規制当局と戦い続けた4年間——KalshiはどのようにAIの次に来る「予測市場」を築いたか
2019年にY Combinatorでスタートしたあるスタートアップが、最初の3年間で一銭も稼げなかった。規制当局の許可を待ち続けたからだ。さらに、2年間は、自社の規制当局を相手取り、裁判で戦い続けた。そして、2024年の米国大統領選挙を境に、月間取引高104億ドルを誇る急成長企業へと変貌した。
これがKalshiだ。共同創業者のTarek MansourとLuana Lopes LaraはMITで数学とCSを専攻した同窓生。ポッドキャストでの長時間インタビューで、彼らはCFTC(米商品先物取引委員会)との戦い、マーケットメイキングの設計思想、そして予測市場が社会に与える影響を率直に語った。
1. 「許可を求めてから始める」という異端の戦略
1-1. 金融とヘルスケアは「許しを請う」モデルが通じない
多くのシリコンバレー企業はPayPalやUberのように「まずやってから規制化を待つ」アプローチをとる。Kalshiはその逆だった。
「金融とヘルスケアは違う。人のお金を失わせることはFTXの例でも見たように取り返しのつかない結果になる」とTarekは語る。むしろ最大の問いは「成長できるか」ではなく、「米国で合法的にこれができるか」だった。それを最初に解決しようと考えた。
「ほとんどの人が我々の戦略を間違いだと思っていた。特に、選挙の訴訟に勝つまでは、オフショアで展開した企業の方がうまくいっていると言われていた」
1-2. CFTCと「製品開発のような」プロセス
Kalshiは、2019年の創業から3年をかけてCFTCの承認を取得した。すべての契約を個別にCFTCに提出し、24時間以内に差し止めがなければ提供できるというプロセスだ。
「最初にCFTCのビルに入ったとき、規制当局の頭の中は大混乱だったはず。金融的な基礎となる指標のないものを取引する、しかも週に何百もの契約が来るかもしれない——既存の枠組みはこれを想定していなかった」
それは製品と顧客の関係ではなく、規制当局との「規制マーケットフィット」を探す旅だったとLuanaは表現する。
2. CFTCを相手取った訴訟——「反パターン」を選んだ理由
2-1. 選挙市場という「聖杯」を阻まれた
CFTCは、一般的な予測契約には対応していたが、2年間にわたって選挙に関する契約の承認を拒否し続けた。最終的に「ポケット否決」として2022年の選挙後まで先送りされた。これが引き金となった。
「あれは会社にとって最もつらい時期だった。チームは士気が最低で、多くの人が会社を去り、投資家の多くも方針を信じなくなっていた」とTarekは振り返る。
社内ミーティングでLuanaが提案したのが「CFTCを訴える」という選択肢だった。当初はTarek自身も懐疑的で、「自社の規制当局を訴えることは一般的にベストプラクティスではない。それに勝ったとしても、その過程で潰されるかもしれない」とボードに伝えたほどだ。
だが、ボードからの返答は逆転的だった。「反パターンだし、悪いアイデアだ。でも、多くの偉大な会社は反パターンで生まれる。何かがおかしい。それはあなたたちの『おかしさ』かもしれない」
2-2. 訴訟の法的根拠
訴訟の核心は、商品取引所法(Commodities Exchange Act)の解釈だった。CFTCが契約を停止できるのは、戦争・テロ・暗殺などの特定のカテゴリーに該当する場合に限られる。CFTCは、選挙をその枠に押し込もうとしたが、Kalshiは、「選挙は経済的影響を持つ。経済的影響があれば先物取引所での取引が認められるべきだ」という論理で反論した。
2024年末に勝訴し、以降は急成長に転じた。
3. 月間104億ドル・6ヶ月11倍——成長の構造
3-1. 取引所とクリアリングハウスとしての設計思想
Kalshiは、NYSEやCMEと同様に、取引所とクリアリングハウスの両機能を持つ。RobinhoodやWebull、Coinbaseといったブローカーを通じてアクセスできるほか、Kalshiのアプリやウェブサイトから直接取引もできる。
「最初の成長はブローカーパートナーが大きな役割を担った。RobinhoodとWebullが最初だった。ブローカーが大量のリテール需要を持ってくることで、マーケットメイカーも参入しやすくなり、その間にダイレクトチャネルを育てることができた」
現在は、Kalshi Directの成長がブローカー経由の成長を大幅に上回っており、ブランドが主流になってきていることを示している。
