断捨離シリーズ─【#9】親の価値観は、歪みじゃなく「合理」だった
こんにちは、サチです。
前回の断捨離シリーズ【#8】では、実家の片付けを通して、母の「もったいない」を否定しなくなったことについて書きました。
👇#1〜8の記事が気になる方は、こちらからマガジンで読めます
前回実家に片付けに来た時は、捨てられない理由を正そうとするのをやめて、母の価値観そのものを、いったん「そういうもの」として受け取ってみた。
すると、不思議と片付けは進み、段ボール14箱、ゴミ袋6袋分のモノが、自然と家の外に出ていきました。

そして今回。
前回からそれほど間を空けずに(二週間)、また実家に来てみたのですが。
やっぱり今回も、大量の不用品が出てきました。

使っていない食器、家電、服、置物、なんかのカバー…たくさんのモノを段ボールに詰めながら、こう思いました。
「母の“もったいない”って、本当にただの執着なんだろうか?」
親の価値観を、初めて“背景ごと”見た
実家の断捨離で、何度も感じたのは、母の行動の奥にある「不安」でした。
・捨てたあとに後悔するかもしれない不安
・持っているもの(=資産)が減る不安
・先の見えない老後への不安
母はずっと、「ここからすぐにでも引っ越したい」と言っています。
今の家に不満がありながらも、動けずにいる。
それは、気力や行動力の問題というより、「安心を失うことへの怖さ」なんじゃないかと思いました。
新品の服を前にしては
「捨てるのは嫌だけど、売れるなら手放せる」
使っていない家電を前にしては
「新しい家に引っ越すなら、これはお金かけて持っていかない」
母は、モノが好きで溜めているわけじゃない。
不安を減らすために、モノを持っている。
そう見えた瞬間が、何度もありました。
母の行動に既視感を感じた
「なーんか聞いたことある話だな…?🤔」
そう思って思い出したのが、『The Having 富と幸運を引き寄せる力』に出てくる、著者ホン・ジュヨンさんのお父さんの話でした。
👇こちらの記事に書いています。
財産を築いても、死ぬまで倹約をやめなかった父。
自分には使わず、子どもには教育費を惜しまず注ぎ込んだ父。
最初に読んだときは、「そこまでしなくても…」という違和感もありました。
でも、「落ちたら終わる」「国が守ってくれない」そんな社会で生きてきた人にとっては、それは生存戦略としての合理的な選択だった。
そう考えたとき、目の前の母の姿と、重なって見えました。
「歪み」じゃなく、「合理」だったのかもしれない
ホン・ジュヨンさんのお父さんも、私の母も、共通しているのはここでした。
・不安を前提に生きてきた
・将来に「安心できる保証」がなかった
・だから、減らすより「備える」を選んだ
社会の残酷さの強度は違うけれど、「不安に対して合理的に行動してきた」という点では、とても似ている。
そう考えたとき、親の価値観を「古い」「重い」「間違っている」と切り捨てるのは、少し乱暴だったのかもしれない、と思うようになりました。
それは、その時代、その環境で、壊れずに生きるための最善だった可能性が高い。
でも、引き継がなくていい
でも、理解することと、引き継ぐことは別だと思います。
私は、母の「もったいない」を否定しない。
でも、その不安を、私の人生や、子どもたちにそのまま渡すつもりもありません。
母は、母の時代を生き抜いた。
私は、私の時代を生きる。
以前『The Having 富と幸運を引き寄せる力』を読んで感じた「恐怖ベースで生きてきた人にとっての救済」という感覚と、実家の断捨離で感じた母の姿が重なり、より母のことが理解できたような気がしました。
断捨離は、価値観の世代交代でもある
断捨離は、モノを減らすこと自体が目的じゃない。
・何を不安として生きてきたのか
・何を守ろうとしてきたのか
・何を次の世代に渡さなくていいのか
断捨離は、それを見極める作業でもある。
だから、実家の断捨離は、自分の家の断捨離より、ずっと時間がかかるし、ずっと繊細。
でも、否定しなくなったことで、私は初めて、母と同じ目線に立てた気がしています。
次回予告
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回👇
親の不安を、私は引き継がない
親の価値観を理解した“その先”を、もう少し自分側の話として書いてみようかなと思います。
👇断捨離シリーズは、こちらからマガジンで読めます
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