見出し画像

「僕と彼氏の、サービスマリッジ」三話。


「シュール! これなに、ブッファ!!! キンギョが、金魚の顔が!!! アツハハハハ!!! う、ゲホッゴホッ、ウエッ、リ、リアル過ぎ〜!」

引くと言いつつ、爆笑して腹部を抱え両足をドタバタと踏み込む天瑪。ショックで涙が止まらないらしく無造作に頬を擦ると、まだぐっしょり濡れている長い黒髪から、ポタポタと雫がフローリングに跳ね落ちる。

「ハァ、はあ……、腹筋が死にそう〜! めっちゃんこウケる……」
「少佐、水を」
「はあ〜、ありがと。ヤバいよ、僕ちょっと貧血起こした……」

水溜りを気にせずしゃがみ込んだ姿に、侯爵は顔には出さずに慌てて腕を伸ばした。ハヤマ・グランドセンチネルは戸建てマンションではあるが、50階にあるフレンチ&イタリアン「ラ・バルジャネール」の一流シェフ達が、各部屋へオプションでメニューを作ってくれるサービスがある。天瑪の好みそうな料理が、既にダイニングの広いテーブルを支配していたが、フラフラと危うい足運びを見てリビングのソファへ座らせ、ミネラルウォーターのペットボトルを握らせた。


「早く拭かないと、湯冷めをする」
「フェイスシート貼るの忘れちゃったよ! これ自分で買ってきたの?」
「今朝はタケシタ・ストリートで……」
「あんたが!? 原宿エリアに!? まさか、タケシタ・ストリート!?」
「そうだ」
「聞くの怖いけど、ぐ、軍服着用で?」
「他に無かった」
「……うっわぁ……」

今度こそ、「どん引き」したらしい引き攣った顔の天瑪は、「条件検索、ワードは軍服、美形、アルファ、エリート。写真を出して」とルームAIに指示を出す。

リビングの壁ビジョンに、パラパラと液晶写真が並べられる。時刻は今日の午前九時、場所は原宿エリアのタケシタ・ストリート。
どの写真にも、天瑪の長い黒髪を淡いピンクのバスタオルで丁寧に軽く叩いている、この美丈夫が映っていた。

「周囲に敵意は無かった。後で広報に処置を頼む」
「みんな驚いただろうなあ、ここ今日は立夏祭りがあったんだよ。まだクローン金魚掬いってやってんのかな」
「マツリ?」
「子供神輿とか出てさ、北参道から明治通り沿いに……、神宮前までだったかなあ。昔は僕も背負ったよ。懐かしい」

ポフポフと、黒髪の水分が優しくタオルに吸われていく。なんとか冷静を保ってはいたが、ラグランジェ侯爵の目は真っ白な「婚約者(仮)」のスラリと伸びる脚に釘付けだった。アルファ・ハイブリッダーは、性欲もクスィーアン並に淡白なタイプが多い。彼自身も、自分が誰かの素肌に高揚するなど想像した事が無かった。

激戦区の戦場では寝所にプロのラブデリバリーが呼ばれ、高額なチップを握らせれば、客の名前を絶対に漏らさずに「仕事」を終えて去って行く。ラグランジェ侯爵は地位も名誉も軍歴も申し分無い英雄だったし、何よりもその美麗な顔と精悍なビジュアルが不要な蛾を夜に呼び寄せてしまうのだ。

頼んでもいないのに、上級将官の個室ベッドやテントにアルファ女性や、キャットビースターの美少年が全裸で微笑んでいた晩が何度もある。その度に適当な紙幣を握らせて返品するのだが、貴族育ち故に現金を持つ習慣が無かった。

コードやカード支払いにすれば無実でも疑惑の痕跡が残ってしまうので、この十数年は万冊を数枚、ポーチに入れておくようにしている。

リーデンゲイツァー・フォン・ラグランジェ侯爵にとって、ただ一人以外との肉体関係や体液交換は、人生において全く無意味な行為に過ぎなかった。ラグランジェ太公家には五人も兄がいて、全員それぞれ離婚歴が三回を超えるも、必死に人工授精を繰り返している。アルファ種の呪いなのか、兄の誰かが子持ちになったという知らせは全く聞かない。

しかしながら現実問題、一人もオメガがおらずクスィーとも無縁のままでは、そう遠くない未来に家系が途絶えてしまうのは明らかだ。

「少佐、その、フェイスシートやらが無いのだ。すまないがネットストアにて購入するので、食事をしながら待っていてもらえるだろうか」
「あ、今日はいいよ。バスルームのパックを使えたし。あれさ、もしかして僕の為に用意しておいたの?」
「普段、どういう種類を使用しているかわからなくて」
「なんか、色々ありがとね。バイクの整備もクリーニングもさ、明日ちゃんとお金返すから」
「その必要はない。余が勝手に進めてしまった詫びだ。まだ全く足りていない」


あれだけ大笑いしていた姿と変わって、天瑪・メーライシャン少佐は、黙ってソファに寄りかかり窓に広がる夜景を眺めていた。もう19時を過ぎている。深いバイオレットの空の下で、江ノ島エリアの灯台がきらきらと点滅し美しい。

