「正論」はなぜ伝わらないのか⑳ 「データ」と「物語」を結ぶことの大切さ
ここまで19回の連載では、広報・PRで(特にマスコミ)を相手にするうえで大事なことと、「炎上」事例の特徴とその回避の仕方について、具体例を挙げながらご紹介してきました。
私が連載を通してお伝えしたいのは、「PRのコツ」や「炎上コントロールのノウハウ」ではありません。そういったハウトゥー系の記事や書籍は数多くあります。
私がお伝えしたいのは、もっと根本的なところです。前向きなPRも、後ろ向きな炎上も、それぞれが持つ「物語の衝突」や「データとの齟齬」によって生じることが多いです。
データとナラティブ、統計的な見方とストーリー性を両立して考える人は意外なほど少なく、しかしとても重要です。
今回からの連載では「データの見方・解釈の仕方」「データから物語への構築」についてお伝えしていきます。
制度の「歪み」と先を読む力 〜真のEBPM〜
「データ」とか「統計」とか言うと、「数学でしょ」「難しい」といって思考を止めてしまう人が少なくありません。
私の前職の新聞記者もそうでした。事件事故や法律、制度に関する取材はスムーズにこなすのに、統計の解釈や「統計的な見方」をすべきシーンになると考えることを辞めてしまうのです。
記者の立場で「考えることをやめる」と言う場合、発表資料をそのまま移すような原稿を書くことを言います。「大本営発表」垂れ流しになるので、個人的には罪が深いと思います。
「統計的な見方」というのは、何も手元で全部計算しろというのではありません。「思考の癖」の問題で、例えば飲食店で「いま男性客が10人入ってきたから、売上は●●円だな」と見込みを立てるような能力のことです。
したがって、難しいことではありません。以下で詳しくご説明します。
■ 「文系」こそデータを武器に
データや統計、EBPMと聞くと、自分は「文系」だからと無意識に距離を置いてしまう人は少なくありません。
しかし、現代は考え方さえ分かっていれば、表計算ソフトやAIが高度で複雑な計算を正確にこなしてくれますので、過度に構える必要はありません。アインシュタインは「知性の真の証拠は知識ではなく、想像力である」という名言を残したそうですが、データ分析の世界も似ています。
これから求められるのは、手元の計算技術よりも法律や制度の枠組みを読み解く力や、数字からストーリー(ナラティブ)を構築する力です。つまり、文系的な素養を持つ人ほど、データを最強の武器にできる時代なのです。
とはいえ、ソフトが弾き出した数字をただボーッと眺めているだけではいけません。計算自体は任せて良いものの、データを扱う人間として以下の「4つの点」は大切にする必要があります。
どんな「仮定(前提)」を置いて計算したのか理解すること
どのような計算処理(細かい数式ではなく、大枠の設計図)をしているのか、理解すること
「何を理解させるためのデータ」なのか、データの出し手が相手の思考をどう誘導しようとしているのか読み解くこと
データを読み解く「場数」を踏むこと
これらが抜け落ちたままデータを妄信すると、思わぬ落とし穴にハマります。
「仮定」に注意を払う
データ、特に未来予測のような数字を算出するときは、必ずどこかに仮定が入ります。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)による「将来推計人口」が好例です。
社人研の人口推計は「低位」「中位」「高位」の3種類が作成されます。ざっくり言うと、出生率が回復するかどうかや、外国籍住民がどれだけ増えるかについて、一定の仮定を置いているのです。
2024年に日本の出生数が68万と、統計開始以来初めて70万人を下回り、当初国が想定した減少ペースより20年も早いペースで少子化が進んでいるとニュースになりましたが、要は推計値を出すときの仮定が甘かったということです。
また、先ほど述べた通り、細かい計算はソフトやAIがやってくれるので、全てを理解する必要はありません。しかし、イメージの大枠くらいは掴んでおかないと、「計算がおかしい」「なにか引っかかる」といった疑問を感じることもなくなってしまいます。
例えば「 ∑ 」が出てきたら、ざっくり「全部足しているんだな」とか、「 ∫ 」が出てきたら「複雑な形のグラフか図形を描いていて、その面積を求めているんだな」くらいの理解はしておいたほうが良いでしょう。
連載4回目の「上司に没にされた無料PCR検査の検証」の項目で触れましたが、神奈川県の新型コロナ警戒マップを「検証してみよう」と考えたのは、おそらく計算モデルが間違えているのではないかと疑ったからでした。
数字の「出し手」は「何を伝えようとしているのか」という意図を読み解く
次に、データの受け手としては、出されたデータの数字を理解するだけでなく、「何を言おうとしているのか」という狙いにまで考えを巡らせないと、簡単に騙されてしまいます。
例えば「国債は株式と違って元本割れしません。ぜひ買いましょう!」という宣伝文句を言われたらどう思いますか?これは確かに、事実を述べています。
しかし、元本が保証されると言っても「1万円は1万円のまま」です。高インフレになって、例えば1万円の価値が来年には紙くず同然になっていたとしても、嘘は言っていないことになります。
一方、金(ゴールド)を買っていたらどうでしょうか?1万円で買った金は、円がインフレしてもその価値を保っていてくれます。
実際にそのような謳い文句で国債を売るかどうかは別として、仮にこのようなことを言われたら「どうしても国債を買ってほしいのかな」と疑うのが情報リテラシーの在り方です。
最後は、とにかく場数を踏むことです。このような考え方の癖は一朝一夕にできるものではありません。数字やデータが発表されるたびに、「どういう前提で、なんのために取ったデータなのか」と少し考えるだけでも変わってきます。
■ 「見かけ上の相関」に騙されるな:高齢者と外国人犯罪について
これまで説明してきたような、宣伝や危機管理において情報の出し手が取るべき姿勢は、「暗黙知」のようなもので、定量化しがたい面があります。
したがって、そうしたPR業務に慣れない場合は第三者の意見を仰ぐか、専門としている人に助言や介入をしてもらうことが有効です。
一方、宣伝する人がいれば、宣伝される人もいます。ここからは逆に、情報の受け手が「出し手の意図に引きずられず、自らの価値観で情報を判断するための考え方(リテラシー)」について解説します。キーワードとなるのは、やはり「データ」です。
近年は表計算ソフトやAIの発達により、誰でも簡単に複雑なグラフを作れるようになりました。それっぽい専門用語と見栄えの良いグラフを並べられると、私たちはつい「ちゃんとした情報だ」と騙されてしまいます。
生活保護を受給する高齢者が増えるのは「異常」なことか?
