「彼は、俺の婚約者・番外編」
「透明な手紙の香り」なるものが太古の昔にあったと祖父から聞き、「バーチャルメーラーから香ってくる匂いのことか」と、朱夏は婚約者である白鷹(ハクタカ)こと、カーディアス・ツタンカーメン統帥本部副長へのサプライズを決めた。
紙媒体文化がほぼ、人類史から消えかけて二百年になる。一時は自然破壊阻止勅令や、民間での炭化焼却システム廃止論が拡大して、地球での紙の生産や処分は御法度になる寸前だった。2100年代の話だ。
シールドパネルやアイペンシルの革命的な進化と並び、思考した絵柄や文章が脳神経アプリにより具現化可能となった影響で、2204年の現代では長文を手で書き出す、または絵を画材で描写する文化は遠く廃れ久しい。
文明進化に加えて、優生遺伝子配合のハイブリッダー・ヒューマンが急増し、彼らがコピークローン故に、オリジナリティカルチャーを生み出せなくなった悲劇も原因の一端だ。
彼ら彼女達は記憶や語学計算能力、戦略的思考に秀でていても、芸術面では誰かしら過去の模写や演奏、もしくは彫刻を的確に真似る事しかできなかった。自由なフィーリングのままには、作品を生み出せない人工生命体。文学や音楽、舞踊や絵画などの受賞作品は、ほとんどが数人口の少ないナチュリア達が占めている。
日本が経済破綻をして分割売却されて、元々無くなりかけていた年賀状郵送は消滅。手紙やクリスマスカード、誕生日メッセージもほとんどがアプリメーラーやボイスメッセージに後継された。
「なんかこう、驚きでもって新鮮さを表現したいんだよなあ」
星間飛行隊を直属の配下に置いてから、朱夏•レーゼン・ラフィエールの宇宙軍での階級は中将に昇進したし、総司令本部長官職の任命を受けた。朱夏本人としては、女帝の孫に相応の権力を与えてトップのバランスを保持したい上層部の思惑だろうと踏んでいる。
白鷹が率いる少人数の精鋭「00部隊」も、最近は星系外コロニーでの隠密に多忙だ。マザーヒュートラン支配に意を唱える一部のハイブリッダー貴族が、下級ビースターに高値の給料を与えて集団蜂起。アンドロメダ空域やコロニーをアジトに置いて、革命家を気取っている。自分で手を汚した経験も無い、全くど素人の軍組織がとんだお笑い種だ。

朱夏と白鷹が出会って、そろそろ十年が経過しようとしている。
元々は祖母が決めた許嫁同士故に、恋愛感情が二人にはほとんど無かった。国家や家柄を継承させる為の関係ではあるのだが、それでも親友としての強い絆でも結ばれているので、この頃すっかり顔を合わせていない状況に、なんだか心細い。
ビースト・マーメイドから体液注入を続け、ついに顔病が完治してからの白鷹は、奇病持ちとして忌み嫌われていたそれまでが一転。ハイブリッド貴族の令嬢からは「氷の貴公子」と呼ばれる、社交界の王子様的な存在になっている。
醜かった思春期前に、実母やその周囲に冷遇されていた人間不信から、彼が容易に他の男女に目移りする可能性はほぼ無いと熟知しているのだが、それでもナチュリアの朱夏よりも長身が華やかで豊満なハイブリッド女性や、雪のように白くたおやかで可憐な美少年が白鷹に擦り寄っていくのは、なんだかムカムカして気分がよくない。
その正直な気持ちを、同じナチュリアでクシィー・セクシャルの憂・ツタンカーメン少佐にランチタイムで語ると、「ははあ〜、殿下はあんなにも統帥本部副長に想われていらっしゃるのに、自覚をお持ちでは無いのですなあ」と、何故か隣に座っていた、憂の腹心であるアルマンゾ・ベリフィールズ伍長に呆れられた。
野生動物とハイブリッダー人類の人工交配種の中でも、特に貴重なグリフォン種のオスだ。2メートル近い背丈に逞しく鍛え上げられた筋力と、美しい白銀の長髪。戦いの跡なのかせっかくの美麗な顔に深い傷が残っているが、それでも美丈夫に変わりはない。
青灰色の瞳がいつも優しく微笑んでいるが、この元傭兵独立部隊の猛者が実は甘やかな毒を持つ人物であると、朱夏も白鷹もその圧倒的な軍歴キャリアから知っていた。だが、その毒さえ魅力的で嫌いになれない魔性の男だ。
「殿下、失礼ながらそれはジェラシーですね」
相棒であるグリフォンの長身を押し除けて、その主人である憂が微笑む。
「俺らクスィーに嫉妬心は無いよ。君が一番理解しているだろうに」
「私だって、アルマンゾ伍長が夜のお仕事の人と毎晩会っていたらやっぱり嫌ですよ。私達だって人間なんだから、嫉妬がゼロではないでしょう」
「えっ、大将ってば俺をそんなに? まさしくラブ!? やだなあ、言ってくれればもう絶対に目移りなんてしないのに!」
そんな会話をしたのが、半年くらい前だった気がする。
「う〜ん、どうしよう」
まず二人の新居になる予定のマンションにて、紅茶を濃いめに淹れてみた。滅多に入手できない、地球のインド産マリアージュ・フルール。自分の好みで買った「マルコ・ポーロ」だ。アールグレイやオレンジ・ペコよりも独特の濃厚な香りで、好き嫌いが分かれる。
耐熱性のガラスポットに注いで、ケーキ作りに備えていた薔薇のエッセンスを数適混ぜ、3Dメーラーボックスの中に10秒間放置して反応を待つが、返信がなかなか届かない。
「忙しいんだろうなあ」
冥王星周辺の空賊相手に戦闘中だと心苦しい。朱夏も明朝早くから、第七世代人型兵器ナイファスの「RX-63f」プロトタイプ演習だ。大好きなバスボムを使った入浴を楽しんで、ゆっくり眠りにつきたい。

