「僕と彼氏のサービス・マリッジ」第二話
「……あれ、ねぇ、あんたの家って、もしかしてハヤマ・グランドセンチネル?」
「そうだ。問題でも?」
「さすがにお高い場所に住んでるなって。自分で買ったの?」
「ああ、新築計画が持ち上がった時に、すぐに押さえた」
「まさか、最上階のペントハウスとか?」
「そうだ」
「ふぅん……」
弾け終わったポップコーンのように大人しくなった天瑪を見て、ラグランジェ侯爵も安堵した様子だ。指示通りに肘下の保冷ボックスから350mlのペットボトルを取り出して、片手でキャップを外す。微炭酸の軟水はレモンフレーバー。
「……あんたって柑橘系が好きなんだな、意外」
「卿の好みでは?」
「え、なに?」
「少佐の好物だろうと思った。違ったか?」
なんだよ、僕の身辺調査は万全なのか。ちょっと抜けてる箇所もあるけど。
七年前に建設された80階建ての最新鋭フロート型マンションは、さすがに地下の深い立体駐車場も完璧なロボット管理になっており、太陽系連邦の軍事基地を連想させる。上物はかつての京都や上海をイメージしたロマンチックなオリエンタル建築なのに、戦車でも備蓄していそうなそのギャップが大きかった。
ずらりと居並ぶコルベットや4WDの博物館を彷彿とさせる影端に、天瑪の鋼鉄の愛馬ドゥカティ・スーパースポーツS600-2402年型が、主人を待ってひっそりと控えている。ボディの泥はねがきっちりクリーニングされて、小さな傷が気になっていたカウルにも、丁寧なカーボン・コーティングが施されていた。
「サービス過剰だけど、まあ一応サンキュ。どうやって運んだの?」
「ホテルのエアポートから、余のプライベートジェットで」
「ああそう……、お早い手際で」
いつの間にか侯爵は、ラウンジに預けたはずのカシミアコートと、天瑪のサイドリュックを両手に下げている。車中に誰かが運んでいたのだろう。
「左の一番奥のエレベーターへ。最上階まで直結だ」
「うっわ、本当に月面駐屯地レベルなんだ」
「ここならば空爆テロに破壊される心配もないし、パパラッチ対策としては完璧だ。卿の盗撮写真がアルファ間で売り渡されているのは、軍の防犯システムが甘過ぎるせいだと思うが」
「はいはい、うちの部署は万年金欠だからね」
住人の網膜と透視スキャン、28桁のコード入力に五本指のランダムチェックをクリアしたエレベーターAIは、二人を乗せて静かな上昇を始める。おそらくは特注の防弾ガラスで包み込まれているだろう透明な箱の向こうに広がっているのは、太平洋のブルー。
長く、10メートルは続くだろうクロス張りのエレベータースポットからも、そろそろ夕焼けに変わりゆく海岸線がよく見渡せる。メインルームに入る直前で、長身の銀髪碧眼が二回り小さい、長い黒髪の「婚約者(仮)」へ振り返った。クスィーアン特有の小さな頭蓋骨に、広く聡明さが溢れる額。そして印象的な大きな瞳。
天瑪の髪はしなやかな絹を思わせる漆黒。そして光の加減で翠にも紫にも輝く双眼は、長いまつ毛に覆われている。
「……少佐、改めて申し訳なかった。冷静な対応に感謝する」
「暴れたくてもね、『対テロリスト英雄章』三つ持ちのアルファ相手に、僕が勝てるとでも?」
「それでも、こうして話せて余は嬉しい。礼を言う」
さすがに、長い歴史でアルファエリートが別邸やヨットクルージングを堪能する葉山エリア。七年前に新築されたばかりの月面直結高軌道エレベーターを誇る「ハヤマ・グランドセンチネル」は、完全防衛AIに守護された屈強な海上の城だ。
「荷物はソファの上へ、少佐は寛いでくれ」
「あのさ、悪いんだけど汗みどろで冷えちゃったし寒くて。着替えたいんだけど、捨ててもいいシャツとかある?」
庶民の憧れであるバトラーボットAND-255が渡してきたオーダーパネルから「ホットのハニーウーロンラテ、カスタムローファット、ミルク増し、グランデ」とタッピングした天瑪・メーライシャン少佐に、リーデンゲイツァー・フォン・ラグランジェ侯爵は、一瞬困惑の表情を見せた。
「……気が付かずすまない。シャワーブースが寝室の奥にあるから使うと良い。いや、卿は和系なのだからバスタブを使うのか」
「うん、できれば」
「では、汗を流した後に夕食にしよう。一番広いバスルームは、テラスに出て海岸方面の個室になる。アメニティも全て揃えてあるから、ゆっくり疲れを取りなさい。余は仕事があるので、気遣いは一切不要だ」
「おかしな展開になった……」
ラグランジェ侯爵の指示通り潮風を全身に受け止めながら、サウナスペースと隣接されているバスルームに足を踏み入れると、まるで青い海の上に浮かぶ方舟で旅にでも出たかのように錯覚を覚える。軍の薄汚れた自分の寮一部屋がそのまま、すっぽり入ってしまう広さ。ジャグジーバスからは凛とした香りのバスボムが、惜しげもなく溢れ流れ続けている。
お見合い会場のホテルから、抱え上げられたまま飛んだり跳ねたり走ったり。自分の体力はほぼ使わなかったのに、どうしてこんなに汗だくだったのか。マッサージシャワーから勢いよく吹き出たお湯に、たっぷりと髪を濡らす。
「めっちゃんこ、腹減った〜」
とんでもないハプニングを体感して、ランチに食べたはずの前菜サラダやラムの煮込み、桃のコンポートはとっくに体内燃焼して消えてしまった。とにかく汚れを洗い流して、精神的に落ち着きたい。ボディソープを馬毛ブラシに泡立てると、もう何も考えたくないとばかりに、天瑪は無心に一日の垢をぬぐい始めた。
き〜みのハ〜トはどこにある〜?
