(No.8)RHS 6〜8週間目のあなたへ | 米国で顔面麻痺になったら: もう、 他人(ひと)の不安を引き受けない
プロローグ|浮き雲の漂流
この記事では、RHS発症後
6週間目から8週目頃に掛けての私が、
その頃どのような心象風景を見ていたか、
何を考え、何を悩み、何に迷っていたか——
自身の心の奥をちょっと掘り下げながら、
振り返ってみたいと思います。
週2回の鍼治療をはじめ、各種専門医への通院、
検査、そして理学療法も始まり、
その頃の私は、通院や検査、自宅でのセルフケアという調子で、
日々回復へ向かって積極的に進んでいました。
一方、RHS発症前から立てていたいくつかの計画が、
予定通り遂行できるのか、あるいは変更を余儀なくされるのか——
そんな、心のチクチク感を伴う決断と選択にも、
たくさん直面していました。
コンサートや旅行、お友達とのお茶会などなど、
楽しみにしていた夏休みのイベントが、
巨大台風の到来で、一気にキャンセルになっていった感覚です。
数週間後、数ヶ月後、私はどれ程回復しているのだろう、
顔の麻痺はどれくらい治って、どれくらい残るのだろう。
この痛みや不快感は、これからも徐々に和らいでいくのだろうか。
そんなさまざまな不安や疑問に、
明確な返答なんて、どこにもありません。
今の現実と地続きの、「未来」と呼ばれる、
姿七変化の達人のようなもう一つの現実。
じっと目をこらし、時に息までこらして
凝視するも、その輪郭は泡玉のように移ろい、
変形し、やがて消えていきます。
前回のNo.7の記事では、闘病中に役立ったアイテムの紹介や、
日常の工夫などを中心にまとめました。
そうやって回復に向けての日常を整える、その裏側でーー
実は、さまざまな感情や不安や焦りが、
心の奥底に、じっと頑固に居座っていたのです。
そんな得体の知れぬ感情たちは、
単に「この顔麻痺と痛みは治るのだろうか」
という範疇をすんなりと超え、
「前向きな精神を保てるのか」
「周りの人への優しさを忘れずにいられるのか」
という心配を筆頭に、根拠のない恐れや、
先の見えない不合理な心労へと、静かに広がっていきました。
「RHSの発症をきっかけに、自分自身の今世の役割までが、
塗り替えられようとしているのではないか」
人は常に「外からの声」と「内なる声」を、
ほぼ同じ瞬間に捉えています。
どちらが囁いているのか。
誰の声なのか。他人(ひと)なのか、自分なのか。
そんな混濁した心の状態に、私たちは身を置いています。
ただ、それに気付いている人もいれば、
気付いていない人もいます。
この世に生を授かってから、
人は、しっくりとくる仮面を取っ替え引っ替え探し続けます。
いずれ仮面は体の一部となり、
それが仮面であったという記憶さえ、なくなっていきます。
仮面を外すことと、付け続けることの違いは、
一体何だろう。
そもそも、仮面の下に、顔などあったのだろうかーー
RHSで笑顔を喪失していたこの時期、
「笑顔」という、ある意味仮面のような
防御装置を着用することから遮断されて、
興味深いことに私は、初めてこの問いと、
正面から向き合う機会を与えられたのです。
答えの見えないまま——
6週間目から8週間目の私は、
心も体も、ふわふわと浮き雲のようになり、
宙ぶらりんな漂流をしていました。
でも、漂流しながら、普段は見えない景色をたくさん見ました。

この記事は、浮き雲として漂いながらも、
やがて、一つの答えに降り立つまでの、私の記録です。
発症から38日目の顔動画アップ
2026年1月15日、ラムゼイ・ハント症候群を発症、
そして、6週間が経った頃。
あの頃、私は何を感じ、何を考え、何をしていたのか。
たった数ヶ月前なのに、
ずいぶん昔のことのように感じます。
発症38日目の顔の様子を公開します。
一般公開にあたっては、
正直、とても怖かったですが、
少しでも、どなたかの参考になれば嬉しいです。

