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【起業家列伝 #3】ペイジとブリンはなぜ、大学の研究室からGoogleを生み出すことができたのか

AI時代が、壁を壊した。言語の壁も、技術の壁も、資金の壁も——かつて大企業だけが越えられた壁を、今は一人で越えられる。敷かれたレールを降り、アイデアひとつを胸に、自分だけの道を切り拓く者たちがいる。世はまさに、創造の新時代。


【起業家列伝】は、時代を切り拓いた起業家たちが、どのようにアイデアを思いつき、どのように行動し、どのように最初の収益を生み出したかを追うシリーズです。成功した後の話ではなく、始まりの話を書いていきます。


ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンは、スタンフォード大学の研究テーマだったウェブページの評価手法を、そのままGoogleという事業に転換した起業家です。
学術論文の「引用」の仕組みをウェブに応用するという、専門分野の外からは思いつかない発想でした。既存の知識をどう別の領域に応用できるかという視点は、業種を問わず起業のヒントになると感じます。
この記事では、研究テーマが事業に変わっていった過程と、当初反対していた広告モデルを条件付きで受け入れた判断を見ていきます。


1995年の夏、スタンフォード大学で一つの出会いがあった。

博士論文のテーマを探していたラリー・ペイジは、新入生オリエンテーションでキャンパス案内のボランティアをしていたセルゲイ・ブリンと出会った。最初から意気投合したわけではない。2人はよく口論した。でも、同じ問いを持っていた。「インターネット上の膨大な情報を、どうすれば正確に整理できるか」という問いを。


ペイジが目をつけたのは、ウェブページ同士の「リンク」だった。

学術論文の世界では、多くの論文に引用された論文ほど価値が高いとされる。ペイジはこれをウェブに応用できると考えた。「多くの優れたページからリンクされているページこそが、最も価値のあるページだ」——シンプルだが、誰も実装していなかった発想だった。

指導教員に相談すると「それを選びなさい」と強く勧められた。ペイジは後に「これまでに受けた中で最高の助言だった」と振り返っている。

ペイジはアイデアを形にするためにコードを書き始め、ブリンが加わった。2人はPageRankアルゴリズムと呼ばれるこの仕組みを使い、既存の検索エンジンよりもはるかに精度の高い検索結果が出せることを確かめた。


1996年8月、「BackRub」と名付けられたこの検索エンジンはスタンフォードのウェブサイトで公開された。

反響は想定を超えた。あまりにも多くのデータを処理するため、スタンフォード全体のネットワーク帯域のほぼ半分を使い切ってしまうほどだった。サーバーはレゴのようなブロックで作られた格安の自作筐体だった。お金がなかったから、使えるものは何でも使った。

1997年9月15日、「google.com」というドメインを登録した。「Googol(10の100乗)」の綴りミスから生まれたこの名前には、膨大な量の情報を整理するという意志が込められていた。


1998年9月4日、2人は友人スーザン・ウォジスキのメンローパークのガレージでGoogleを正式に法人化した。

最初の出資は、その1ヶ月前のことだった。

サン・マイクロシステムズの共同設立者アンディ・ベクトルシャイムにデモを見せた。ベクトルシャイムはその場で席を立ち、しばらくして小切手を持って戻ってきた。金額は10万ドル。宛先はまだ存在しない会社名「Google Inc.」だった。法人化すらされていない段階での出資だった。2人はその小切手をすぐには換金できず、しばらくの間、引き出しの中に入れたままにしていたという。


しかし、お金が入っても問題は残った。どうやって収益を上げるか、だ。

実は2人は当初、広告によって資金を得る検索エンジンのモデルに強く反対していた。「広告が検索結果に影響を与えれば、中立性が損なわれる」と、学生時代に論文にまで書いていた。

でも現実は厳しかった。会社を運営するには資金が必要だ。2人は考えを変え、一つの条件をつけた。「広告はテキストだけにする。デザインを乱さない。読み込み速度を落とさない」——ユーザーの体験を絶対に壊さないという条件だ。


2000年、Googleは検索キーワードに関連するテキスト広告の販売を開始した。

仕組みはシンプルだった。例えば「ランニングシューズ」と検索すると、検索結果の横にシューズメーカーの広告がテキストで表示される。派手な画像もアニメーションもない。ただ、短い文章とURLだけだ。

広告主はキーワードに対して入札する。「ランニングシューズ」というキーワードに1クリックあたり0.10ドルを払う会社と、0.05ドルを払う会社では、より高い金額を入札した会社が上位に表示される。しかもお金が発生するのは、ユーザーが実際にその広告をクリックした時だけだ。見られただけでは1円も発生しない。

これは広告主にとって革命的だった。従来の広告は「何人に見られたか」でお金を払う仕組みだった。新聞でもテレビでも、効果が出なくても費用は発生する。でもGoogleの広告は「実際に興味を持った人がクリックした時だけ」課金される。無駄がない。

そしてユーザーにとっても邪魔にならなかった。画面を覆うポップアップ広告でも、読み込みを遅くするバナー広告でもない。検索結果と同じ画面に、テキストでそっと表示されるだけだ。

このモデルは見事にはまった。ドットコムバブルが崩壊し、多くのインターネット企業が消えていく中、Googleは収益を上げながら静かに成長し続けた。


成長の過程で、一度だけ会社を売却しようとしたことがある。

1999年初頭、ブリンとペイジはGoogleをExciteに100万ドルで売却しようとした。Exciteのベンチャーキャピタリストが75万ドルに値下げするよう説得したが、CEOは拒否した。その判断が何を意味するかは、今となっては明らかだ。

同年6月、KleinerPerkinsとセコイア・キャピタルという2つの著名なベンチャーキャピタルから2500万ドルの資金調達に成功した。ただし条件があった。「経験豊富なCEOを雇うこと」だ。2人は2001年、エリック・シュミットをGoogleの初代CEOとして迎えた。

そして2004年8月19日、Googleは株式公開を果たした。1株85ドル、時価総額は230億ドルを超えた。社員の多くが一夜にしてミリオネアになった。


大学の研究室、レゴのような格安サーバー、友人のガレージ、引き出しの中の小切手——そこから始まった会社が、今や世界最大級の企業になった。

「学術論文の引用の仕組みをウェブに応用する」というシンプルな発想が、世界中の情報の整理を変えた。そして「広告はユーザーの邪魔をしない」というこだわりが、まったく新しい収益モデルを生み出した。

アイデアは学術研究から生まれた。でもそれを世界に届けたのは、「絶対に良い検索エンジンを作る」という2人の執念だった。


【最後まで読んでくださった方へ】
実は私自身も今、銀行員として働きながら、中高生に社会の構造を伝え、ビジネスプランを一緒に考えながら「自分が目指す道」を一緒に探し、その道の少し先を歩んでいる大人と直接話せる「会える伝記」という場所を作ろうとしています。なぜそんなことをしているのか、ここに書きました。ご覧いただけると嬉しいです。

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