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♯24 将軍義昭のために信長が築城・旧二条城 附二条新造御所

 二条城といえば,誰もが思い浮かべるのは,世界遺産・元離宮二条城だろう。そして,歴史好きなら,それとは別に信長の造った二条城があるということは分かっている。が,それ以外にも,いくつもの「二条城」があったらしいので,特に,信長の二条城について,自分なりに整理しておきたい。(京都府京都市上京区・中京区)


複数あった二条城

 織田信長に興味を持ち始めた少年の頃,将軍足利義昭のために二条城を築城したことを知ったが,その二条城が,だれもが二条城と思っている二条城とは異なると知った時に,軽い衝撃を受けたことを覚えている。そもそも「二条城」と呼ばれて混同されるものが複数あるらしい。(財)京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館「将軍義昭の武家御城と織田信長の二条新造御所」で,信長が築いた二条城について整理しているので,かいつまんで紹介したい。
 一つ目は,「武家御所」と呼ばれた14代将軍・足利義輝の御所。二つ目が,永禄12年織田信長が15代将軍足利義昭のために義輝の御所を拡張して造ったもので,史料では「武家御城」と呼ばれている。これを「旧二条城」と呼ぶ。そして,3つ目が,義昭追放後に,関白二条家の屋敷・二条殿を改造し天正5年から使い始めた「二条新造御所」。これが,これまで旧二条城と混同されてきたようで,世界遺産二条城内に移設した旧二条城の石垣について説明した案内板は,2006年時点では完全に同一視して解説している。
 これらに加え,本能寺の変の翌年,天正11年に豊臣秀吉が築いた「妙顕寺城」があり,これも史料には「二条城」「二条之屋敷」などと現れるらしいので4つ目にカウントできて紛らわしい。
 そして,誰もが知っている徳川家康により築城,三代将軍家光によって築かれた世界遺産・二条城があり,これが5つ目ということになる。

信長がつくった旧二条城

 旧二条城は,京都御所の西に位置していたらしく,平安女学院大学のあたりに「旧二條城跡」の石標が建っている。

旧二条城跡の石標(2019.7.31)
旧二条城の推定位置(現地説明板)(2019.7.31)

 旧二条城は義昭追放後に破却されているので,その痕跡を確認できなかったのだが,地下鉄烏丸線の工事に伴って石垣が発見された。その一部は,世界遺産・二条城内や京都御苑内などに移設・復元されている。石仏・板碑・燈籠等を徴集したことが分かる石材が含まれていて,急いで造られた城だったことが分かって興味深い。

世界遺産・二条城内に復元されている旧二条城の石垣(2006.11.4)
徴集された石材の混在が確認できる(2006.11.4)

旧二条城の石垣
 築城当時、日本において布教活動をしていたポルトガルの宣教師、ルイス=フロイスの記録によれば、旧二条城というのは、現在の二条城以前に、永禄十二年(一五六九)二月に工事を開始し、常時一万五千人から二万五干人の人役を投入し七十日間程でほぼ全容を整えたということであり、期間を極めて短かくするために石垣の石材に近郷の石仏・板碑・燈籠等を徴集し、積み込んだと記載されているが、そのとおりの石仏などがこの遺構に見られる。その後、信長は義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、「二条御所」とも呼ばれていた。天正十年(一五八二)の本能寺の変において明智勢に攻めいられ信長の長子、信忠が自刃し城郭建築は焼失した。
 この石垣は、京都市高速鉄道烏丸線(地下鉄)建設に際し、烏丸下立売から発見されたものである。石垣は「犬走り」をはさんで上下二段に分れて北面し、東西方向に走り、東南方向に折れる角をもつ。この遺構は移築に際し方向が丸十度ほど変ったが、元来は東西方向が長く、八m強を測り、普通の石材約百五十個の他に四十個程の石仏・板碑・礎石が使われている。
 昭和五十二年 京都市

世界遺産・二条城内の説明板(2006.11.4)

 京都御苑椹木口辺りに復元されている石垣は,丸太町上る辺りに埋もれていたものらしい。他にも,烏丸椹木町通,下立売通,出水通でも発見され,今でも地下に眠っているそうだ。

京都御苑椹木口辺りに復元された旧二条城の石垣(2025.9.28)

旧二条城の天守閣

 令和7年9月14日に放送された『NHKスペシャル戦国サムライの城 第1集 信長 驚異の“城郭革命”』では,最新の研究成果に基づき,信長が将軍義昭のために築いた旧二条城にも天守閣が存在していたことが紹介され,その姿がCGで再現された。石垣や天守閣などの巨大建造物で,権威を視覚的に表そうとした信長は,やはり革命児なんだと思う。

二条新造御所と信忠の最後

 義昭追放後に,関白二条家の屋敷・二条殿を改造し,のちに誠仁親王に献上されたのが「二条新造御所」で,本能寺の変に際して信長の息子・信忠が籠って討死した場所となる。二条新造御所での信忠の最期について思うことは,下記のnoteに記してある。
 自分としては旧二条城に二条新造御所を付け足し,世界遺産となった二条城とは別に,信長親子所縁の城として100名城に加えたい。

二条殿跡の石標(2024.7.27)

<参考>

二条殿跡(京都市歴史資料館情報提供システム フィールド・ミュージアム京都)

豊臣秀吉妙顕寺城跡(京都市歴史資料館情報提供システム フィールド・ミュージアム京都

<二条城の場所>


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