#336 才能を語る前に〜その差、本当に“才能”ですか?〜
バスケットボールをやっていて、
「才能の壁」にぶつかったことはあるでしょうか。
僕はあります。
こんなに努力しているのに。
僕の方が先輩なのに。
同じ時間、いやそれ以上やっているはずなのに――
「やっぱりあいつには敵わないな」
そうやって、自分に言い聞かせるしかありませんでした。
長いようで短い部活動の中で、
その壁には何度も出会いました。
そしてそのたびに、
自分には“才能がない”と、どこかで納得しようとしていました。
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ですが今、指導者という立場になって、
当時のことを振り返ると、はっきり思うことがあります。
「あれは才能の差じゃない」
もちろん、すべてを否定するつもりはありません。
中にはどう考えても恵まれた身体能力やセンスを持った選手もいました。
ですが、あのとき感じていた“差”のほとんどは、
別のところにあったと今は感じています。
それは何か。
知識の有無です。
例えば、
身体の使い方や力の伝え方、動き出しのタイミングといった部分。
こういった“知っているかどうか”で、
同じ努力でも結果は大きく変わっていきます。
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同じ「努力」をしている2人がいたとします。
一人は、ただがむしゃらに練習する。
もう一人は、動きの意味や身体の使い方を理解した上で練習する。
この2人が同じ時間を積み重ねたとき、
果たして同じ結果になるでしょうか。
おそらく、ならないはずです。
後者の方が、少ない力で、より効率よく、
そして再現性高くプレーを身につけていきます。
つまり、
才能の正体は「知識 × 努力量」である。
僕は今、そう考えています。
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当時の僕はどうだったか。
努力はしていました。
人よりやっていた自覚もあります。
ですが、決定的に足りなかったものがありました。
それが「知識」です。
もちろん、まったく何も知らなかったわけではありません。
自分なりに考えて、
自分なりに試して、
うまくいったこと、いかなかったことを積み重ねていました。
いわば、
体系化されたものではなく、
断片的に削り出した“自己流の知識”です。
これはこれで、とても価値のあるものです。
自分で考えて得た感覚や気づきは、確実に力になります。
ですが今なら、はっきり言えます。
全部を削り出す必要はなかった。
もっと早く知っていれば、
もっと楽に、もっと速く、
同じ場所、あるいはそれ以上にたどり着けたはずです。
正直に言えば、こう思うこともあります。
「もっと早く教えてくれよ」と。
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ここで勘違いしてほしくないのは、
“自分で考えることが無駄だ”と言いたいわけではない、ということです。
むしろ逆です。
自分で考え、試し、感じることは、絶対に必要です。
ただ、その範囲と順番が大切だと思っています。
すべてを0から削り出す必要はありません。
特に、
・基礎
・原理原則
・考え方
このあたりは、すでに体系化されている部分です。
ここをわざわざ遠回りして、
時間をかけて自力でたどり着く必要はありません。
教えてもらった方が早いし、無駄も少ない。
一方で、
・自分の強み
・プレースタイル
・細かい感覚
・こだわり
こういった“9から10にする部分”は、
自分で削り出していく価値があります。
ここに個性が出て、
選手としての“色”が生まれていきます。
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つまり、
1〜9は教わる。
9〜10は自分で作る。
このバランスが、とても重要だと感じています。
だからこそSTEPでは、
まず“知ること”を大切にしています。
子どもたちが、無駄な遠回りをせずに、
努力が正しく積み上がっていくように。
そんな環境をつくることも、指導の一つだと考えています。
もし今、
「才能がない」と感じている子がいたとしたら、
一度立ち止まって考えてみてほしいです。
それは本当に“才能の差”なのか。
それとも、ただ“知らないだけ”なのか。
知らないことは、悪いことではありません。
ただ、知らないまま努力を続けると、
その努力は遠回りになってしまう可能性があります。
逆に言えば、
知るだけで、世界は変わります。
同じ練習でも、
見え方が変わり、
感じ方が変わり、
結果が変わっていきます。
僕自身がそうでした。
「才能がない」と思っていた頃の自分に、
今の知識を渡せたらどうなっていたのか。
正直、少し見てみたい気もします。
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才能を語るのは、そのあとでいい。
知識と努力を重ねた、その先でいい。
「才能がないから無理」
そうやって可能性を閉じてしまう前に。
その差の正体、
一度見直してみませんか?
続編、「練習不足」とは?