「……こんなに笑ったの、何年振りかな。笑うのって疲れるけど、気分スッキリするもんだね」
「気が優れたのなら僥倖だ」

バトラーボットAND-255が手渡してくれた、グリーンアップルのヘアオイルを長い黒髪に馴染ませてから、熱過ぎないようにイオンドライヤーを施す。ぼうっと黙り続けている天瑪に、「もしや、自分を嫌になったのか」と侯爵は内心冷や汗を流していた。だがコクコクと俯き始めてきた小さな頭に、アルファ人種の自分と、強化受胎していないナチュリア・クスィーアンの体力差を突きつけられる。

「少佐」
「……、はい、なに……」
「今朝方まで徹夜続きだったと忘れていた。本当に申し訳ない」
「ホントだよ……、やっと仕事が終わって……ランチを食べたら寮に帰って、映画配信を観て寝ようと思ってたのに……」

ゆっくりと上を振り向いた大きな紫の瞳に、侯爵は息を呑んだ。生まれて27年間、上流社交界やアルファエリートの夜会で何百、何千というハイブリッド・ヒューマンの男女を見知ってきた。どの人物も最高の遺伝子配合で構成されたサラブレッド・ヒューマン揃い。

しかしこんなにも心を動かされ、何もかもが綺麗だと心酔する対象は目の前の一人しかいなかった。ハイブリッド・アルファである自分達にはない、額のそばかす、上顎の一本のみ目立つ八重歯。不揃いな爪の形、首周りに散るほくろ。

「……冷めてしまう前に、ディナーを如何か。卿の口に合えば良いが」
「食べる食べる。眠くて忘れてたけど、腹減って気絶しそう」
「その前に何か、脚に、その、着た方がいい」
「あ、ヤバい。冷えて腹壊すわ。パジャマ貸してくれる?」

黙って頷いた侯爵は、クローゼットに行ったまま30分、「まだ〜!?」と催促するまで戻っては来なかった。


二人とも食べ物の好き嫌いはなく、気持ちよく片付けられた皿が運ばれていくと、原宿での初ショッピングや、六人兄弟のお下がり問題で盛り上がった。天瑪の始祖は元々鎌倉の武士の流れで、材木座町に住んでいた事、先祖は花火師だった歴史など侯爵には新鮮で嬉しい情報ばかりだ。メーライシャンの姓は元は「名楽院」という寺院が発祥で、旧日本領地がほとんど外国アルファに買い取られていった時代に合わせ、改名したらしい。


「僕に話したいこと、たくさんあるんじゃないの?」
「ある、それは大量にあるが、あり過ぎてどこから始めるべきか……」

ふう、とため息をついた天瑪は、搾りたてのマスカットジュースを含む。

「僕さ、大きな仕事がひと段落したから、今週は有給休暇の消化で木星にでも旅行しようと思ってた」
「うむ、休養は大事だ。卿は働き過ぎだと余は思う」
「前線勤務の左官と違って、技術者の僕は給料が少ないからね。それに何より、仕事が大好きだし」
「知っている」
「きっと、僕らが婚約とか結婚について話し合いを始めたらさ。そうそうすぐには終わらないよ。だからその、しばらくここにゲストとして滞在してもいいかな」

ソファのすぐ近くに立っていたラグランジェ侯爵は、咄嗟に発言者の前に回って、その膝下に片足を折る。

「もちろんだ、一ヶ月でも一年でも
「節度あるゲストとしてね」
「当然だろう」

漆黒の絹髪をかき上げて苦笑した天瑪は疲れては見えるが、けして投げやりな態度には感じられない。言葉を手探りに集めている様子だ。その胸元でビビットな金魚が揺蕩っている。

「こんなに良くしてもらったし、僕もそんなに無神経じゃないから中佐の気持ちは、その、嫌じゃないんだけど。典型的なクスィーアンとして、子供の時から徹底した独身主義なんだよね」
「…………」
「ちょっとぉ〜、そんな悲壮感溢れる顔やめてくれる〜?」
「余は、余はずっと、卿しかいなかった。七歳のあの武闘試合から」
「そんなに? あれっ? 十歳の僕があんたを殴った日じゃなくて?」
「ちがう、もっと前だ。2398年の10月21日、木曜日」
「さすがの記憶力! なんだか悪かったね、そんなに待たせたのに」


天瑪は「残りはまた、明日からの課題にしよう」と立ち上がって、ラグランジェ侯爵も同意する。このテーマは、簡単には結論に辿り着かないだろう。二人ともその現実をよく熟知しきっていた。ピュアな十代ならともかく、今は大きな責任を背負う社会人で軍属勤務だ。会っていなかった年月の方が明らかに長いし、進んできた道も全く違う。

婚姻について妥協か、それともどちらかが屈するか。まだ光の方向はお互いに見えない。

「客室で卿はゆっくり寝ていると良い。余は午前中に休暇申請をしなければならない。上司には今回の件についても、挨拶をする必要がある」
「了解、明日は遠出しないから。用事があったら連絡して」
「……外で食事をしないか。次は二人で店を選んで」
「良いかもね、タケシタ・ストリートにでも行こうか?」

目線を伏せた侯爵に、天瑪は「じゃ、このTシャツは今日のお詫び品として貰っておくね」と胸を張って金魚の柄を広げた。

「見た瞬間に、卿に渡したいと思った」
「次は僕が、もっとシュールなのを買ってあげるよ」
「楽しみだ」

そこでやっと、二人は再会してから初めて、心からの微笑みを浮かべた。

「僕と彼氏のサービス・マリッジ」三話








いいなと思ったら応援しよう!

雲州鳩 マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。

この記事が参加している募集