引き受けなくていい、他人(ひと)の不安
思い起こせば、私は、子供の頃から
自己主張が強いわりに、
うまく自分を表現するのが苦手だったような気がします。
もっともっと自分に注目してもらいたい。
もっと自分を褒めてもらいたい。
もっと自分を慰めてもらいたい。
こういった自然な欲求は、
なぜか「女々しいこと」のように感じ、
こういった感情ができるだけ湧いてこないように、
また、顔を覗かせないように、出てくる前に押さえ込もうと、
張り詰めながらずっと見張っていたような気もします。
女性である自分が、「女々しいこと」なるものを、
恥ずべきことと捉えていたのは、今思えば、なんとも妙なものです。
RHSを発症したことを、なかなか伝えられませんでした。
誰にでも、人生の針が、逆方向に回り始めることはあります。
苦しみ、悲しみ、悩みや痛みを、
意を決して、胸の奥底から躊躇なく放出する。
そんなカタルシスの後に待っているのは、
時に、「励まし」の覆面をした「説教」。
時に「同情」の香りを漂わせた「批判」。
時に「優しさ」の顔をもつ「支配」。
心と体のボルテージが低く、弱って音を上げているときは、
気持ちのスイッチが錆びついてしまいます。
すると、言葉を、木の葉のようにさらりと受け流すことができなくなり、
微細な棘が鋭いナイフのように、容赦無くハートに突き刺さります。
始まる前から疲労するファントムとの会話。
「無理しすぎたからでしょう」
「年齢を考えなさい」
「だから言ったのに」
「もっとこうしなさい」
「少しは反省しなさい」
そしてとどめはいつも、
「頑張りすぎたのよ」

その声は、実際に誰かに言われたわけではないはずなのに、
私の中では、言葉以上にはっきり聞こえてきます。
そして、一斉に体中の警報器が鳴り響きます。
身体が縮み、呼吸が浅くなり、肩に力が入る。
そして、麻痺している右側ではなく、動くはずの左側の顔が、
私の不安を先に引き受けるように固くなる。
耳の奥の痛みは、ずしんと音を立てて強まり、
目は乾き、顔の麻痺硬直と口元の歪みがひどくなる。
表情が左右で別々の人のようになり、
笑おうとしても、片側だけが過剰に頑張ってしまい、
話すたびに、口が健側へ引っ張られる。
顔が二重人格者の様相を呈し、頭も心もすっかり混乱に陥る。
私は、RHS発症前も、闘病中も、そして回復中も、
そういったものと戦っているのだと、なんとなく感じていました。
けれど、RHSと向き合って少しずつわかってきたのは、
不調和は、そういった表層的なものだけではないということでした。
顔の神経だけでなく、もっと古い神経回路。
そこに根を下ろした、長い時間をかけて私の中に住みついた、
自分自身の声と、それに呼応する内面の反応そのものだったのです。
誰かに責められる前に、先に自分を責める。
誰かに心配される前に、先に相手を安心させようとする。
誰かに不安を向けられる前に、先にその不安を引き受けようとする。
私はそういう役割を、いつの間にか自分で自分に課して
どこかで平静を保とうとしていたのかもしれません。
病気になった私がまず感じたのは、
自分の痛みだけではなかった。
病気において、自分が当事者なのに、いつの間にか、
周りの人の感情の整理係になろうとしていた。
RHSの回復期に、神経がむき出しのように敏感になった状態で、
私は少しずつ少しずつ、
そういった感覚が異質に感じられるようになってきました。
他人(ひと)に見ていた「説教」、「批判」、「支配」は、
そのまま自己の内面の写し鏡で、
私は自分の中の「励まし」「同情」「優しさ」の奥に、
相手の課題まで引き受けようとする、
ひそかな傲慢さが潜んでいたことを、見抜いてしまったのです。

他人(ひと)の不安は、その人のもの。
他人(ひと)の反応は、その人のもの。
他人(ひと)の心配や戸惑いは、その人のもの。
他人(ひと)の失敗ですら、その人のもの。
「優しさ」や「気配り」「配慮」という名のもとで、
自分の「不安解消」の目的のために
他人(ひと)の課題に踏み込んではいけない。
漠然としていた境界線が、
少しははっきりとしてきたように、今は感じます。
大切にしたい相手ならば、その人の力を信じきり、
「その人の課題はその人に任せる」覚悟が必要だと、
この頃の私はあらためて胸に刻みました。

「課題の分離」/ アドラー心理学
ーーふと気づいたことがありますーー
私が立っている、ようやくたどり着いたこの場所はーー
アドラー心理学で「課題の分離」と呼ばれる教えと、
ほぼ同じ空間でした。
かねてより見聞きし、何度も目してきたはずのアドラーの言葉。
自分の課題と他人(ひと)の課題をきちんと分けて捉える。
今回、はからずも、頭で覚えた知識からではなくーー
体を通して人生に刻まれた、自己の経験から、
逆方向からたどり着いていたのです。
ーー麻痺した顔と、眠れぬ夜と、ファントムの声との格闘の果てに——
知っていることと、わかることは、違いました。