僕か彼氏か〜、ハッキリしちゃって〜
「歌っている……」
ディナーのメインコースの好みを聞こうとして浴室への回線を開くと、反響していささか調子外れだが、けして乱れてはいないアルトボイスが流れてきた。
ラグランジェ侯爵は、その彫刻のように整った口元に指を添え数秒間思考し、自分の代わりにバトラーボットAND-255へ伝達を頼んだ。
ランチタイムから結構な運動量をこなしたが、普段からアステロイドベルト周辺で空賊相手に暴れている実戦任務と比較すれば、食後の軽い散歩程度だ。特に受胎児の頃から、筋力や運能能力の優生配合を何代にも渡って受けたアルファ・エリートにとっては、三日間徹夜しての戦闘状況でも冷静な戦略能力に影響は無い。
『侯爵、あと少しで出るから。お待たせ』
インターフォンから歌声と同じイントネーションが飛び込んでくる。わずかに木星ジュピトリアン空域訛りのあるキングズイングリッシュだが、自分の英語発音も時々ゲルマン・ネイティブが出てしまうので、気にはならなかった。
「了解した。メインダイニングで待っている」
『バスローブで一番サイズ小さいの、グリーンのやつかな』
「……二人だけなのだから、気にせずに。気楽に過ごせば良い」
『そうだよね、じゃあ後で』
侯爵としての地球東ヨーロッパの領地統制と、太陽系連邦の上級軍務、そして次から新しく着手する「クスィーアンの伴侶となる、アルファ・ハイブリッダー」としての仕事と計画案を一度ファイリング。厳重な個人コードを掛けてセルフィアイと連携させ作業を終える。
そこで初めて、今日は午後にニットスタイルとブラックデニムを身に付けてから一度も着替えていないと気付く。ベルリンの本家を出てからは木星に長く住み、天王星のツタンカーメン家に五年間私設仕官していた頃。ランチ後とアフタヌーンティータイムの時間に上着だけでも替えるのが、貴族としての嗜みだった。
子供時代から「なんとも効率の悪い習慣だ」と憂鬱だったが、ここ数日は天瑪・メーライシャンと初めての顔合わせをする為に、綿密なシミュレーションを重ねた。このニットとボトムも自ら生まれて初めて入店したカジュアルショップで、試着してからカード払いをした商品だ。
何せ太公家の六男坊だけに、幼少期は兄のお古ばかり着せられていたものだ。着回しで多少くたびれた物が多かったが、腕利きテイラーが何度も補修していた高級品だし、服装に全く興味はなかったので不満は持たなかった。だが今日のような特別イベントがあると、やはりシチュエーションに相応しい服装が不可欠になる。
「ちょっと! 侯爵!」
「どうした?」
ノックをスキップして突如リビングに飛び込んだ人物に、さすがのラグランジェ特殊先行部隊中佐も肩を振るわせる。いや、正しくはドアを開けたその人物のスタイルに驚愕したのだ。今日の昼過ぎに、ようやく十七年の苦節を経て結婚を申し込んだナチュラル・クスィーアンである天瑪・メーライシャンが、まだ雫の滴る艶やかな黒髪をラフに結い上げ、夜の気配を深くした大きな窓辺に立っていた。
スラリと細い脚は眩しく素肌のままで、そして上半身から太腿までたっぷりと覆うコットンのTシャツ。その胸元には色鮮やかな赤い、大きな観賞魚。
「ちょっ、ブフッ……! こっ、これ自分で買ったの!? 何これ!? 『キンキン、金魚』って!」
しっとり水分含んだ瑞々しい若い身体からは、普段自分が愛用するボディソープやローションのアイジング・ブルーが匂い立っている。アルファ・エリートである男性よりもはるかに細く小柄で、しかし同族種のアルファ女性よりは背筋も骨格ラインも節が目立つ。少年のように凛として少女のようにまろやかで。童顔の男性ともスレンダーな女性にも思えた。これが、新世代人類であるクスィーセクシャルの肉体なのか。
とてもではないが、「自分の服を買った時に、卿に着せたいと想像して購入した」とは答えられず。
「気に入ったのなら何より。ではディナーをご一緒にいかがか、メーライシャン少尉」
匂い立つ青い花のような香りに酔う表情を隠し、侯爵は鉄の仮面を付け直した。
「僕と彼氏の、サービス・マリッジ」二話
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マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。