キューブリック監督もオマージュした技法 / 「ふたりのベロニカ」
1989年から翌年にかけて制作されたポーランドのテレビドラマ(全10話)のシリーズ「デカローグ」をスタンリー・キューブリック監督は絶賛した。「映画監督の特定の作品を名指すと、その人の業績を単純化してしまうことになる」として他人の作品を批評することを嫌ったキューブリック監督が、生前に珍しく手放しで絶賛した人物とは「デカローグ」の監督と脚本を務めたポーランド人、クシシュトフ・キェシロフスキだった。後に「トリコロール三部作」によって名を知られることになるキェシロフスキ監督が「デカローグ」の次に取り組んだ作品が、1991年の映画「ふたりのベロニカ」だ。この映画を観ると、キューブリック監督がキェシロフスキ監督を褒めた訳がよく分かる。なぜなら、この作品の手法は映画「アイズ ワイド シャット」でも活用されているからだ。
本作は名前も見た目もそっくりの2人の女(イレーヌ・ジャコブ)が主人公である。映画の序盤では、ポーランドに住むヴェロニカが描かれる。そしてヴェロニカが心臓の病で倒れてしまうと、フランスに住むヴェロニクが奇妙な「何か」を感じ、ヴェロニクの人生も変わっていくーー、という物語だ。
この映画は「出来事」を見せるためのムービーではない。脚本を作り込んで何が起きたかということを観客に見せるための、たとえば「メメント」や「TENET テネット」のような、知的なフリをした娯楽ではなく、言葉や出来事などとは異なる側面から感情を伝達しようとするアートである。それは何気ない所作であったり、登場人物をどのように映すかという技法であったり、様々だ。ゆえに本作の98分はとにかく会話が少ない。これは上品かつ知的な表現である。
そしてなによりも、映画「ふたりのベロニカ」は特定の色を強調することによってヴェロニカ(ヴェロニク)の心模様を観客に伝えようとしている。時に黄色、またある場面では緑が強調され、色と結びつく感情や心の動きを惹起することを目指している。キューブリック監督が映画「アイズ ワイド シャット」でこの手法をオマージュしていることは明らかだ。
何かが「起こる」映画ではなく、98分にわたり女の気持ちや動揺、選択などをじっと撮っている。会話もヴォイスオーヴァーもなく、静かなスクリーンに時に音楽が流れる程度だ。劇中に登場する「人形使い」というモチーフも効果的である。戦場をリアルに再現!みたいな「ダンケルク」のような映画を逆方向に思い切り進んだような作品だ。全てが夢の一幕のようであり、本作を観ていると「こういう人生ではなかったヴェロニカ(ヴェロニク)もいるんだろうな」と、夢としての人生という題材が浮かび上がる。
もちろん、眠い。しかし、こういう映画もまたアートである。
