石神井公園 三宝池周辺~禅定院・稲荷諏訪神社・道場寺・三宝寺・石神井氷川神社・厳島神社・穴弁天・城址・姫塚・観音堂
先日、石神井公園ふるさと文化館を訪ねてきたわけですが、今回は、石神井池・三方寺池の周辺を散策しました。この周辺にはお寺や神社が点在しています。
禅定院
バス停を降りると禅定院。




🏯 禅定院とは(石神井池の北側・石神井町5丁目)
• 宗派:真言宗智山派
• 創建:南北朝時代(14世紀)には存在していたと推測
• 境内に「応安(1368–75)」「至徳(1384–87)」の板碑が残るため
• 開山:願行上人
• 本尊:阿弥陀如来
🏛 特徴と見どころ
🌾 23区では珍しい「茅葺きの鐘楼」
• 戦後再建の建物が多い中、茅葺き屋根の鐘楼が残るのが大きな特徴
• 1836年建立とされる説もある歴史的建造物
🪔「キリシタン灯籠」と呼ばれる石造物
• 寛文13年(1673)の織部灯籠で、像容から「キリシタン灯籠」と呼ばれる珍しい石造物
🪦 いぼとり地蔵・筆子塚
• いぼの治癒に霊験があるとされる地蔵
• 寺子屋の師匠を弔った筆子塚も残る
🌳 ねりまの名木「ヒヨクヒバ」
• 境内に高さ7mのヒヨクヒバがある(名木指定)
🎓 地域史における重要性
• 明治7年(1874)、練馬区で最初の公立小学校「豊島学校」が禅定院で開校
→ 現在の 石神井小学校の前身。
残念ながら、本堂が新築工事中で境内には入れませんでした。
石神井公園記念庭園
石神井池の東側から公園へ。


石神井公園記念庭園の池の水は自然湧水ではなく、人工的にポンプで供給されている というのが公式な構造です。との事です。by copilot





稲荷諏訪神社



こちらは前回12月16日に参りました。石神井池の南西に鎮座しています。
お稲荷さんと諏訪神社が一体となっているわけですね。普通の鳥居と赤い稲荷の鳥居がダブルであるのが面白いです^^おじさんが熱心にお参りされていました。
🏯 稲荷諏訪合神社とは
石神井池の南岸、禅定院のすぐ近くに鎮座する神社で、
諏訪社 × 稲荷社が合祀された複合社 です。
📌 基本情報
• 祭神:• 稲倉魂命(いなりの神)• 建御名方命(諏訪の神)
• 創建:不詳(江戸時代以前)
• 特徴:二つの鳥居が縦に並ぶ「ダブル鳥居」構造
🕰 歴史(禅定院との深い関係)
検索結果によると、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にはこうあります:• 「諏訪社、禅定院持」つまり、もともと諏訪社は禅定院の管理下にあった寺社一体の宗教空間。さらに、• 稲荷社は3社あり、そのうち1社が諏訪社と合祀され、明治以降に「稲荷諏訪合神社」と改称という経緯があります。
石神井池に戻ります。

ここから三宝池へ行かず、池の南側のお寺・神社を参りにいきました。
道場寺










石神井の「道場寺(どうじょうじ)」は、練馬区石神井台にある曹洞宗の古刹で、石神井城主・豊嶋氏の菩提寺として創建された、歴史と建築が重層する非常に興味深い寺院です。
🕰 歴史と由緒
• 奈良時代の天平元年(729年)創建説もあるが、確かな記録は南北朝時代の1372年
• 石神井城主・豊嶋景村の養子である**豊嶋輝時(北条高時の孫)**が創建
• 戦国期に太田道灌の軍により石神井城とともに焼失
• 永禄5年(1562年)に北条氏康から朱印状を受け再興
• 慶長期に曹洞宗へ改宗し、現在の宗派となる
🏛 建築と見どころ
• 山門:昭和45年竣工、室町様式
• 本堂:唐招提寺金堂を模した天平様式
• 三重塔:昭和48年建立、鎌倉様式
• 鐘楼:安土桃山様式
• 客殿:桂離宮を模した江戸様式
📜 文化財
• 北条氏康印判状:寺への租税免除を保証した文書(練馬区指定文化財)
• 文応元年(1260年)の弥陀板碑:練馬区登録文化財
更にお隣の三宝寺へ。
三宝寺



