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教育熱心だった頃の私は、何を怖がっていたのか

こんにちは、サチです。

前回の記事では、「子どものため」と言いながら、そこに自分の願いもかなり混ざっていた、という話を書きました。

「子どものために、今やるべきことをやらなきゃ」

現在小6の長男がまだ幼い頃、私はかなり本気でそう思っていました。

でも今振り返ると、教育熱心だった頃の私は、子どもの将来のことだけを心配していたわけじゃなかった。
本当は、自分の中の別の怖さにも、かなり突き動かされていたんだと思います。

今日は、そのことを書いてみようと思います。


あの頃の私は、とにかく「やるべきこと」に追われていた

知育、非認知能力、モンテッソーリ、自己肯定感、バイリンガル教育、子どもを一流に育てるには…。
そういう情報を、私は必死に集めていました。
AERA with Kids、プレジデントファミリー、朝日新聞EduAとか、授乳中によく読んでいました。笑

今思えば、「◯歳で育てられるMAXを取りにいく」みたいな感覚だったと思います。

そして、集めるだけじゃなく、できる限り実行していました。

0歳の頃からおうち英語を頑張っていたし、ごっご遊びや外遊びも「非認知能力を高められるから」と思って一緒にやっていました。

でも今思うと、私はあれを心から楽しんでいたわけではなくて、かなり“頑張って”やっていたんですよね。
子どもの成長は嬉しい。
だけど、子育てを楽しむという余裕はあまりなかったと思います。

我が家はお受験をしたのですが、毎日10枚のプリント学習も、私もしんどいし子どももしんどいけれど、「やらない」という選択肢がそもそもありませんでした。

夫と教育方針が違っていても、私はかなり自分の意見を押し通していました。
私が考える教育方針の方が、絶対に子どもの将来のためになる。
夫はそこまで深く考えていないし、無責任だ。
そんなふうに、本気で思っていました。

そして、合格した私立小の近くに引っ越して、子どもの通学ストレスを極力減らそうともしていました。

こうやって並べると、かなりやってますよね。笑
でも当時の私は、それを「頑張りすぎている」とは思っていませんでした。

「子どものためなんだから、やるのが普通」
それくらいの感覚だった気がします。


でも、少しも安心しなかった

毎日情報収集は欠かさず、学習面でも精神面でも子ども中心に動いていたのに、不思議なことに、私は全然安心できていませんでした。

むしろ、いろんなことが足りない気がしていました。

これもやった方がいいのかもしれない。
あれはもう遅いかもしれない。
うちの子にはもっと別のやり方が合っているのかもしれない。

情報をいくら集めても、安心するどころか、次の不安が出てくる。
「これで大丈夫」と思いたくて調べているはずなのに、調べれば調べるほど、「まだ足りないかもしれない」が増えていく。

今思えば、あの頃の私は、情報を集めているというより、ずっと何かから逃げようとしていたのかもしれません。

その頃の私は、本気で「子どものため」だと思っていました。
そしてそれが愛情の深さだと思っていました。


本当に怖かったのは、子どもの将来だけじゃなかった

今なら分かるのですが、あの頃の私が本当に怖がっていたのは、

子どもが何の取り柄もない、「ただの一般人」になること。
誰にも尊敬されず、見下されるような存在になること。
「何のためにあんなに頑張っていたの?」みたいな結果になること。

そして、その時に「子育てに失敗した母」として自分も烙印を押され、見下されることだったんだと思います。

子どもの人生がうまくいかないことが怖い、というより、それがそのまま
自分の価値の失墜に直結していた。

たぶん、そこがかなり大きかったと思います。
だから、子育てに全振りしていました。

私自身、自分の好きなことが分からないとか、本当にやりたいことが分からないとか、本当はそういう悩みもあったんです。
でも、「そんなことより今は子育てを優先しなきゃ」、と思っていました。
自分のことは、完全に後回しでした。

