Stripeの買収提案を断った男が、今Stripeを追いかけている——Airwallex創業者Jack Zhangの「最大抵抗の道」
2018年、Jack Zhangは決断を迫られていた。Sequoiaの重鎮Michael Moritz氏のサンフランシスコの自宅——ゴールデンゲートブリッジを見渡す豪邸——で、Stripeによる買収提案を聞かされた。金額は12億ドル(当時約1,200億円)。年換算収益は、たった200万ドル(約2億円)の会社への提示で、収益倍率は、600倍に迫る数字だった。彼は、一度「イエス」と答え、サンフランシスコを2週間歩き回った後、8,000マイルを飛んで故郷メルボルンに帰り、「ノー」と言った。
あれから7年。Airwallexの年間収益は、13億ドルを超え、決済量は、年換算で3,000億ドルに迫り、85%の年成長を続けている。評価額は、Stripeの20分の1にとどまるが、決済量の差は6倍にすぎない。その「乖離」が、投資家にとっての問いになりつつある。
1. 創業の起点——コーヒー豆の支払いから始まった金融インフラへの疑問
1-1. 「SWIFTはなぜこんなに不合理なのか」
Airwallexの創業は、Jack Zhangがメルボルンでコーヒーショップを経営していた時期に遡る。ブラジル・インドネシア・グアテマラのコーヒー豆サプライヤーへの支払いを試みた共同創業者のMax Liは、送金がアメリカの中継銀行でOFAC制裁規則に引っかかって凍結される事態を繰り返し経験した。数週間後に送金が戻ってくることもあった。
「それが私をコレスポンデントバンキングの仕組み、SWIFTの仕組みを深く調べることに駆り立てた。そして、自分たちで独自のグローバルマネームーブメントネットワークを構築できないかと考えた」とZhang氏は述べた。
この問いが、今日のAirwallexという事業の出発点だ。「どの企業も、世界中でローカル企業のように事業を運営できる金融インフラを作る」というビジョンは変わっていない。ただ、規模が格段に大きくなった。
1-2. 中国からオーストラリアへ——苦労の多いバックグラウンドが形成した粘り強さ
Zhang氏は、中国の青島で育ち、15歳でほとんど英語が話せない状態でメルボルンに一人で渡った。家族の家計が破綻すると、メルボルン大学でコンピュータサイエンスの学位を取りながら4つのアルバイトを掛け持ちした——バーテンダー・皿洗い・夜勤のガソリンスタンド・農場でのレモン収穫。「人生で最も辛い仕事だった」と語るレモン摘みは、今でも彼が挙げる人生の試練の一つだ。
その後、オーストラリアの投資銀行でトレーディングコードを書くフロントオフィスの仕事に就いた。給与は良かったが「深く充実している感覚」はなかった。その渇望が、14歳で雑誌を創刊し、不動産開発・ワインや食品の輸出入・バーガーチェーンなど約10のビジネスを試した後、Airwallexへとつながった。
2. 「最大抵抗の道」という戦略——ライセンスと規制こそが最大の競争優位
2-1. 50市場・90ライセンス・7年かかった日本
Airwallexは、現在、50市場で約90の金融ライセンスを保有している。Zhang氏は、「Stripeは多く見積もってもその半分程度しか持っていない」と述べた。
このライセンスの積み上げはシンプルな時間投資ではない。日本での資金移動業者ライセンス取得だけで7年かかった。一部の新興市場では、中央銀行がライセンスの新規発行を停止していたため、そのライセンスを持つ休眠企業(シェルカンパニー)を買収し、その下のテクノロジーを全面的に作り直すという方法をとった。
「メキシコの中央銀行との統合は、バイブコーディングではできない。生体認証スキャンなしでは入れないセキュアルームに入って、中央銀行システムに接続しなければならない」とZhang氏は述べた。このようなプロセスの積み重ねが、コピーが難しい障壁を生み出している。
2-2. ライセンスが可能にする「資金を生態系の中に留める」経済学
単なる規制対応に見えるが、ライセンスの保有は、経済的な実利をもたらす。日本の例を挙げると、StripeやSquareは、決済処理ができても、資金を即座に加盟店の銀行口座に移転することが義務付けられている。一方で、Airwallexは、「資金移転業者ライセンス」により、資金をプラットフォーム内に保持したまま、銀行口座発行・カード発行・支払いといった一連の取引を同一エコシステム内で完結させることができる。
外国為替の経済効果も大きい。米国の加盟店がオーストラリアドルで決済を受ける場合、Stripeが、通常課す2〜3%の通貨転換手数料を回避し、現地残高から現地仕入れ先への支払い・給与・デジタルマーケティング費用を銀行間レートでまかなえる。「もはや米国企業として動くのではなく、世界中に拠点を持つ企業のように動けるが、実際に現地法人を設立する必要はない」とZhang氏は述べた。
