「ベランダの猫」第1話
あらすじ
主人公は人間に恋をした猫。なぜか雨に濡れると人間の姿になってしまう猫は、その姿を彼に見られたくなくて、晴れの日限定で彼のベランダに住み着いている。要領の悪い彼とその恋人、憎まれ口の憎めない飼い猫、公園でたまに話す野良猫たちとの日常を描く。
主人公はベランダから観察する彼との関わりや何気ない日常の中で悩んだり悲しんだりしながら、それでも些細なことに幸せを感じていた。
それはきっと、猫だから。切なくてほっこりするお話。
補足
登場人物の簡単紹介
主人公 一人称:私
黒猫。なぜか雨に濡れると人間の姿になってしまう。人間の姿でも野良猫と普段通りに猫として会話している。
猫の姿のときに短絡的に考えていることが、人間の姿になったときに感じ方や考え方が変わったり、人間らしい思いやりが持てたりする。
彼
主人公の想い人。主人公のことは、よくベランダにいる飼い猫に会いに来ている野良猫として認識している。
不器用で子供っぽいところがあり、彼女ができてもすぐ振られる。
野良猫1
黒猫。主人公の友達。
大人っぽい性格で、仲間思い。
黒猫同士でたまに集まってくつろいでいる。よく公園にいる。
野良猫2
黒猫。野良猫1とよく遊ぶ。
いたずらっ子で、懐っこい。
探検好きで自由気ままに過ごしており、忘れっぽい。
飼い猫
名前はミケ。猫の種類は、エキゾチックのイメージ。
彼が昔付き合っていた彼女と飼い始めた猫。飼われた経緯もあり、卑屈になっている。
性格は悪いが、憎めない存在。
主人公とは仲良くも悪くもない。たまに世間話をする。
彼女
優しそうな雰囲気の、彼の恋人。
主人公は好感を持っているが、ライバルでもあるので複雑な気持ち。
その他の登場人物 警察官 など
今回省略した小話
・飼い猫が散歩に出かけた先での出来事
・野良猫1の公園での人間との関わり
・野良猫2の日常や恋
・主人公が人の姿になったときの人との出会い
・ベランダの警備 下着泥棒が出たときの話 等
「ベランダの」第1話
導入~野良猫たちとの関係~
「恋してんの?」
問いかけに振り返ると、私と同じ黒い猫がテリトリーに入ってきた。(野良猫1 以降、会話で猫1と表記)
「え、そんな楽しそうに見える?」
「いや、寂しそうに見えたから」
「あ、そう…」
猫のくせに察しが良いな。
私が答えようか迷っていると、黒猫は近くに座ってくつろぎはじめた。
「今日、暑いね」
私たちは公園の木下の茂みで涼みながら、近くの野球場の方を眺めていた。
晴れた夏の日に、黒猫として存在していることは致命傷だと思う。日中はどうにか日差しを避けてやり過ごす。
しかし、光はどこからともなく反射して、散らばった小さな光の欠片がチラチラと木陰にいる私の足元まで届いた。
「片想いだな」
「うん」
私が素直にそう答えると、黒猫は目を丸くさせてしばらく黙った。
「黙るなよ。そっちから聞いたくせに」
「なになに、恋バナ?」
もう一匹の黒猫が草むらを飛び越えて寄ってきた。(野良猫2 以降、会話で猫2と表記)
私たちは互いの姿を見合った。
「おっ、三匹揃ったな。不吉~」
後から来た黒猫が嬉しそうに言った。
猫1「その不吉説、まだ言ってるの」
猫2「人間たちをビビらせに行こう!」
「ビビるかな?」
猫1「ビビられるよりも、懐いて餌もらった方が得じゃないの?」
私はもっともだと頷いた。
猫2「いいじゃん、暇だし行こうよ」
猫1「なんか眠くなってきた」
「分かる」
猫2「また日が沈んだ頃に集まろうぜ」
猫1「気が向いたらな」
「了解」
そして彼らは別々の方向に散った。
夕方には三匹ともこのことを忘れていた。