🏯 旧勝海舟邸長屋門とは
もとは勝海舟が晩年を過ごした赤坂の邸宅の表門(長屋門)で、現在は三宝寺に移築されている門です。
• 築年:文政年間(1818〜1829)と伝わる
• 元の場所:港区赤坂6丁目の勝海舟邸
• 移築の経緯:
• 明治以降、邸宅跡は東京市に寄付され小学校敷地に
• その後、門は練馬区旭町のレジャー施設「兎月園」の表門として利用
• 兎月園閉園後、昭和35年(1960)に三宝寺へ移築




ここから一度境内の外に出て、山門(三宝寺)から境内へ。


山門をくぐると、左手に開運出世大黒天。




境内左奥に四国八十八か所参りがあります。





この像には惹きつけられました。静かな空間の中、お顔が注がれる視線を受けて、無の境地にさせて頂きました。




かなり歩きます。私は順序通り歩きませんでしたが、アタマを無にして参るのは、とても良さそうです。良い空間です。かなり歩きます。
その中に神社が鎮座していました。








🏯 三宝寺とは(石神井台の中心寺院)
三宝寺は、練馬区石神井台にある真言宗智山派の大寺院で、石神井公園の「三宝寺池」の名前の由来にもなった、地域の核となる古刹です。
📌 基本情報
• 正式名:亀頂山 密乗院 三寳寺
• 宗派:真言宗智山派
• 所在地:練馬区石神井台1-15-6
• 創建:応永元年(1394年)
• 開山:幸尊法印(鎌倉・大楽寺の僧)
• 本尊:不動明王
• 別称:石神井不動尊
🕰 歴史の要点
■ ① 創建(1394)
• 鎌倉大楽寺の幸尊法印が、現在の禅定院付近に草創
• 当初の本尊は勝軍地蔵とされる
■ ② 太田道灌による移転(1477)
• 江古田・沼袋原の戦いで豊島氏が敗れた後、
太田道灌が三宝寺を現在地(石神井城跡)へ移したと伝わる
■ ③ 江戸期の隆盛
• 徳川家康から朱印地10石を与えられた御朱印寺
• 無本寺・独礼の寺格を持ち、塔頭6寺・末寺50以上を擁する大寺院に
• 関東十一談林の一つとして学問寺院でもあった
■ ④ 明治以降
• 神仏分離で氷川神社・厳島神社(弁天社)と分離
• 1874年の火災で堂宇を焼失し、戦後に再建
🏛 建築・見どころ
検索結果から、三宝寺は堂宇が非常に多く、建築的にも多層的です。
■ 御成門(山門)
• 将軍家光が通ったと伝わる門• 現在の門は1827年再建• 練馬区指定文化財
■ 本堂
• 昭和28年建立
■ 根本大塔(多宝塔)
• 平成8年建立の木造多宝塔
■ 旧勝海舟邸長屋門
• 赤坂の勝海舟邸の表門を移築
■ 観音堂・大黒堂・大師堂・鐘楼など多数
🌊 三宝寺と三宝寺池の関係
• 三宝寺池(旧名:弁天池)は、かつて三宝寺の弁天社の池だった
• 三宝寺池 → 三宝寺川(弁天川)→ 石神井川へ流れていた
• 三宝寺池は石神井川の主水源だった
お寺を参拝後、 神仏分離でされた氷川神社・厳島神社(弁天社)へ。
石神井氷川神社












面白いですね。関東エリアではあまり見かけないですね。
🌀 玉祓
身についた穢れを移す、 災厄・病気・不運を祓う、心身の清浄化、 祭祀の前の浄め
特に「人形(ひとがた)」「形代(かたしろ)」と同じく、“身代わり”として穢れを引き受けるものという位置づけです。







