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番頭狐のお宿帳🦊第五話『旅の手土産』

ゆれるさざ波、月明かり。
光がつなぐ海の道。

ぽつんと浮かぶその島の、
ススキ野原を飛び出して、
首を伸ばして海を眺める番頭狐。

はしゃぐ尻尾を追いかけて、
白銀の筋を夜空に描く白夜烏。

宵の海にはもう一艘、島に近づく旅の舟。
桟橋を渡る旅人の、かけよる影はたちまちに
軽やかな一匹の子鹿の姿に。

ここは情報の大海の片隅、note海域に浮かぶ小さな小島。
かつて一軒の旅籠屋が、大風車を背に建っていた。

番頭狐は、子鹿と鴉の姿を纏った二人の門客を
かつて旅籠屋が建っていた、原っぱの真ん中に案内する。

そこには少し傾いた水瓶が、
満月をたたえて待っている

「ここ・・・中庭があったところですね」
白夜鴉は水瓶の縁から揺れる月を覗き込む。
「ええ、今はこの通り、中なのか外なのか」
ふふふと笑う番頭狐、水琴窟がタン、トン、タン。

「わぁ、月が大きく見えますねぇ!」
小鹿は開けた原っぱをとっとこ散策したのちに、
水瓶と天幕に光る、ふたつの円をかわるがわる眺めて笑う。

水琴窟が、タン、トン、タン。
狐と子鹿と鴉は笑う。
ほんの少し遠慮がちに、傍の風車もカラカラと。

番頭狐、2人の門客の顔をちらりと眺め
コほンとひとつ咳払い。

「それでは、門客のおふたかた、
ようこそお戻りくださいました。
月の向こうの船旅で、
どんな世界に触れたのか…
漂白の旅の悲喜こもごも、
どうぞお聞かせくださいまし」

水琴窟の鳴る月夜。
交わすコトバを手土産に、三つの世界が交差するーー


旅の手土産

走り出したぜ、【旅籠屋*漂白】プロジェクト✨
メンバーシップの活用法を含め、プロジェクトのあり方進め方、まだまだ基礎工事をしながらではありますが🪏👷

今月の《縁会》のお題はこちら🙌

属性も、肩書も、身体的特徴や他者と比較して得られる情報も抜きにして、
あなたはあなた自身をどう表現する?

このお題から何を思い浮かべて、どんな応えに導かれたのか?
まなざしも、切り抜き方も、まさに三者三様🤭🎵

わたしは「想創」する人

わたしは『想創(そうそう)する人』だと思う。

想像と創造を分解して組み立ててできた造語なんだけど。
想いを巡らせイメージし、一から新しいものを創る。
今の自分をお題に当てはめたとき、一番しっくりくる言葉が
これだった。

門客のムーンストーンさんが持ち寄ってくれた「旅の手土産」🐦‍⬛

この造語がまさに「想いを巡らせイメージし」て創り出された「新しいもの」✨

いろんな角度でわたしに尋ねる

これ、前にも実は自分でも考えてみようとしたことあるんだー。

でも、その時どういう答えになったかは忘れてしまったな。

それに、その答えは所詮はその時の私でしかない。
今の私が今もまだその時のままだとは限らない。
ちょうどいい、考えてみよう✊

そしてもうひとりの門客、くーさんはセルフインタビューのように「わたし」を深掘り。

コトバというラベルを超えて

そしてわたくし、番頭狐🦊とと子のココロミと。


情報の足し算じゃないわたし

属性も肩書きも抜きに…
ラベル🏷️を外したわたしを見ると…?
そんなお題でございやした🙌✨

ムーンストーンさん、くーさん、とっても面白い旅の手土産、ありがとうなのでした🦊💞

改めて…
なにをもってわたしは私を「This is me」とするのか。

「私とはなにか」ってのは、いろんな分野(生物学的、心理学的、脳神経学的、文化的etc)でも問いにあげられるテーマだよね。

例えば脳科学者の池谷裕二先生は、私(という意識)を「スピードのようなもの」と表現しておりました。

車が動いている状態に付随している状態がスピードですよね。
”私”とは、おそらく「速さ」に似た概念だと思います。

車を分解していってもスピードという概念はどこにも出てこない。

それと同じことで、脳が神経活動をしている状態のことを”私”、あるいは心だと言えるのではないでしょうか。

池谷裕二(夢枕獏『人間ってなんですか』対談にて)