だって、今やるべきことをやらなかったら、取り返しがつかない気がしていたから。


情報を集めた先に“正解”があると思っていた

今振り返ると、私は情報を集めていたようで、本当は“正解”を集めていたんだと思います。

これをやれば大丈夫。
優秀な子の家庭はこうしている。
一流の子には共通点がある。

そういう話に、すごく惹かれていました。

子どもを東大に入れた母の話とか、算数オリンピックで結果を出した子の母の話とか、すぐ信じていたし真似していました。

「うちの子に合うかどうか」というより、「これをやっている母は正しそう」の方に引っ張られていた気がします。

私が欲しかったのは、たぶん情報そのものじゃなくて、「これでいい」「これなら間違っていない」と思える材料だったんだと思います。


教育熱の裏には、ずっと不安がいた

教育熱心だった頃の私は、やる気に満ちていたというより、ずっと不安だったんだと思います。

今しか伸ばせないものを逃したらどうしよう。
この子に合うものを選べなかったらどうしよう。
夫の方針に任せたら、取り返しがつかないことになるんじゃないか。

そういう不安。

しかも、私はそれを「私は怖がっている」とは、全く認識していませんでした。
むしろ、「私はちゃんと考えている」「私は母として愛情も責任感も強い」「子どものために真剣」と思っていました。

もちろん、それも本当です。

でも同時に、その熱のかなりの部分は、不安から来ていたんですよね。


“私が間違っていない証拠”を探していた

これも、今なら思います。

私はずっと、「うちの子に合う教育は何か」を探しているつもりでした。
でも本当は、「私の子育ては間違っていない」「私の感覚は正しい」「私がやっていることには意味がある」…そう思える証拠を探していた部分も、かなりあったんだと思います。

たとえば、英語。

子どもに英語をやらせたい、英語に触れさせたい、世界を広げてほしい。
それは本当でした。
でもその中には、「私ができなかったことを、子どもにやってほしい」という気持ちもあったんだと思います。

そして、良い教育を受けさせたい、できるだけ良い選択をしたいという思いの中には、子どもの未来だけじゃなくて、私自身の判断や感覚を守りたい気持ちも、混ざっていた気がします。

全部が全部、子どものため100%ではなかった。
そこに、自分の願いも、自分の不安も、自分の守りたいものも入っていた。


あの頃の自分を、今は責めたいわけじゃない

今、これを書いていても、なんか情けないというか、恥ずかしいというか、「うわぁぁぁぁ」って叫びたくなります(;´Д`A

でも今の私は、あの頃の自分を責めたいわけではありません。

あの頃は本当に必死だったし、それだけ子どものことを大事に思っていたのも本当だから。

ただ、私は、教育を通して子どもの未来を守ろうとしていたというより、
子どもを育てながら、自分の価値や立場や安心も守ろうとしていたんだな、と今は思います。

だから、どれだけ情報を集めても、安心しなかった。
問題が教育ノウハウの不足じゃなかったから。

当時、本当に足りなかったのは、もっといい教育情報じゃなくて、「私は何を怖がっているのか」を知ることだったのかもしれません。


今の私は、前より少しだけ違う問いを持っている

今も、子どものことは普通に考えます。心配もします。
もっと合う環境を探したい気持ちもある。

でも、前より少しだけ違う問いを持てるようになりました。

これは本当に、この子のためだろうか。
私が安心したいだけじゃないだろうか。
私は今、何を守ろうとしてるんだろう。

この問いを持てるだけでも、かなり違うと思います。

昔みたいに、情報を入れれば入れるほど不安が増す、みたいな感じは少し減りました。
たぶん、教育の前に、自分が持っている「怖さ」の方を見た方がいい時ってあるんだと思います。


最後に

教育熱心だった頃の私は、子どもの未来を心配していたようで、本当は、自分が失うかもしれないものをかなり怖がっていたんだと思います。

子どもがどう育つか。
周りにどう見られるか。
自分の価値。
自分の立場。

そういうもの全部が、子育てとくっついていました。
だから、あの頃の私は苦しかった。

今はまだ、全部がきれいに分かれたわけではありません。
でも少なくとも、「私は何を怖がっているんだろう」と立ち止まれるようにはなった気がします。

それだけでも、だいぶ違う。

もし今、子どもの教育のことを考えすぎて苦しい方がいたら。
どうしても「ちゃんとしなきゃ」が止まらない方がいたら。

もしかしたら、教育そのものより先に、自分が何を怖がっているのかを見てみる方が、楽になることもあるのかもしれません。


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