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石神井公園ふるさと文化館(東京都練馬区)de ブラspiritwind♪~練馬だいこん・古墳の勉強も

2025.12.16 午後から石神井公園ふるさと文化館(東京都練馬区)へ行きました。
JR荻窪駅からバスに乗るも荻窪周辺一週して、また荻窪駅に戻ってきちゃいました^^;

荻窪駅周辺には「荻窪ループ」と呼べるような循環・往復系統のバスが複数あります。特に関東バスや西武バスの路線には、荻窪駅を起点にしてまた荻窪駅へ戻る系統がいくつも存在します。

by copilot

う~む・・・・そうなんだ。全く知らなんだ。。。ヤフーの乗り換え案内でバスの乗り場は確認したんだけどなあ。同じ乗り場に幾つか違う行先のバスが来てたんだろうな。コパちゃんが提示した例だけでも5つもありました。

というわけで、かなり時間を無駄にしてしまって、石神井周辺を半日で回り切れませんでした。まだ出直します。

石神井公園 ボート場
石神井池が凪状態でキレイでした^^
カルガモくん。人馴れしてそうでしよ。
ここでは、オオタカアオバスクというフクロウも生息しているようです。
ヤナギもススキも垂れていて良い感じ♪
ラクウショウの黄葉がキラキラきれいでした。
ん?コレは?
聖衣
画家の方でしょうか?撮影が行われていました。

15時ごろ、石神井公園ふるさと文化館に着きました。

練馬区立 石神井公園ふるさと文化館

さっそく、中に入ります。

武蔵野の中の練馬
多摩川の土砂が堆積した扇状地に火山灰が堆積して西高東低の比較的平らな大地となりました。
大昔は関東平野の大部分は海の底。
貝の化石。海だったことが解ります。
旧石器時代~弥生時代の展示 スゴイです^^

練馬区内からは、なんと旧石器時代の遺跡から世界最古級の磨製石器・局部磨製石斧が出土している。
黒曜石が多く、原石は伊豆・箱根系と信州系の産地。石神井川の源流の小平市鈴木遺跡などに黒曜石は塊で運ばれ、そこから周辺へ持ち込まれたようです。
石神井川や白子川沿いに30000~13000年前の縄文時代に至るまで旧石器人が生活していました。

な、な、なんと、石神井川の源流は石神井池じゃないんだ!今回、新たな発見♪

旧石器時代の石器や石斧

日本では「土器の使用開始=縄文時代」として、旧石器時代と区切っている。

縄文時代の土器
三宝寺池などの豊富な湧き水を望む高台では大規模な集落が出現。1万年近く続いた縄文時代の草創期から晩期までの各期の集落が発見されている。
弥生時代の木製品と土器
3~4世紀には各地に古墳が出現。

2500年余り前に大陸から北部九州に米(水稲)作りの文化が伝わり、狩猟から耕作を中心とした生活へ変化。弥生時代が始まる。

3~4世紀ごろには首長(豪族)を葬る古墳が造られ始め古墳時代へ。区内大泉町の丸山東遺跡では弥生時代末期から古墳時代初め頃の首長を葬った方形周溝墓と作りかけの木製品が大量に出土している。



[寄り道]
ここで、ちょっと古墳に関しての整理を。。。

古墳の種類
甕棺(かめかん)墓列
吉野ヶ里遺跡の環壕集落北部に位置する北墳丘墓は弥生時代中期前半~中頃(2200年~2100年前)にかけてつくらた(2017.9.8)
王墓「よすみ」が出現したのは2000年前。中心地の島根県東部のほか、中国地方山間部、鳥取県、北陸地方にも造られ100基以上確認されている。2025.10.31
古墳時代になると前方後円墳が全国に作られる。2025.10.31

というわけで、方形周溝墓は、古墳時代の前方後方墳の原型とされる説もあるそうです。いろいろな古墳を見に回るのも面白いかもしれないなあ。



さて、その後の練馬区の様子は・・・・

🏺 弥生時代(紀元前10世紀~3世紀前半)
• 石神井川・白子川・田柄川などの河川沿いに竪穴住居集落が形成。
• **栗原遺跡(氷川台)**では弥生土器や竪穴建物跡が発見され、稲作を伴う生活が営まれていた。
• 水辺の湧水池(三宝寺池・井頭池など)が生活の中心で、農耕と漁撈が共存。

🏯 古墳時代(3世紀~7世紀)
• 練馬区内には古墳や塚が点在。谷原町古墳や比丘尼塚などが知られる。
• 石神井台遺跡では古墳時代の土師器・須恵器が出土し、集落の継続が確認される。
• 小規模な首長墓が築かれ、地域の有力者の存在を示す。

📜 奈良・平安時代(8~12世紀)
• 律令制下で「乗瀦駅(ノリヌマ)」という駅家が置かれたとされ、練馬の地名由来とも言われる。
• 栗原遺跡では奈良~平安期の竪穴住居跡が確認され、農村集落が継続。
• 石神井川流域では須恵器や土師器が出土し、日常生活の痕跡を残す。