車体🚗でも各パーツでもなく、その車が走る時にはじめて観測される「スピード」のほう。

とすると、
ムーンストーンさんのコトバ、そしてくーさんのインタビューは、まさに

車体パーツをリストアップするんじゃなく、
どこに向かってどんなふうに、どれくらいの勢いで動いているのか?


そんな「スピード」的概念のわたし、に触れるものだった気がする👀


ムーンストーンさんは、お題記事の最後をこう締めくくっていた。

誰かを知ろうとするとき、つい見える情報だけで判断しがち
だけど、こうやって限られた情報で誰かを知ろうとするのも
大事かもしれない。

そうそう、自分に向けるまなざしは、
「他者にむけるまなざし」でもある。

自分が情報の寄せ集めじゃないことを自覚した者は
他者もまた情報の寄せ集めじゃないことに気付く。

ラベルの見せ合いっこ、ではなく、
スピードとスピードが触れ合うとどうなるのか?

私と、あなたが、知り合う。
世界を交わし合うと、どうなるのか?

他者を理解するということは、その他者の周辺/環境情報を知るにとどまらず、その他者とのかかわりのなかで、自分自身を作り変えていくことなのだ。

『「くぐり抜け」の哲学』稲垣諭

私という「スピード」が、あなたという「スピード」に出会えば
それぞれのスピードが影響を受けないはずもなく。

その自分の変化に応じて、他者との距離が認知的にも、行為的にも変化する。
そのような経験を積み重ねていくのだ。

ただし、それによって、たとえばクラゲを最終的に理解できるようになるわけでは当然ない。
むしろ理解できる地点には絶対に到達できないからこそ、彼らは「他者」である。

だから「くぐり抜け」は終わることができない。
他者に近づくということは、フッサールに倣えば、そこへと自らを壊しながらにじり寄るように近づく果てなき作業の連続のことになる。

『「くぐり抜け」の哲学』稲垣諭

「自らを壊しながらにじり寄るように近づく、果てなき作業の連続」
なんて言われると、こわく(それとも、めんどうくさく?)感じるかな?

他者への驚きは、価値評価とは独立にも生じる
いや、もっといえば、自分のなかに構築された狭い価値基準を崩して、
それを更新してしまうほどのインパクトをもつから人は驚くのである。

だからこそ、その驚きを共有することができれば、
その他者との新しい生を開始することにもつながっていく。

『「くぐり抜け」の哲学』稲垣諭

でもな、私はすごくおもしろいなぁ!!!って思うの。

価値評価、お互いのラベル関係なしに、誰かと接点をもつ。
それは私を驚かせる。私のスピードを変えてしまう。

ここ【旅籠屋*漂白】は、その驚きを共有できる場でありたい。
ここから、新しい生が始まる場にしたい。


そんなわけで
noteメンバーシップをプラットフォームにシコシコつくっているこのプロジェクト。

「Who am I?」
ラベルを剥がしたあなたは誰?
そのスピードに触れてみたい✨

通りすがりの旅人さん、どうぞ記事のネタにこのお題、お持ち帰りくださいまし🤗

※報告不要ですが、リンク🔗貼っていただければ番頭狐🦊しっぽをフリフリ喜んで、記事を読みに参ります♡

そして、もひとつ、このプロジェクトでたったお楽しみ企画🙌✨

参加者募集💫三人寄らばモン殊タロット

あなたの質問に、門客のムーンストーンさん、くーさん、番頭狐のとと子がカードを展開いたします💖


それでは旅人のみなさま、
ぼんぼやーじゅッ👋🚣✨

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書庫番マルジ もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!