神田(しんでん)・・立派な社務所の前にありました。都内の神社で神田があるのは珍しいですね。
神田(しんでん)とは?
神様に供えるお米(御神米)を育てるための田んぼ のこと。
神社が管理し、• 田植え• 稲刈り• 初穂の奉納といった一連の稲作儀礼を行うための“聖域”です。

🏯 石神井氷川神社とは
石神井台1丁目に鎮座する、応永年間(1394–1428)創建の氷川神社。
石神井城主・豊嶋氏が、武蔵国一宮・大宮氷川神社から分霊を勧請して創建したとされています。
• 祭神: 須佐之男命(主祭神)・稲田姫命・大己貴命(相殿)
• 社格:旧郷社(明治期)
• 性格:石神井郷(谷原・田中・上石神井・下石神井・関)の総鎮守
🕰 歴史の要点
■ ① 創建(室町時代)
• 石神井城を築いた豊嶋氏が城内に勧請
• 大宮氷川神社の分霊を迎えた格式の高い創建
■ ② 太田道灌による落城後
• 石神井城が落城したのち、現在地へ遷座 ・石神井郷の総鎮守
■ ③ 江戸時代
• 『新編武蔵風土記稿』にも記載→ 三宝寺の持、末社多数
■ ④ 明治以降 明治7年に郷社に列格・地域の中心神社として祭祀を継続
🏛 境内の特徴
• 広い参道と大鳥居
• 拝殿・本殿(須佐之男命を祀る)
• 境内社が非常に多い(榛名・浅間・御嶽・阿夫利・三峰・北野・八幡・三島・須賀・稲荷など)
• 豊嶋氏奉納の石灯籠(練馬区指定文化財)
• 水盤(練馬区登録文化財)
石神井氷川神社を参拝後、三宝寺池方面へ。
三宝寺池 厳島神社・宇賀神社 穴弁天・水神社




🏯 三宝寺池 厳島神社とは
三宝寺池の中島に建つ神社で、創建年代は不詳だが、豊嶋氏が石神井城にいた中世に創建されたと推定されています。江戸時代の史料には• 弁天社
• 水天宮として記録されており、明治の神仏分離で現在の「厳島神社」となりました。
三宝寺池は、井の頭池や善福寺池などとともに武蔵野台地の地下水が湧出し水をたたえてできた池です。
面積はおよそ24000m2、水深は平均約2mです。
昔から水量が多く夏でも冬でも容易に枯れなかったといわれましたが、年々湧水が減少し現在地下水を汲み上げて補給しています。
江戸時代には池の小島に弁天様が祀られ、この池を主な水源とする石神井川の恩恵を受けた流域40余か村の農民が「講」をつくって尊崇していました。
また古来禁猟地であったため草木がよく繁茂し鳥類の楽園であり、特に自生の水草類が多く昭和10年(1935)に「三宝寺池沼沢植物群落」として国の天然記念物に指定されミツガシワ・シャクジイタヌキモなどが保存の対象となりました。