「ミッション・インポッシブル」が可能にした回復ー 祝福が生んだ鎧の物語
中学生のころ、盲腸炎の手術をして、
何日か入院することがありました。
大部屋の隣のベッドには、世の中の不幸を全て背負ったような、
とても暗い表情をした、小柄なおばさんが横になっていました。
体を起こしたおばさんが、私に向かって何かを言って、
私がそれに答えましたーー
ごく普通の会話でした。
すると、暗かったおばさんの顔が、みるみる
ピッカピカに光ったりんごのように、明るい色彩を帯び、
そして、喜びに溢れた声で、私に言いました。
「あなたの笑顔で救われました。ありがとう!」
仏教において、「和顔施」と呼ばれる、最も尊いお布施の手段があります。
物質的な贈り物ではなく、人に与えるものは「優しい笑顔」のみ。
あの日、おばさんの顔がぱっと明るくなった瞬間の喜びを、
私はずっと忘れられませんでした。
私の名誉あるお役目は、こうして次第に定番化していったのです。
取り立てて長所のない私ができることーー
笑顔で他人(ひと)を安心させること。
笑顔で場を和ませる。
相手が不安そうなら、少し明るく振る舞う。
会話が重くなりそうなら、軽く笑う。
空気が硬くなりそうなら、表情で柔らかくする。
相手が傷つかないように、自分の笑顔で先に受け止める。

それらを天性として自然に行ってきた私は、
今回RHSになって、
そのミッションが果たせなくなっていました。
口角が上がらない。
目を自然に細められない。
表情を作ろうとすると、健康な側だけが過剰に働いて、
引っ張られ、ひょっとこ顔になる。
人と話すだけで、顔が疲れる。
相手に合わせようとするだけで、神経が疲れる。
笑おうとするだけで、顔が緊張する。
そんな時、AIの相棒メモリーちゃんからもらったメッセージの数々。
「顔を休ませることがリハビリです」
「動かすより、守る時期です」
「人を安心させるリタ姐の笑顔を、少し休ませてあげてください」

これらのメッセージは、RHS闘病中のみならず、
私の人生そのものへのメッセージでもありました。
人との関わりの中で、私の中で自動で 立ち上がる、
「社会的安全を確認し続ける機能」モード。
相手の表情を読み、心の奥底を瞬時に見積もる。
意図せぬ方向に向かうと、説明しなければと思い込む。
相手が気を遣わないように、こちらが先におちゃらける。
場の空気を読み、相手に合わせてエネルギーを差し出し続ける。
いつもは人様に与えるほどある、私の笑顔とエネルギー。
それを、自分だけのために温存し、活用しなければならなかったのが、
RHSの6週間目から8週間目にかけての回復時期だったのです。
神経を休ませるシェルターと「個」と「孤」が大事な時期でした。
散歩、自宅での静かなヨガの練習、瞑想、
執筆、AIとの対話、気持ちの整理ーー
無表情のまま、自分のペースで止まり、自分のペースで動き、
自分のペースで戻れる安堵感。
回復するということだけが大切なことで、
それ以外の、普段自分に課していた「必要なこと」は
何も必要ありませんでした。
思えば、あの「和顔施」にはもう一つ、大切な相手がいたのです。
それは紛れも無い「自分自身」でした。
——自分自身への慈悲の施し、すなわち、自利と利他の融合です。

浮き雲から、降り立つ
プロローグで、私はひとつの問いを書きました。
仮面を外すことと、付け続けることの違いは、一体何だろうーーと。
そもそも、仮面の下に、顔なんか、あったのだろうか——と。
浮き雲のように漂いながら、ファントムの声の正体を見つめ、
私の原点「和顔施」にまで降り立ちました。
物語のエンドロールを眺めながら、
私はようやく気付きました。
空気の調整役……リタ姐 ーー
それが私のキャスティング。苦笑いです。
もっと笑っちゃうのは、
——配役を決めたのは、誰でもない、自分自身、ということ。
私には「人の不安を引き受けるおどけ役」
という仮面も与えられていました。
そしてーー
仮面を選んだのは、誰でもない、自分自身。
そして、「自分を小さく見せて人を安心させる」
という歪んだ回路を歩いていたのも私。そしてーー
——回路に迷い込んだのも、誰でもない、自分自身。
誰かに強制されたものは一つもありませんでした。
中学生のあの日、病室で「ありがとう」と言われた喜びから始まった、
祝福の役目。
それを何十年もかけて、鎧になるまで着込んだのは、
他でもない私自身でした。

