関税の不確実性とAI不安が重なる市場——テック株に何が起きているか
2026年2月第3週、米国テック株市場は複数の逆風に同時にさらされている。最高裁によるIEEPA(国際緊急経済権限法)を根拠とする関税への違憲判決、AIによるソフトウェア業界の構造的混乱懸念、そしてプライベートクレジット市場の亀裂——それぞれが独立した問題でありながら、互いに増幅し合う形で市場心理を圧迫している。Bloomberg Techの報道を軸に、現状を整理する。
1. 関税政策の再構築——企業が求める「確実性」
1-1. 最高裁判決とトランプ政権の対応
最高裁がIEEPAに基づく包括的な関税措置を違憲と判断したことを受け、トランプ政権は代替法的根拠に基づく大統領令に署名し、10%の関税を継続することを決定。さらに15%への引き上げを予告した。政権はこれを恒久的な関税体制への「橋渡し」と位置づけているが、恒久措置の発動には各産業・各国への調査が必要であり、「150日間」という時間的制約も存在する。
1-2. 貿易交渉への波紋
この混乱は交渉中の相手国にも影響を与えている。EUは米国との貿易協定の議会批准手続きを一時停止。インドも今週予定していた最終調整会合を先送りにした。情報技術産業協議会(ITI)のJason Oxmanは「企業が投資判断を下すには確実性が必要だ」と述べ、関税は政権が推進するAI製造・データセンター投資戦略と本質的に矛盾すると指摘した。「関税は戦術としては機能するが、グローバルな投資を促す戦略にはなりえない」というのが業界の総意だ。
2. ソフトウェア株の構造的な売り——AIが生む先行き不安
2-1. 「良いニュースでも下落する」状況
S&P500のITセクターが、年初来でマイナス推移する中、ソフトウェアサブセクターの落ち込みはさらに深刻だ。Salesforceは、年初来34%下落、直近ピークからは50%の下落という。しかし注目すべきは、「ファンダメンタルズは悪くない」という点だ。EquityリポーターのRyan Vlastelicaは、「多くのソフトウェア企業が堅調な四半期決算を出し、2026年の見通しも比較的良好だったが、投資家はそれを全く気にしていない」と述べる。懸念の焦点は「今年」ではなく「2〜5年後」の構造的変化にある。
2-2. AIが「分からない」という不安
7IMのShanti Kelemen共同CIOは「誰がAIの勝者で誰が敗者かがまだ分からないから、投資家は一律に売っている」と分析する。AIにより開発コストを削減し効率を高められるソフトウェア企業は存在するが、「それを実行できるかどうかは会社ごとに違う」という判断が難しいため、市場は無差別に売っている状況だ。
投資家の中には、「バリュエーションは過去最低水準に近い」と指摘する声もある。しかし、Kelemen氏が言うように「AIは複数年にわたる構造的な変化要因だ。今年の業績が良くても、5年後がどうなるかへの答えは出ていない」という状況では、経営陣がどれほど楽観的なメッセージを発しても市場心理を転換させる力は限定的だという見方が支配的だ。
2-3. Claude Codeが示した「副産物の影響力」
ソフトウェア株売りのきっかけの一つとして報じられたのが、AnthropicによるAIサイバーセキュリティツールのリリースだ。Bloombergの取材によれば、Claude Code自体も当初は社内エンジニアの「サイドプロジェクト」として始まったものだったという。社内での急速な普及を見てDario Amodei CEOが「エンジニアに強制しているのか」と驚くほどの採用率だったとされ、そのまま外部公開に至った。こうした予期せぬ影響が、既存ソフトウェア企業への不安を高めている。
3. プライベートクレジット市場の亀裂——SaaS集中の後遺症
3-1. Blue Owlの解約制限が示すもの
プライベートクレジット大手のBlue Owlが一部ファンドの解約を制限し、ローン返済や資産売却による分配に切り替えると発表した。Bloombergのプライベートクレジット担当記者Silas Brownはこの背景を「テクトニックプレートが複数同時に動いている」と表現する。
一つは、プライベートクレジット・BDC(企業開発会社)ファンドが長年にわたりSaaS(Software as a Service)企業への融資を中心に積み上げてきたという集中リスクだ。「プライベートクレジットはノンサイクリカル(景気非感応型)な業種を選んで融資してきた。その有力候補がSaaSだった」とBrown氏は述べる。AIによるSaaSビジネスモデルへの脅威は、その担保価値への疑問を生み出し、リテール投資家からの解約申請増加につながっている。
3-2. デュレーションミスマッチという構造問題
BDCファンドのリテール投資家には、四半期ごとの解約オプションが付与されているが、原資産のローンは長期・低流動性だ。これは典型的なデュレーションミスマッチであり、解約需要が集中すると流動性を確保できなくなる。Blue Owlは今回のファンドを除いてこれまで全ての解約請求に応じてきたが、市場では「他のプライベートクレジットファンドも同様の問題に直面する可能性がある」という見方が広がっている。
4. 注目決算とPayPalの買収観測
4-1. Nvidia決算——「サプライズが必要」なハードル
水曜日に予定されるNvidiaの決算は市場の注目を集めている。META・Google・Amazon・Microsoftの4社が2026年に合計6500億ドルのAI設備投資を発表済みであることから、Nvidiaの数字自体が悪くなる可能性は低いとみられる。しかし、7IMのKelemen氏は、「ここまで期待値が高いと、よほど大きなサプライズがないと株価は動かない」と指摘する。Nvidiaは過去2回の決算発表後にそれぞれ株価が下落しており、決算そのものより「ガイダンスのトーン」が焦点となりそうだ。
4-2. PayPal——解体的M&Aの前哨戦か
Bloomberg報道によれば、PayPalが複数の主体から買収打診を受けているという。1社は全社買収を検討しており、別の関係者は特定資産への関心を示している。PayPalは、年初来30%、直近12ヶ月では46%の株価下落。この報道を受けて株価は一時7%上昇した。
アナリストの間では「ペイメント株はここ1〜2年で大きく売られており、戦略的投資家やPEがM&Aを仕掛けやすい水準になってきた」という見方がある。今後12ヶ月でソフトウェア・ペイメント領域での買収活動が活発化するとの見方も出始めている。
関税政策の不確実性、AI由来のビジネスモデル不安、プライベートクレジットの構造問題——3つの逆風が重なる中で、市場参加者が共通して求めているのは「確実性」だ。Anthropicの最高経済顧問がワシントンのエコノミスト会議で発言したように、AIの能力は「7ヶ月ごとに2倍」のペースで拡大している。その速度の前では、現時点でどれほど楽観的な業績見通しを示しても、中期的な構造変化への答えにはならないという認識が、市場の慎重姿勢を長引かせている。