⚔ 鎌倉時代(12~14世紀)
• 練馬・石神井は豊島氏の領地となり、練馬城(豊島園内)や石神井城(石神井公園内)が築かれる。
• 武士団の拠点として、農村と城郭が共存する景観へ。
• 弘安5年(1282年)には豊島氏の婚姻関係を通じて石神井の所領が確認される。

⚔ 室町時代
• 練馬・石神井は豊島氏の領地。
• 練馬城(現・豊島園付近)、石神井城(三宝寺池近く)が築かれ、武士団の拠点となる。
• しかし文明年間(15世紀後半)、太田道灌との戦いで豊島氏は滅亡。石神井城落城の悲話「照姫伝説」が伝わる。

by copilot

秩父平氏の一派の豊島氏は、鎌倉時代の末頃から南北朝時代にかけて石神井城・練馬城を拠点とした。
太田道灌と対立して1477(文明6)年、石神井城落城、豊島氏は没落。

秩父平氏(第50代桓武天皇781-806の一門)は、武蔵国秩父郡を拠点に勢力を広げた武士団。祖は平良文の孫・平将恒とされ、秩父氏を直系とし、畠山氏・河越氏・豊島氏・江戸氏など関東の有力武士団を輩出しました(平清盛らの「平家」とは別系統)。

秩父郡は、現在の埼玉県秩父地方にあたる古代の郡で、武蔵国の北西部に位置し、良質な馬や銅の産地として知られた地域です。古代には「知知夫国(ちちぶのくに)」と呼ばれ、一国をなしていた時期もありました。現在の埼玉県秩父市と秩父郡(横瀬町・皆野町・長瀞町・小鹿野町・東秩父村)を中心とする地域。708年、秩父郡から**自然銅(和銅)**が献上され、元号が「和銅」に改められ、日本初の流通貨幣「和同開珎」が鋳造された。

なお、「豊島園としまえん(1926-2020)」遊園地は 豊島氏の領地だった歴史に由来して命名されました。

尾張殿鷹場碑
板碑 右から1296年、1353年、1488年
練馬大根
練馬大根は主に沢庵漬け(たくあん漬け)に加工され、江戸時代から昭和初期にかけて全国的に有名な特産品でした。
江戸時代
練馬大根

練馬大根が有名になった理由は、江戸時代に練馬の土壌が大根栽培に非常に適していたことと、江戸庶民の食文化(特に沢庵漬け)に欠かせない存在となったからです。さらに、江戸100万人の人口を支える近郊農村として大量に供給されたことで「練馬といえば大根」と言われるほどの名声を得ました。
練馬一帯は関東ローム層に覆われ、深く柔らかい赤土が大根の根をまっすぐ長く育てるのに最適だった。

by copilot
練馬に最初に電車が通ったのは1915年(大正4年)4月15日、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が池袋~飯能間で開通した時です。このとき練馬駅と石神井駅(現・石神井公園駅)が設置されました。
練馬のお囃子とは、江戸祭囃子の系譜を受け継ぎ、区内の神社祭礼で演奏される伝統芸能です。太鼓や笛、鉦を用いて山車や神輿行列を盛り上げ、地域ごとに保存会が結成されて継承されています。
初期の東京オリンピックのときの寄付金付きタバコ
交番
三輪のミゼットが展示されてましたよ。
数日前に書類を整理してたら超昔の雑誌が。ダイハツの三輪自動車のコマーシャル。ここでホンモノが見れるとは・・・シンクロですな^^
ワタシが小学2年生のころ、「キッチン静」という食堂を親がやってました。そのときのラーメンは60円だったかと^^
まさにこんな感じを小学低学年で過ごしましたな。

練馬は「映画の街」として知られてきました。特に大泉学園にある東映東京撮影所を中心に、戦後から現在まで数多くの映画やアニメ作品が生み出されてきたためです。

アニメーション撮影台
『愛怨峡』(あいえんきょう)は、1937年(昭和12年)に公開された溝口健二監督の日本映画で、川口松太郎の原作をもとにした作品です。新興キネマの大泉撮影所で製作され、戦前の溝口作品の代表作のひとつとされています。
戦争反対!!!!!

旧内田家住宅を見損ねたので次回、見学してきます。

旧内田家住宅は石神井公園ふるさと文化館の野外施設として文化館東に隣接する池淵遺跡公園の中にあります。

というわけで石神井公園の西側を散策してきました。東側は次回に行ってきます♪

JR荻窪駅

いや~、バスには参りましたな。
帰りも、総武線で逆方向に乗るわ、次の駅で電車に挟まれそうになるわ、散々なお出かけでした(笑)


[追記]
2025.12.22 もう一度、石神井公園方面へ行ってきました。
石神井公園ふるさと文化館の野外施設(池淵史跡公園)を観てきました。

旧内田家住宅
月曜日の休館で中には入れませんでした^^;
縄文時代の竪穴住居跡
力石
馬頭観音1803と庚申塔1720
庚申塔1696




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