私が新聞社に入りたての頃、ある新聞に「ここ10年で生活保護を受給する高齢者が急増している。孤独な高齢者が増えていて問題だ」という趣旨の記事が、丁寧な棒グラフ付きで掲載されていました。
これを見た瞬間、私は「取り消すべき記事だ」と思いました。
まず、統計的データの前に「なぜ生活保護を受給している高齢者は『孤独』なのか」全く論理的な説明がなく、思い込みを前提としていることです。また、単に「高齢化が進んでいるだけ」という可能性を完全に無視しています。
そもそも稼得機会の限られている高齢者世帯は生活保護を受給する割合が多いですが、高齢者の人口が増えれば、受給者数が増えるのは当然のことです。
実際の高齢化率以上に受給者数の増加ペースが大きくない限り、生活保護受給者の高齢世帯が増えることは問題とは言えないはずです。
同様に、「近年高齢者の犯罪が増えている」と危機感を煽る論調も見たことがありますが、これも単に高齢化が進んでいるだけという可能性を考えなければなりません。
高齢者による犯罪発生率がだいたい一定だとすれば、高齢人口の増加に伴って犯罪は増えるものです。
外国人による犯罪はどうなのか?
これは近年話題になる「外国籍住民の増加と治安の悪化」というナラティブ(物語)でも全く同じです。 「外国人が増えて治安が悪化しているから規制を強化しよう」というのは、統計の観点からは非常に乱暴で危険な論理です。
本当に治安は悪化しているのか? その犯罪は本当に外国籍の住民が起こしたものか? 観光客の増加(母数の増加)や、低賃金労働による貧困が原因(交絡因子の可能性)ではないか? あらゆる可能性(別のデータが挟まる見かけ上の相関)を検討した上でなければ、結論を出してはいけません。
確かに「外国人が多いと犯罪が多い」ということが、見かけ上のデータに現れることもあります。外国人関係の政策は、思想信条の件と相まって対立の解消が難しい話題でもあります。
しかし見かけ上のデータに現れているからといって、「外国人が多い【から】犯罪が多い」という因果関係を意味するものではありません。因果関係を証明するためには、在住・滞在外国人の数に占める外国人犯罪件数と、日本の全人口に占める日本人による犯罪発生件数に、有意な差が認められなければなりません。
仮に差があったとしても、私が確認した限りでは数%程度の差しかなく、外国籍住民の数の少なさを考慮すると、犯罪発生数自体は多くありません。やはり「思い込み」の線が強いと思います。
仮にその差が有意だったとしても「外国人だから」という思考になるのは危険です。いたずらにエイリアン(異質な人)扱いするのではなく、「生活苦が背景にあるのでは?」とか、「文化環境の違いによるストレスか?」とか、可能性はたくさんあります。
また、外国人が多い地域で犯罪発生数が多いのは、単に経済活動が活発だったり、人口密度が高くて人の人の距離が近いためとも考えられます。特に経済指標は、犯罪発生件数と有意な相関を見せることが知られています。
つまり、因果関係は
経済活動が活発 → 犯罪が多い
経済活動が活発 → 外国籍住民が多い
という共通する原因から発している可能性があるのです。これが「見かけ上の相関」です。
データを見ずに印象で語る危うさ
データを参照せずに印象のみで語ることによる誤りもあります。
少年犯罪がいい例です。凶悪な少年犯罪が報じられると、「少年犯罪が増えている」とか「未成年が凶悪化している」などと言われることがあります。本当でしょうか。
先ほどの高齢化とは逆の解釈で、少年犯罪は少子化の影響もあり劇的に減っています。少年による凶悪な犯罪は昔から存在しており、件数が減ったからこそ、個別の事件に注目が集まりやすくなったとも考えられます。
別件ですが、「子連れ」や「妊娠している女性」に対する目線もそうです。近年、妊娠している女性に優しくしようとか、子どもを社会全体で育てようということが、スローガンのように口にされますが、「子連れ様」とか「妊婦様」といって皮肉と嫌味を込めて厳しい目線を注ぐ人もいます。
これは、社会的に子育てしやすい社会を目指そうという風潮に対する「アンチ」の空気だけでなく、子どもや妊娠している女性が減ったから、「目立つ」という側面もあると思います。
「目立つ」というのは、悪い言い方をすると「異質」であるので、先ほどの外国人の件と同様、目の敵にされてしまうのです。
しかしこうした「誰かを吊し上げる」のは、決して「データ」を基にした議論ではありません。雑な議論なのに、人を煽動する危険性があるという意味で、最も注意を払いたい部分です。
特に根拠がないのに語られる「それっぽいナラティブ」には特に注意しなければなりません。私の経験上、こうしたナラティブは飲み会の雑談にとどまらず、行政による政策立案や民間企業の施策でも見られます。
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