。それが無粋なのも我ながら承知している。だから極力、そもそも考えないように心がけているのだ。
無論、この本でも現代基準を優に超える科学的現象・技術が多彩に描かれており、
「わかってるよな? あくまでもフィクションなんだから、いちいち揚げ足を取る思考をするもんじゃないぞ、自分」
と厳重に自戒しながらページをめくっていく。
のだけれども、やっぱり、もう脳が脊髄反射レベルに反応してしまい、
「いや、いくらなんでも、それはないわ…」
そう苦笑いを浮かべる僕が、健闘むなしく、幾度か出現した。
例えば、作品世界における科学レベルが統一されておらず、作中で、ある架空装置が念入りの科学的解説と共に「驚異的な技術」と語られる一方、そんなの遥かに凌駕する他のぶっとびテクノロジー装置が何食わぬ顔で使用されていて、なんだか技術難易度があべこべだなぁ、と心中で呟いた。まだギリギリ現実的な方の装置が科学的に高度で画期的だと持ち上げられ、ぶち抜いて不可能な方の装置があっさり実用化されている世界だった。
他にも、非現実的環境での登場人物たちの行動や作業について、かなり丁寧かつ論理的に記している箇所も散見されるのだが、「どうせ作り話なんだから、そこまで事細かに書く必要はなくない?」と読み飛ばしたことも。
念を押すと、そんな些末な指摘ポイントは大きなマイナスでは断じてない。第一、その程度でSF小説を貶すようなら、何も読めない。
ただ、僕は以前からSF全体に対し、登場させる空想テクノロジーについて、一見それっぽい(=科学的に正当っぽい)説明を長々と付随させるのは、個人的に好きではないし、さして効果的でもないと思っているのだ。
この機械はナントカ原理をアレコレ変換して…、などの尤もらしい設定を用意しても、科学を知る人にとっては荒唐無稽だし、知らない人には結局ちんぷんかんぷん。中間の人は、中途半端にわかった気になり、科学技術を誤解して、妄想との境目が不明瞭になったりして。創作サイドが少しでも説得力を持たせたいのは理解できるんだけれども。
この本の著者の科学知識量は知らないし、各専門家のアドバイスを参考にしたそうが、SFってのはそう細部の説得力にこだわらず、スター・ウォーズとかバック・トゥ・ザ・フューチャーよろしく、読者や観衆に「ああ、とにかくそういうマシーンなんだな」と丸呑みしてもらうような描き方がいい塩梅なんじゃないかと、常々考えている。そうしてくれたら、僕がうっかり突っ込んでしまうこともないし、知識の有無を問わず、誰でも同じ様に楽しめるだろうから。
んで最後に作品の締め方への印象を述べると、ぶっちゃけ釈然としない。その結末って、ちょっと著者が逃げてない?と感じてしまった。
されど全編にわたり手抜きなく丹念に書かれていて、一度も退屈せずに読破できたので、SFファンなら必読だとおすすめできる。
映画版は、今のところ観るつもりはないけれど、この話をどうやって二、三時間に集約したのだろうか…。
記事全体のまとめ。
挙げてきた三作を満足順に並べると、
プロジェクト・ヘイル・メアリー >> グレート・ギャツビー > ティファニーで朝食を。
になるかな。僕自身がSF好きなのもあるけれど、他の二作には、最後までいまいち感性が反応しなかった。
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チップ・イン・シーテェ