3-2. ネットワーク効果とマーケットプレイスの構造
Luanaは、成長の「三位一体」を説明する。ユーザーは流動性が増えることで離脱しにくくなり、参加と取引量が増加し、プロダクトの質が上がるにつれて新たなユーザーを呼び込む。これがマーケットプレイス型ビジネスに典型的なネットワーク効果だ。
4. 「ガレージのトレーダー」が市場を動かす——マーケットメイキングの実態
4-1. 機関投資家は95%を占めていない
一般的な株式市場では、Jane Streetのような機関投資家がマーケットメイキングを担う。Kalshiは異なる。
「マーケットメイカー全体のうち、大手機関投資家由来の注文は5%未満だ。残り95%以上は個人や小規模なショップ——2人組のファンドや個人トレーダーだ」
現在、Kalshi上のマーケットメイキングに関わる人・小規模ショップは2,000を超えている。
4-2. 最優秀予測者はカンザスの一般市民
Kalshiで過去数年間のインフレを最も正確に予測したのは機関投資家でも有名なヘッジファンドでもなかった。
「カンザスに住む人物で、金融市場で取引したことは一度もなかった。ただニュースを読むのが好きで、インフレを感じ取る感覚があった。こういう人が何千人もいる」
これが予測市場の本質だ——分散した知識を正確な確率として市場に集める機能。それは中央集権的な専門家の予測よりも精度が高いことが多い。
5. スポーツブックとの根本的な違い——「ハウスを設けないモデル」
5-1. ブックメーカーは敗者を望む
スポーツブッキングでは、胴元(ハウス)の収益は、賭け客の損失から生まれる。そのためブッキング会社は敗者を引き留めるためにボーナスを提供し、勝ち続ける「シャープ(熟練トレーダー)」を排除する。
「スポーツブックの手数料は約10%。我々は約1%だ。しかしより重要なのは、我々の収益モデルは顧客の損失ではなく取引手数料にある。そのためシャープは我々に必要な存在だ」
5-2. 規制された市場の優位性
禁止しても人々はオフショアで賭け続ける。アルコール禁酒法の失敗がその典型だ。
「規制された市場があれば、本人確認・入金上限・自己排除といった保護が可能だ。オフショアにはそれがない。規制なき禁止は実質的に一番リスクの高い環境を強化するだけだ」
6. 予測市場が変える情報と政治——「情報の新しいインフラ」
6-1. ソーシャルメディアへの「解毒剤」
Kalshiが持つ独自の価値は、ソーシャルメディアの「アルゴリズムフィード」と対照をなす点にある。SNSは利用者を民主党支持者か共和党支持者かに仕分けし、それに沿った情報を流す。予測市場にはそのような一次元の分類がない。
「予測市場では、誰かに賭けるとき、自分は本当に何が起きると思うかを問う。それが脱二極化をもたらす」
6-2. 「スキン・イン・ザ・ゲーム」が生む情報リテラシー
お金を賭けると人は真剣に調べる。Brexitの事例では、投票した人々が後から「こんなはずではなかった」と気づいた。予測市場に資金を投じるという行為は、事前のリサーチを促す。
「Twitterでは何でも言える。でもお金を賭けるなら調べる。その違いは大きい」
7. 次のフロンティア——コンピュートデリバティブと「無限市場」
7-1. 農産物から計算資源へ
Kalshiが次に狙うのはコンピュートに関する先物市場だ。農産物や石油と同様、AIの時代において最も大量に消費されている「新しいコモディティ」であるにもかかわらず、既存の取引所はまだここを攻略していない。
7-2. 4つの成長軸
Kalshiが「世界最大のデリバティブ取引所」を目指すための戦略は4つの軸で整理されている。①マーケットの幅(選挙・スポーツ・コンピュートなど)、②マーケット構造(二値型から先物・スワップ・オプションへの拡張)、③証拠金システム(現在は全額現金担保が必要)、④流動性の確保。この4つを制した者が最終的に勝つというのが共同創業者の見立てだ。
まとめ——「情報の市場価格」という新しいインフラ
Kalshiが作ろうとしているのは、単なるギャンブルプラットフォームではない。情報に価格をつけ、真実を追求するインセンティブを社会に埋め込む金融インフラだ。
Tarekはこう締めくくった。「法律は企業にも適用されるが、政府にも適用される。それを示したことが、訴訟の最大の意義だった」
4年かけて規制当局と戦い、6ヶ月で11倍の成長を達成した彼らの軌跡は、規制産業におけるスタートアップの教科書になりつつある。
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