~飼い猫との関係~
ある日、彼に彼女ができた。
私はショックで、彼のベランダの隅でふて寝していた。
その日は彼の発する音がとても楽しそうで、幸せそうで。
彼の鼻歌と相反するように、私と彼の飼い猫は、お葬式で念仏を聞いているような時間を過ごしていた。
珍しく飼い猫からベランダに近づいて、話しかけてきた。
「いいな、お前は黒猫で」
「え、なんで」
「簡単に喪に服せるからいいなと思って」
「なんだ、ただの皮肉か…。そっちこそ、そのふてくされた不細工な顔やめないと、遊んでもらえなくなるぞ」
飼い猫は先に突っかかってきたのに、言い返してこない。
「あ、ごめん。顔は可愛いよ。表情に可愛げが無いって話だからな?」
私が一応フォローすると、飼い猫は訝しげな表情で言った。
「お前、分かってないなぁ。猫ってだけで何でも可愛いんだよ」
「あ、そう…」
私は呆れて、謝り損だなと思った。
そうしている間に、彼は鼻歌交じりに外へ出かけて行った。
閉まるドアに飼い猫が振り返り、ドアを見つめたままつまらなそうに言った。
「やだなぁ。彼、彼女ができると全然遊んでくれなくなるんだよね。今回もそうなるんだろうな」
「弱気だな」
「どうせ私は元カノが勝手に買ってきた猫だしさ。捨てられたら野良猫の仲間にでも入れてくれよ」
飼い猫は完全に不貞腐れている。
「捨てられないよ。なんだかんだ可愛がられてるじゃんか」
「全然足りない!」
飼い猫は憤慨して絨毯を爪でがりがりしている。
「あぁ、絨毯が…」絨毯は最近買ったばかりなのにもうぼろぼろだ。
「また相手が動物を飼いたいって言い出したらどうする?それが犬だったり、鳥だったりしたら、 やっていけるか?」
私は少し想像した。
この狭い部屋に元気な子犬が走り回るようになったら。
鳥が人間の言葉を真似するタイプのおしゃべりだったら。
「…地獄だね」
「だろう」
沈黙が流れる。
しかし、私はしばらく黙った後であることに気がつき、明るい声色で言った。
「彼、そんなお金ないと思う!」
「お金無い人ほどそういうの買うんだよな」
飼い猫は表情も変えずにしれっと即答した。
「そうだけど。ペットショップにいた時に見なかった?犬は高いぞ」
「ローン組んで買っていくやつを何人も見たぞ」
「収入からして、彼がローンを組めるとは思えないな」
「たしかに!」
少し表情が晴れた飼い猫だが、またすぐに曇った。
「じゃあ安いやつは?ハムスターとか鳥とか」
「そういうのは猫に食われると思うだろうし、さすがにここでは飼わないんじゃない?」
飼い猫は晴々として言った。
「そっか、なるほど。何が来ても食えばいいのか」
「ぞっとするわ」
「なんか、大丈夫な気がしてきた」
「気をしっかり持っていこうよ。弱気な猫なんて犬も食わないぞ」
「…飢えてる犬はなんでも食うぞ」
「もう、学がないなぁ。猫だから仕方ないか」
「なんだよ、お前も猫だろ」
飼い猫は会話に飽きて定位置のベッドに戻った。
安心したのか、そのまま寝る気らしい。
これだから猫は、と思いつつ反射した黒い私が窓に映ったけど、たしかに私も猫だった。
今日は晴れていて、お昼寝日和だ。
私は彼の干した洗濯物に自分の毛がつかないよう、隅の方で丸まって目を閉じる。
風に吹かれて舞い上がる柔軟剤と彼の香りの中で、幸せな気持ちだった。
……
彼が彼女を連れて帰ってきた。
私はベランダから恐る恐る様子を伺い、彼女を見るなり頭を抱えた。
「なんか、見たことある人だな…。そうだ、思い出したぞ」
私は彼女に道で見つかったとき、可愛いって言ってもらったことがある。
彼女は私を無理に触ろうとせず、写真を一枚だけ撮ってしばらく見つめてから去っていった。