「マルコ・ポーロにバラを入れたな」
一時間ほど半身浴をし、自室のヨガマットでストレッチをしていた23時。やっと、フィアンセからのレスがセルフィアイを鳴らす。
「わかった?」
「冥王星の砂漠のど真ん中で、めちゃくちゃにバームクーヘンが欲しくなった」
「悪ぃ悪ぃ、飯は食えてる?」
「人工ペーストなら飲んでいる。使っていない顎が退化しそうだ」
「機密かもだけど、一応いつ帰れるか聞いてみたくて」
相手が一瞬黙り込んだので「あ、やっぱいいや」と言いかけたが、「明後日の夜には、ジュピターエアラインに乗れる」と、押し殺した声が耳をくすぐる。おそらく、周囲が寝入ってから連絡をくれたのだろう。
「昔は、紙に直接字を書いて送りあっていたんだって。贅沢な話だよな」
「ああ、ペーパーレス条約ができて二百年だからな。でも、まだ手作りの紙を利用している国もあるぞ」
「え、そうなん?」
「旧日本の四国地方だ。ワシという紙を水の中で生成して、ルーブルやエルミタージュ、メトロポリタン、プラドが宗教画の補修に使用している。俺も実物は見ていないが、一子相伝の貴重な技術らしい」
「知らんかった。凛ばあちゃんの持ってる……、ウキヨエだったかな。あれなら触った事があるんだけど」
「ワシはエジプトのパピレスと同じく特有の匂いがする。ツタンカーメンの実家には、オシリスの経典が残っていたはずだ」
それから一時間ほど、数年帰っていない白鷹の修行場があった峡谷の馬糞の臭いや、祖母が愛用する白檀の香り、新しく発売されたロクシタンのライム・ヴァーベナトワレについて話した。
「朱夏、お前は明日も演習だろう。そろそろ切り上げよう」
「うん、白鷹も気をつけろよ。そっちは違法サイボットや手練れのビースターが多いんだろ。そうだ、明後日はジュピトリス・ステーションに迎えに行くよ。22時とか?」
「……、構わないが。ちゃんと頼りになる護衛を付けて来るんだぞ。そうだな、俺からアルマンゾ伍長に伝えておく」
「サンキュー、そういやアルにもしばらく会ってないや」
「じゃあな、おやすみ。声が聞けて嬉しかった」
「うん、おやすみ。明後日な」
メーラーをオフにして、羽毛布団へ横になる。この時間にブラックティーを飲んでしまうと眠れなくなるので、ポットに放置したままの「マルコ・ポーロ」は明日の朝用に保存だ。BOXに入れておけば、最適の状態で一日は持つ。
セルフィアイで調べると、「和紙」は日本の大正時代辺りまで日常品として使われていたらしい。高級品で庶民の手にはなかなか渡りきらなかった物とある。
きっと、そこに並べられた歌や伝書も契約も数千年変わらずに、人と心を結び合うメッセージが書き込まれていたはず。愛を喜び別れに嘆き、裏切りに怒って破滅を呪った媒体であった事は今も変貌していない。
「……二人で、久しぶりにルーブルへモナ・リザを観に行こう」
取り敢えずの婚約者と過ごせる休暇、おそらく和紙もパピルスも遥なる過去の香りと共に、その場所で眠っているはずだ。紅茶の匂いに包まれて、いつのまにか朱夏は夢の世界へ身を投げた。
【彼は俺の婚約者、番外編】

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マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。