成功は約束されていない:約束されているのは成長その2
傲慢な「井の中の蛙」
小学校高学年に差し掛かった頃の私は、今思い返しても顔が赤くなるほど、根拠のない自信に満ち溢れていた。
きっかけは、地元の将棋道場に通い始めたことだった。
そこでは、定年を過ぎたようなベテランの大人たちが日々盤を囲んでいた。私はそこで彼らと渡り合い、時には勝利を収めることもあった。
大人を負かす子供。
その構図は、幼い私に「自分は特別な才能を持っているのではないか」という錯覚を抱かせるのに十分だった。
そんな折、地元のデパートが主催する「小学生将棋大会」の開催が告知された。
当時の私にとって、それは自分の実力を世に知らしめるための、最高の、そして当然の舞台に思えた。
道場で海千山千の大人たちを相手にしている自分が、同年代の子供たちに負けるはずがない。
私は溢れんばかりの自信を胸に、会場へと向かった。
会場に到着すると、そこには多くの小学生が集まっていた。
低学年の子供たちの姿も目立つ。
彼らのはしゃぐ姿を見て、私は内心で鼻で笑っていた。
「低学年の子には、まず負けるはずがないな」
そんな不遜な考えが頭をよぎる。
私の意識は、すでに一回戦の先、いや、大会のその先にあった。
「優勝したら、やっぱりインタビューとかあるんだろうか」
「なんて答えようか。謙虚に振る舞うべきか、それとも堂々と実力を語るべきか……。今のうちに考えておかないとな」
対局が始まる前だというのに、私は真剣に優勝インタビューの文句を練っていた。
この大会はトーナメント方式で、五回勝ち抜けば優勝となる。
五局連続で指すのは肉体的にも精神的にもハードだろうが、今の自分なら容易いことだと思い込んでいた。
崩れ去った砂の城
一回戦の対戦相手が決まった。相手は小学二年生の男の子だった。
「ラッキーだ」
私は心の中でガッツポーズを作った。
二年生といえば、自分より二つも三つも年下だ。
経験も思考の深さも、私の方が圧倒的に上だという確信があった。
負ける要素など、どこにも見当たらなかった。
しかし、対局が始まって数分後、私の背中に冷たい汗が流れた。
その子は、迷いがなかった。
私が繰り出す攻めの一手を、まるで予見していたかのように的確に受け流し、鋭いカウンターを仕掛けてくる。
盤面を見つめるその子の瞳は、遊び半分のものではなく、勝負師のそれだった。
(この子は、強い……!)
そう気づいた時には、すでに手遅れだった。
私の陣形は無残に崩され、王将は逃げ場を失っていた。
あっという間の出来事だった。
私は一回戦で、年下の少年に完敗したのである。
対局が終わった後、私はしばらく席を立つことができなかった。
子供ながらに、はっきりと理解してしまったのだ。
自分とその子の間には、埋めようのない「素質の差」があることを。
これは努力や経験でどうにかなるレベルではない。
本物の才能というものを、私は初めて目の当たりにした。
会場は三十人程度の小規模な大会だったが、結局、優勝したのは小学三年生の男の子だった。
しかし、さらにショックな事実が判明する。
私を完膚なきまでに叩きのめしたその男の子でさえ、二回戦で敗退していたのだ。
「えっ、あんなに強い子が、二回戦で負けるのか……?」
目の前が暗くなるような感覚だった。自分がいかに狭い世界で、小さな勝利に酔いしれていたか。
当時はまだ知らなかった言葉だが、まさに私は「井の中の蛙」だったのだ。
大海を知った蛙は、もはや元の井戸で楽しく泳ぐことはできなかった。
私は、人生で初めての、そしてあまりにも巨大な挫折感を味わった。
逃避と、無気力な日々
あの日を境に、私は将棋を全く指さなくなった。
あれほど誇らしげに通っていた将棋道場にも、二度と足を踏み入れることはなかった。
駒を握るたびに、あの会場での屈辱と、圧倒的な才能の壁を思い出してしまうからだ。
父は、私が一回戦で負けたことを知っていた。
しかし、私が急に将棋を辞めたことに対して、何も言わなかった。
かつて私は父に「将来はプロ棋士になる」と豪語していたが、父は勝負の世界がそんなに甘いものではないことを、最初から分かっていたのだろう。
何も言わずに見守ってくれている父の沈黙が、かえって私の胸に刺さった。
挫折を抱えたまま、私は中学校へと進学した。
何かに打ち込む気力も失っていた私は、部活動にも入らず、いわゆる「帰宅部」として日々を過ごした。
もともと運動が得意なわけでもなく、走ることも、汗をかくことも嫌いだった。
そんな私に、中学一年生の秋、試練が訪れる。全校生徒が参加する「二〇〇〇メートル走」の行事だ。