2-3. 6.5年で年収100億円・その3年後に10倍
「ARR(年換算収益)が、1億ドルに達するまでに6.5年かかった。しかし、その後、10億ドルに達するまでは3年余りだった」とZhang氏は語った。
これは「最大抵抗の道」の論理を数字で示している。参入が難しく、他社が乗り越えられない障壁を積み上げることで、最終的に得られるリターンは加速する。彼が言う競争優位の本質は「インフラを自分で持つか、他社のインフラに乗るか」という根本的な違いだ。「他人のインフラの上に構築することはスケールしない」とZhang氏は断言する。
3. Stripeとの競合——評価額の乖離と収益への収束
3-1. 評価額20対1・決済量6対1という不一致
Stripeは、2025年の決済量1.9兆ドルを背景に、2026年2月のテンダーオファーで1,590億ドルの評価を受けた(前年比74%増)。Airwallexの直近評価額は、80億ドルで、差は約20倍だ。
しかし、Zhang氏は、「Stripeの決済量は、Airwallexの約6倍に過ぎない」と述べた。Airwallexは、年換算で3,000億ドル近い決済量を処理している。「評価額の差が20倍なのに、決済量の差は6倍」という乖離は、将来的な再評価の余地を示唆する数字として投資家の目に映る可能性がある。
85%の年成長率を維持しつつ「向こう1年以内に収益20億ドル」を目標とするZhang氏の見方では、収益ギャップは評価額の乖離よりも速く縮まりつつある。
3-2. 「ブランド」という最後の難題
Zhang氏が率直に認める課題がある。Stripeは、シリコンバレーの「黄金の子」として、多くのエンジニアや開発者にとって新規プロジェクトのデフォルトの選択肢として刷り込まれている。Airwallexには、財務チームへの浸透という強みがある一方、エンジニアや開発者が本能的に手を伸ばすブランドにはなれていない。
「私たちのブランドはまだそこまで届いていない。それは勝つのが難しい競争だ」とZhang氏は述べた。顧客の90%以上が最初にビジネスアカウント製品から入り、決済や支出管理が後から続くという構造は、CFO・財務ディレクター・トレジャリーチームを起点とした営業モデルを反映している。これはStripeが米国の開発者を起点に展開してきたモデルとは根本的に異なる。
4. 次の10年——2030年目標・AIエージェント・IPO
4-1. 2030年に顧客100万社・収益200億ドルという長期目標
Zhang氏が掲げる長期目標は具体的だ。2030年までに顧客数100万社・年間収益200億ドルを目指す。現在の顧客あたり平均収益は約1.2〜1.3万ドルで、それを約2万ドルに引き上げることが計画に含まれている。
4-2. AIエージェントという次の収益軸——10年分の財務データという参入障壁
「AIを活用した自律型金融プロダクト——データを提示するだけでなく、実際に取引を実行するエージェント——を今まさに展開している」とZhang氏は述べた。
ここでの優位性は、10年間にわたって収益回収・財務管理・仕入れ先支払い・経費管理という企業財務全体のスタックにわたって蓄積したデータだ。このトレーニングセットは「競合が一夜で複製できるものではない」という。
財務AIエージェントの参入障壁として「10年分の取引データ」を持ち出すのは、汎用AIとの差別化を図る戦略として合理的だ。OpenFX(先週の記事で紹介)のステーブルコインによるグローバル決済との比較でも、Airwallexはレガシー金融とデジタル金融の橋渡しという独自のポジションを維持している。
4-3. IPOは3〜5年先——あえて急がない論理
Zhang氏は、IPOについて「少なくとも3〜5年先」と述べた。SpaceXが、6月IPOに向けて準備を進め、Anthropicが最速で2026年10月を検討する中で、Airwallexの「急がない」スタンスは際立っている。
「最大抵抗の道」を歩んできた会社らしい姿勢とも言える。ライセンス取得に7年かけ、ARR10億ドルまでに10年近くかけたことを「精確に積み上げた」と評価するZhang氏は、資本市場のタイムラインについても同じ論理で動いている。
なお、Zhang氏とStripeのPatrick Collison氏は、かつての買収交渉で友好的な関係を持っていたが、昨年のGreenoaks Capital年次総会では同席しながら言葉を交わさなかったと報じられている。
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