私はカメラの前だったから少しだけカッコつけて、痒くもない首を掻いたんだ。
あの写真、まだ消してないのかな。
あのいい感じの人が彼の彼女だなんて。
私はもやもやと複雑な気持ちを消化できなかった。
その日からというもの、彼女はよく家に来る。
彼女が来たら私は彼のベランダからいなくなることにした。
嫉妬して、洗濯物を引っ掻いてビリビリにしてしまいそうだった。
今日はたまたま雨だ。
私はなぜか雨に濡れると人の姿になってしまう。
公園でベンチに座って濡れていると、青い服の大きな人(警察官)に低い声で話しかけられた。
怖くて、そそくさとその公園を後にする。
人間の姿になっても、人間と同じように話すことはできないものだ。
しかも、人の姿で歩くのは猫のときと違って疲れやすい。この2本の細い足は走るには効率が悪すぎる。
また別の公園を見つけたので、時間をつぶすことにする。
雨の日の公園は、誰もいない。
猫のときと違って土を掘って遊ぶ気にもならないし、暇だ。
ベンチに座ってぼーっとしていると、歩道から男女の声が聞こえてきた。
相合い傘だ、いいなぁ。私も彼とやってみたい…。
どうしても彼のことを考えてしまう。
人間の脳は私には大きすぎて、いろんなことを考えすぎる。
もし、まだ私の写真が彼女のスマホに残ってたら、二人で見て「かわいい」って言ってくれてるかも、とか。
彼が一番気に入ってるパンツ、1枚だけ盗んでくればよかった、とか。
でもそんなことしたら私の毛が付いちゃうか…。
目と鼻がツーンとして、視界がぼんやりとしたけれど
そういえば泣くってこういう感じなのかもしれない。
まだ泣いたことがないけど、泣いたらどうなっちゃうんだろう。
人間の姿から戻れなくなったりして…。
ふと気配を感じて横を見ると、知り合いの黒猫が私の隣に座っていた。
「ふられたの?」
黒猫はいつもの調子で話かけてきた。私の目をまっすぐ見てくる。
「まだふられてない」
「やっぱりお前か」
「よく私だって分かったな」
私たちは声も出さずに会話していた。
「お前、猫じゃなかったんだな」
「猫だよ」
「どう見ても人間じゃん」
「…中身は猫なんだよ」
しばらく目を合わせていた。
どちらも先に目を逸らさないのは、どちらも猫だからかもしれない。
「いーや、お前は人間だ。その長い指。掻いてくれ、首のところ」
黒猫が頭を傾けて首を見せてきた。
「あぁ、ここ?」
「そうそう、そこ、そこそこ!」
黒猫は喉をごろごろとならす。
私ははじめて人間の指で猫を触った。
不思議だ。猫を撫でていると、なんだか落ち着く。
人間が猫を飼いたくなる気持ちが少し分かる気がした。
「あ~、スッキリした」
黒猫は満足げな表情で鳴いた。
「良かったね」
「一発で良いところが分かるなんてさすがだなぁ。お前、やっぱり猫だ」
「あはは」
私は自分の人間の声が突然出たことに驚いて、その奇妙な音に戸惑った。
私は人間の声で笑ったんだろう。彼にはとても聞かせられない。
黒猫も目を丸くしている。
「お前の声、なんか変だ」
「変だよな」
黒猫はしばらく隣にいた。
私もいつもみたいに、ただ座って時を過ごした。
ふと黒猫が空を見て言った。
「そろそろ雨止むぞ」
「そうだな」私も同じタイミングでそう思った。
「また掻いてくれよ」
「いいよ。また雨の日にね」
「雨の日か、気が向いたらな」
黒猫はベンチから降りて走って行った。
もう雨は止むから、私は安心して少し眠った。
夢の中で、彼と人の姿で会っていた。
私は人の姿なのに喉を撫でられてごろごろと言っている。
彼は優しく微笑んでくれて...。
次に目覚めると、私は猫の姿を取り戻していた。