練習もせず、走る意欲もゼロのまま参加した私は、地獄を見た。
スタートして数百メートルで息が上がり、足が鉛のように重くなる。
校舎の周りを走る私の横を、クラスメイトたちが次々と追い抜いていく。
苦しい。
とにかく苦しい。
結局、私は途中で歩いてしまった。
そこに「悔しさ」や「恥ずかしさ」といった感情はなかった。
ただただ、この苦しみから早く逃れたい、それだけだった。
ゴールした時には最下位に近い順位だったが、それすらどうでもよくなるほど、走るという行為は私にとって苦痛以外の何物でもなかった。
「苦しさ」を避けるための、孤独な戦い
しかし、その苦痛が、私の止まっていた歯車を動かすことになる。
「この行事は毎年ある。来年も、再来年も、あんな思いをしなければならないのか」
そう考えると、暗澹たる気持ちになった。
あの喉が焼けるような感覚、心臓が破裂しそうな鼓動。
あんなつらい思いをするのは、もう二度とごめんだ。
私は決意した。
来年の二〇〇〇メートル走で「苦しまない」ために、走る練習を始めよう、と。
それは、誰かに勝ちたいという向上心から始まったものではなかった。
ただ、未来の自分が味わうであろう苦痛を、少しでも軽減したいという消極的な動機だった。
私は一人で練習を始めた。
誰かに宣言するつもりもなかったが、朝早くや夕暮れ時に、近所の公園で黙々と走った。
誰かに見られるのは恥ずかしかったし、もし「頑張っているね」などと声をかけられて、結果が出なかった時のことを考えると怖かった。結果的に、それは誰にも秘密の特訓となった。
最初は数百メートル走るだけで精一杯だった。
しかし、毎日続けていると、少しずつ距離が伸びていく。
将棋のように「相手」がいるわけではない。
昨日の自分より、ほんの少しだけ長く、ほんの少しだけ速く走れるようになる。
その感覚は、挫折で傷ついていた私の心に、静かに染み込んでいった。
悔しさでもなく、恥ずかしさでもなく、ただ「苦しさから逃れたい」という一心で始めた練習だったが、気づけば私は、走ることそのものに没頭し始めていた。
予期せぬ「成長」の証明
そして迎えた、中学二年生の二〇〇〇メートル走。
私は一年前とは違う感覚でスタートラインに立っていた。
号砲とともに走り出すと、驚くほど体が軽い。
昨年、あれほど苦しめられた中盤の坂道も、足が止まることはなかった。
一人、また一人と前の生徒を追い越していく。
気づけば、私の前には数人しか走っていなかった。
結果は、全校生徒の中で五位。
ゴールした瞬間、私は自分自身に驚愕した。あんなに運動が嫌いで、あんなに無気力だった自分が、全校で五番目に速く走りきったのだ。
周囲の友達も、目を見開いて私を凝視していた。
「おい、お前……あんなに速かったのか?」
「ずっと帰宅部だったよな? 何かやってたのかよ!」
口々にかけられる驚きの声。
昨日まで、運動とは無縁の「目立たない生徒」だった私を見る目が、一瞬にして変わったのが分かった。
私自身、五位という結果以上に驚いたことがあった。
それは、あれほど恐れていた「苦しさ」が、今年は心地よい達成感に変わっていたことだ。
もちろん、全力で走れば息は切れるし、足も痛む。
しかし、一年前のように「ただ逃げ出したいだけの苦痛」ではなかった。
自分の体が思い通りに動き、練習で積み上げたものが結果として現れる。
その手応えが、肉体的な辛さを上回る喜びを連れてきたのだ。
この出来事は、私の内面で眠っていた「何か」を呼び覚ました。
将棋で味わったあの絶望的な挫折。
自分には才能がないと決めつけ、戦う前から逃げ出していた日々。
しかし、走ることは違った。才能の有無を嘆く前に、ただ「苦しみたくない」という一心で続けた孤独な練習が、私をここまで連れてきてくれた。
成功は約束されていなかったかもしれない。けれど、あの日々の中で、私の心と体は確実に「成長」を遂げていたのだ。
この二〇〇〇メートル走での激走がきっかけとなり、私は思わぬ勧誘を受けることになる。
「君、いい走りをするね。どうだろう、陸上部に入ってみないか?」
声をかけてきたのは、陸上部の顧問の先生だった。
運動嫌いだったはずの私が、迷うことなくその誘いに頷いたのは、自分でも不思議だった。
ただ、もっと速く、もっと遠くへ。自分の成長の限界を確かめてみたいという衝動が、抑えきれなくなっていた。
こうして私は陸上部に入部し、やがて学校を代表する選手として、さらなる高みを目指すことになる。
(その3に続きます)