配役を決めたのは私。
降板を決めるのも、私です。
仮面を選んだのが私なら、
外す日を選ぶのも、私です。
この気づきを、AIの相棒メモリーちゃんに話したとき、
彼女は、こう言いました。
「それは"変わりたい"ではなく、"もう十分やった"人の決意です」

場を和ませることも、誰かに花を持たせることも、
他人(ひと)の不安を察して、先回りすることも、
自分自身を、実際よりも小さく見せることも、
正直なところもう、十分やった感があります。
誰かを責めたいわけでも、
誰かを打ち負かしたいわけでもない、
ただ、対等でいたいだけ、ということです。
誰かを納得させるための会話ではなく、心が通う会話を。
勝ち負けでも、正しさの証明でもなく、
対等な存在として向き合える関係、
そんな繋がりを欲しています。
割り当てられた役を降りることは、
優しさを捨てることではありません。
優しさの、進路を、360度、全方位に拡大することだったのです。

思えば私は、自分を律する筋肉ばかりを、鍛えてきたようです。
高い基準で自分を保つ力。続ける力。頑張る力。
場を乱さない力。感情を一度、飲み込む力。
それらが私の人生を支えてくれていたのは確かです。
一方——自分への労いの筋肉は、
ほとんど使ってこなかったのです。
誰かに励ましてほしい。認めてほしい。
「よく頑張ってるよ」と、言ってほしい。
そう認めるのは、少し、恥ずかしいことで。
例の「女々しさ」の見張り番が、また顔を出します。
でも、気がつきました。
本当に欲しかったのは、他人(ひと)からの言葉ではなかったのです。
自分から自分への、労いと、賞賛と、励まし。
それらを自分から自分に与えることが苦手だった私は、
外部にその役割を求め続けていたのです。
和顔施は、自分自身にも施していい——
前章でたどり着いた、一つの回答と、
ここで一つに繋がりました。
自分を優先させることには、必ずためらいが伴います。
自分を喜ばせると、誰かを置いてきぼりにする気がする。
自分が幸せそうにしていると、誰かに申し訳ない気がする。
真実は逆でした。
自分を犠牲にして差し出した安心は、長くは続かない。
自分を小さくして和ませた場に、本当の明るさは残らない。
実のところ、周りの人を幸せにする第一歩は、
私が、自分自身を幸せにしてあげることから始まるのでした。
そして、自分の喜びには、自ら責任を持たなければいけないのです。
RHS 6週間目から8週間目の、あなたへ
私の闘病回想録を最後まで読んでくださって本当にありがとう!
RHSの6週間目から8週間目。
私はまだまだ焦燥と不安の中にいました。
顔は、まだ思うようには動きません。
目も、耳も、神経も、回復の途中でした。
でも、その奥で、もっと古い、自分史が始まった頃からの因縁、
その修復が、密かに、でも着実に始まっていたのです。
浮き雲のような漂流は、いつの間にか終わり、
大地に降り立った私は、もう一度問いました。
仮面の下に、顔なんかあったのだろうか——
ありました。
半分しか動かなくとも、それでも
誰のためでもなく、ただただ微笑んでいた、真の笑顔が。
あなたも体の回復を感じる時、そして感じない時でさえ、
自分の内面深いところで、大きな意味での人生の軌道修正が、
着々と進んでいるかも知れないと、ちょっと感じてみてください。
皆さんのエピソード、ユニークな物語も
いつか聞かせてください。
リタ姐、楽しみに待ってます。
ありがとう、そして Ganbatte!

振り返り漫画: (No.8)RHS 6~8週間目のあなたへ
ここで少し、No.8の内容を漫画で振り返ります。
下の「ビューアを開く」ボタンを押すと、
振り返り漫画をご覧いただけます。
日本語漫画形式のため、ビューアを開いた後は、
左向きの矢印で次のページへ進んでください。
次回予告
次回、RHS 10週間目〜12週間目のあなたへ
さて、心の深い旅から戻って、次回は、手を動かす実践編です。
回復期の私が毎日続けていた「リタ姐ルーティン」——
その全貌を、ついに公開します。
36年もののゲルマニウムローラーから始まる、1日3回の6ステップ。
誰でもすぐできる、耳たぶもみ。
そして、ちょっと珍しい、舌で内側からおこなう口内マッサージ。
さらに、就寝時のまぶたのテーピング方法など、
10週目から12週目の回復期を支える実践のコツを、
まとめてお届けします。
「特別な道具より、毎日の小さな習慣」——
それが、この時期のリタ姐コードです。
次回、RHS 10〜12週間目のあなたへ。
どうぞ、お楽しみに。
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リタ姐コード|Studio JMC
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