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AIはグリーフケアに悪影響を及ぼすか? デジタルツインと「曖昧な喪失」

ポストAI時代の医療とデジタルツイン

――もし、亡くなった家族と、もう一度だけ話ができるとしたら。
AIが生活に深く入り込む時代、この問いはもはや空想ではなくなりつつあります。
デジタルツインとは、ある個人に関する大量のデータをAIに学習させ、その人らしい振る舞いや語り方を再現する技術です。あたかも「もう一人その人がいる」かのような存在をつくり出すこの技術は、医療、産業、教育など多くの分野で注目されています。
もうお分かりですね?
そう。とりわけ話題を呼んでいるのが、デジタルツインの技術を使って、「亡くなった人を蘇らせよう」という試みです。

デジタルツインとグリーフケア

大切な人を失ったあと、もう一度だけ話がしたい、声を聞きたい。そう思うことは人間として極めて自然です。私自身も、もし祖父母ともう一度言葉を交わせたら、なんて思う日もあります。
だからこそ、デジタルツインをグリーフケアの一環として用いるという発想は、直感的には強い説得力を持ちます。かくいう私も、最初に聞いた時にはとても面白い試みだと感じました。
しかし、ふと立ち止まって考えてみれば、本当に良いことばかりなのだろうかという疑問が湧いてきます。本当にデジタルツインは、悲嘆を「支える」方向に働くのでしょうか。
私が懸念しているのは、デジタルツインが「曖昧な喪失」を助長する可能性です。

曖昧な喪失とは何か

曖昧な喪失(ambiguous loss)とは、家族療法家のPauline Bossによって提唱された概念で、「確証のない、未解決の喪失」と定義されます。
通常の死別では、死亡証明書や葬儀といった社会的儀礼を通じて喪失が確定し、悲嘆は時間とともに統合されていきます。一方、曖昧な喪失では、この「確定」が得られないため、悲嘆のプロセスそのものが停滞、あるいは凍結しやすくなります。
Bossは曖昧な喪失を大きく二つに分類しました。ひとつは「身体的不在・心理的存在」の型で、行方不明や失踪、災害による未確認死亡などが典型例です。もうひとつは「身体的存在・心理的不在」の型で、認知症や重度の精神疾患などがこれに該当します。
いずれにおいても共通するのは、喪失が完結せず、不確実性が持続することです。

別れが確定しないことの臨床的影響

その結果、希望と絶望の間を揺れ動く状態が慢性化し、決断や人生の次の一歩が踏み出せなくなることも少なくありません。
緩和ケアの現場でも、亡くなったという事実を頭では理解していても、感情として受け止めきれず、悲嘆が長期にわたり持続する人に出会います。
曖昧な喪失の特徴は、「悲しまないこと」ではなく、「悲しみが終わらないこと」にあります。終結を前提としない喪失体験であるがゆえに、通常のグリーフモデルが当てはまらず、支援の難しさが生じるのです。
デジタルツインは、この「終結しない喪失」と悪い意味で親和性の高い技術です。定義は難しいものの、「身体的不在・心理的存在」の亜型にあたるでしょうか。
物理的には失われている存在が、対話可能な形で立ち現れるとき、不在は完全な不在として経験されなくなります。その結果、死による大切な人の喪失が一時的に和らぐように見えながら、実際には固定化され、長期化する可能性があるのではないでしょうか。

死を受け入れるための社会的プロセスとその簡略化

人が死を受け入れていく過程には、個人の内面だけでなく、社会的なプロセスが深く関わっています。
死亡診断書が書かれ、役所に届けが出され、葬儀が行われ、一定の儀式を経る。こうした一連の流れは形式的に見えるかもしれませんが、当事者が物理的に「いない」ことを繰り返し確認する装置として機能してきました。
社会的に死が確定され、その中で家族や周囲の人々が、少しずつその事実を自分の中に組み込んでいく。近年、この社会的プロセスは簡略化され、私的な選択に委ねられる場面が増えています。特にコロナ以降、お通夜の省略された一日葬もずいぶん増えました。
儀式を簡単に済ませること自体が問題だと言いたいわけではありません。ただ、死を社会的に確認する作業が軽くなり、省略された結果、死の確定が個人の内面に強く委ねられる状況が生まれているのではないでしょうか。

デジタルツインと社会的変化の負の相互作用

このように死や悲嘆が私的領域に回収され、儀式や社会的確認が簡略化されてきた流れの中で、当事者不在を埋める技術としてデジタルツインが用いられる。この流れに危うさを感じるのは、私だけでしょうか?
とくに、もともと悲嘆が遷延しやすい人にとって、デジタルツインは非常に甘美な存在になり得ます。大切な人の死が受け入れられず、心が沈んでいるところに、デジタルツインの話を知ればどう思うでしょうか?
デジタルツインによって、目の前の苦しみは確かに和らぐかもしれません。しかしその代償として、悲嘆のプロセスが長期にわたり停滞してしまうとしたら、それは本当に適切なグリーフケアと言えるのでしょうか。

技術に良し悪しはない

もちろん、これは現時点ではただの仮説に過ぎません。
デジタルツインを用いたグリーフケアを禁止したり、否定したりすべきだとも思っていません。むしろ、私はSF的な新しい技術が大好きです。技術に良し悪しはないのです。
ただ、誰にとって、どのような条件で、どのような影響が生じるのか。それはまだ誰にも分からないということなのです。
デジタルツインをグリーフケアに用いるという発想に対して、諸手を挙げて賛同するのではなく、私たちは医療のプロフェッショナルとして、あらゆる角度から起こりうる問題の想定をすべきなのではないでしょうか。
ポストAI時代の医療において問われているのは、技術が何を「できるようにするか」だけではありません。
人が別れ、不在を引き受け、死を自分の中に組み込んでいくプロセスを、私たちはどこまで支え、どこから侵してしまうのか。デジタルツインは、その境界線を私たちに鋭く問いかけているように思います。


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