礼儀だけでは、人の心は開かない。
1人でも多くの『分かるぅ〜』を目指す、すえながさん。です。
人間関係を見ていると、不思議だなと思うことがあります。
私は仕事柄、いろいろな立場の方から話を聞く機会があります。
その中で、ある二人の話を双方から聞くことがありました。
ある意味、板挟みです(笑)
一人目の方は、
「あの人とは話すことがない。」
と言います。
さらに話を聞いていると、
「話しても特に得るものがない。」
というニュアンス。
どちらかというと少し上から見ている感じで、相手についてぶつぶつ言うこともあります。
一方、もう一人の方からも話を聞く機会がありました。
こちらは少し違います。
別に嫌っているわけではない。
悪く言うわけでもない。
ただ、
「普通に話すことがない。」
「なんとなくウマが合わない。」
それだけなんです。
なんなら、一人目の人と同じ立場の別の人とはウマが合うようで、そちらとはよく話している。
同じ「話さない」という結果なのに、その理由は全然違いました。
一人目は、
「自分にとって得るものがない。」
という視点から距離を作っている。
二人目は、
「嫌いではないけど、単純に合わない。」
という理由で自然と距離ができている。
双方の話を聞ける立場にいると、こういう違いがよく見えます。
そして面白いのが、
結局、距離を作った側も、相手から距離を作られている。
ということです。
以前、「返報性の原理」という言葉を知りました。
人は何かをしてもらうと、それを返したくなるという心理です。
好意を向けられると、好意を返したくなる。
逆に考えると、距離感も似ているのかもしれません。
壁を作れば、相手も壁を作る。
相手を見下すような空気を出せば、相手も距離を取る。
私は勝手に、
「非返報性の原理」
と呼んでいます(笑)
自分が相手に出している空気は、思っている以上に相手へ伝わっているものです。
さらに面白いのが、こういう関係ほど表面的にはとても丁寧だったりします。
言葉遣いも丁寧。
メールも懇切丁寧。
受け答えもしっかりしている。
一見すると、何も問題ありません。完璧。
でも、どこか淡白。
隙がない。
私は、丁寧であることが悪いと言いたいわけではありません。
ただ、
丁寧さが、心の壁になることもある。
そう思っています。
昔、ある経営者から教えてもらった言葉があります。
「困った時ほど、バカになれ。」
この言葉は、今でもかなり意識しています。
最初は、
「どういうこと?」
と思いました。
でも今なら、その意味がよく分かります。
完璧な人を演じるより、
「分からないので教えてください。」
「ちょっと助けてもらえませんか。」
そうやって自分の弱い部分をさらけ出せる人の方が、人は力を貸しやすい。
もちろん、
「親しき仲にも礼儀あり。」
これは重々承知しています。
相手との関係性や立場を無視して、誰にでも馴れ馴れしくすればいいという話ではありません。
ただ、苦しい時まで「いい子ちゃん」になって、大人しく、礼儀正しくしているだけで状況が変わるのか。
私は、そうではないと思っています。
何をやっても状況が変わらないのなら、手段を変える。
だから私は時々、意図的に「バカになる」ことがあります。
目上の人に対しても、相手との距離感を見ながら少しフランクに話してみる。
ちょっと抜けたところを見せる。
自分からツッコまれる余白を作る。
言ってしまえば、
あえて「隙のあるキャラ」を演じる。
目的は、礼儀を壊すことではありません。
相手の心の隙に入り込むことです。
ずっと「ちゃんとした人」でいると、相手も「ちゃんとした人」として返してきます。
会話は成立します。
失礼もありません。
でも、それだけではなかなか本音まで出てこない。
そこで、ほんの少しだけ崩してみる。
すると、
「実はな……」
と、それまで聞けなかった話が出てくることがあります。
普段聞くことのできない本音。
相手が困っていること。
本当はどう思っているのか。
そういう話が出てきた時に、初めて関係が一段深くなったように感じます。
過去には、こんな連携プレーをしたこともありました。
私があえて「バカなキャラ」を演じる。
それを知っている上司が、さらに目上の方に、
「あいつ、こんな奴なんですよ(笑)」
と私をネタにしてくれる。
そこで相手に自分の存在を覚えてもらう。
次に会った時には、
「あぁ、君か(笑)」
となる。
それまでほとんど接点がなかった人との間に、一つの接点が生まれます。
これも私にとっては、立派なコミュニケーションの手段でした。
たまに、
「相手に失礼じゃない?」
「もっと礼儀をわきまえた方がいい。」
と言われることもあります。
でも、私の中では少し違います。
礼儀を知らないから崩しているのではありません。
礼儀を理解した上で、どこまで崩せるのかを考えている。
それくらいの感覚です。
もちろん、相手を間違えれば失敗します(笑)
だから相手との距離感を見ることは欠かせません。
結局、人は少なからず損得勘定で動く生き物だと思っています。
お金だけの話ではありません。
「この人と話すと楽しい。」
「この人なら助けてあげたい。」
「この人とはまた会いたい。」
これも一つの損得です。
自分にとって心地いい。
面白い。
刺激がある。
だから、また会いたくなる。
逆に、
「自分は礼儀正しくしている。」
「自分は間違ったことを言っていない。」
「自分はちゃんとしている。」
それだけでは、人がついてくるとは限りません。
正しいことと、人の心を動かすことは別だからです。
一見しっかりしている人でも、隙がなく、淡白で、何を考えているのか分からなければ、人はなかなか踏み込めません。
そして、いざという時に、
「この人のために力を貸そう。」
と思ってもらえないこともあります。
さらに、人間関係で怖いのは、
相手を鼻で笑っているような気持ちは、意外と伝わっていることです。
「この人から得るものはない。」
「話しても意味がない。」
そう思って接していると、口に出していなくても、どこかに出ます。
表情かもしれない。
言葉の端々かもしれない。
返信の仕方かもしれない。
人は、そういう空気を意外と敏感に感じ取ります。
そして相手も、
「この人とは別に話さなくていいかな。」
となる。
最初に書いた二人の関係も、まさにそんな状態なのかもしれません。
だからといって、
私はそれを本人に全部伝えようとは思いません。
以前から何度か書いていますが、
人は、他人から言われただけではなかなか変わらない。
自分で気付いた時に、初めて変わることが多いからです。
「実は相手もこう言ってますよ。」
と伝えたところで、関係が良くなるとは限りません。
むしろ話が余計にややこしくなることもあります。
それなら、無理に自分が犠牲になってまで介入する必要はない。
適度な距離を保つ。
それも人間関係では大切だと思っています。
仕事だけでつながっている関係なら、利害関係がなくなった瞬間に終わることがあります。
でも、
「この人と話すと楽しい。」
「また会いたい。」
「困っていたら助けたい。」
そんな感情でつながった関係は、立場や肩書きが変わっても意外と続きます。
私は、そちらの関係の方が好きです。
だから私はこれからも、
礼儀は大切にする。
でも、礼儀だけに縛られない。
真面目にいってダメなら、少し崩してみる。
正面からいってダメなら、違う角度から入ってみる。
完璧に見せるより、時にはバカになってみる。
目的まで変える必要はない。結果に結びつけるために、手段を変えればいい。
「困った時ほど、バカになれ。」
昔教えてもらったこの言葉は、今でも私の人付き合いの中で大切にしている考え方の一つです。
そして、少しバカになれるくらいの関係の方が、人間関係って案外おもしろいのかもしれません。