厳島神社の斜め前には穴弁天が鎮座しています。

穴弁天(宇賀神社)
三宝寺池の底から出現した御神体を洞穴に安置している。人頭蛇身のお姿から宇賀神社とも呼ばれる。



その後、石神井城址へ。
石神井城址



石神井城の主郭跡とは、豊島氏の本拠であった石神井城の“中心部(中枢区画)”の遺構が残る場所です。
現在は都立石神井公園内にあり、土塁と空堀が明瞭に残る城の核心部として東京都指定史跡になっています。
🟦 1. 主郭(しゅかく)とは何か?
城郭用語で「主郭」とは:
• 城の中心となる区画
• 最も防御が固い場所
• 城主の居館や重要施設が置かれる
石神井城の場合、この主郭が現在「立入禁止の保護区」として残っています。
🟦 2. 石神井城 主郭跡の特徴
検索結果から読み取れる主郭の特徴を整理すると:
■ 土塁(どるい)が巡る
主郭の周囲には高い土塁が取り巻く構造が残っています。
■ 深い空堀(からぼり)がある
• 発掘調査で深さ約5mの空堀が確認された。
• 主郭の西側に大きな空堀が横たわる様子が現在も見える。
■ 立入禁止の保護区
• 主郭部は遺構保護のためフェンスで囲われ、通常は立ち入り不可。
• 外側から土塁と空堀を観察できる。
■ 舌状台地の上に築かれた
• 三宝寺池の崖と石神井川の谷に挟まれた標高49mの舌状台地に位置。
• 自然地形を最大限利用した堅固な構造。
🟦 3. 主郭の規模
• 石神井城全体は約9ヘクタール規模。
• 主郭はその中心で、東西350m × 南北350mほどの大きな区画。
🟦 4. 歴史的背景
• 築城:応永年間(1398〜1428)頃と推定
• 築城者:豊島氏
• 落城:文明9年(1477)、太田道灌に攻められ落城
主郭はまさに豊島氏の最後の拠点だった場所。
だいぶ、陽が傾いてきました。
三宝寺池・湧水地点



けっこう勢いよく水が流れ出ていました。しばらく水の音を聴きながら一休み。
三宝寺池の湧水は1960年代に枯渇し、現在は深井戸から地下水を汲み上げて池へ供給している。これは三宝寺池全体の話ですが、北側の湧水点も同様に自然湧出はほぼ失われています。
🟦 根拠(検索結果より)
■ 昭和46年(1971)から深井戸で地下水を汲み上げている
■ 1965年頃以降、湧水は涸渇
■ 現在も地下水を汲み上げて補給
三宝寺池の北側(沼沢植物群落の縁)には、かつて複数の湧水点がありました。
現在は池全体の水位維持のため、深井戸からの揚水が唯一の水源つまり、わたしが現地で見た「北側の湧水らしき場所」は、**自然湧水ではなく、揚水された地下水が流れ込む“人工的な水源”**です。
湧水箇所は、井の頭公園と同じような感じでした。
さらに北西部へ。
三宝寺池の姫塚


三宝寺池の姫塚(ひめづか)は、石神井城落城伝説の“照姫(てるひめ)”を祀る塚として伝わるが、江戸後期〜大正期に成立した後世の供養塚である。つまり、伝説上の人物を祀る記念塚。
🟦 1. 姫塚とは(伝承)
検索結果によると、伝承では:
• 石神井城主・豊島泰経が三宝寺池に身を投げた
• その後を追って、二女の照姫も入水した
• その霊を弔うために築かれたのが「姫塚」
池のほとりに「殿塚(泰経)」と並んで存在し、地域の物語の象徴になっています。
🟦 2. しかし、史実としてはどうか?
検索結果が重要です。
■ 照姫は史料に登場しない
• 豊島氏の系図に「照姫」は存在しない
• 泰経は石神井城落城で死んでおらず、翌年まで活動している
■ 姫塚は古墳ではない
• 江戸後期の『新編武蔵風土記稿』では
「照日塚(しょうにちづか)」=三宝寺6世の僧侶の墓 と記録
• 大正7年『北豊島郡誌』でも「照日塚=姫塚」 とされている
つまり、照姫伝説と結びついたのは大正〜昭和にかけての後世の再解釈。
直ぐ近くに「殿塚」があったのですね。。。見落としました^^;
「姫塚」にも「殿塚」にも石碑に「古墳・・」と書かれていますが、コパちゃんによると古墳ではないようですね。
観世音菩薩御堂


石神井公園の「観世音菩薩御堂(かんぜおんぼさつ・おどう)」は、三宝寺池の入口近くにひっそりと建つ小さな観音堂で、地域の人々が静かに守ってきた祈りの場。公園の主要施設ではなく、**地元の信仰が残る“隠れた祠”**のような存在です。 観音信仰は江戸期以降、武蔵野の村々で広く祀られた。

閉まってそうでしたが営業している?みたいです。大正時代から続く老舗茶屋のようです。


なかなか盛沢山の半日トリップでした^^
