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すんで社での挑戦【岡野とのナレソメ】

「すんで社、勢いすごいですね!」
おかげさまで、こう言っていただけることも増えてきた。
「いえいえ、おかげさまで」と、こそばゆい思いで返すのだが、正直な話、よくここまでやってこれたという思いと、まだまだだな、という思いが交錯している。
ちょうど6ヶ月が過ぎた今期の予定では、年商は10億、利益は1億。ざっくり言うと、こんなところだ。毎年黒字だし、中小企業としては、それなりに立派なものだろう。
もとはといえば、社長である岡野の、類稀なるビジネスセンスと人を書き込む力、それに私の持つ不動産ビジネスの知識が掛け合わさり、また多くの社員の尽力があって、ここまで大きくなれた。
ただ、個人的には、自分自身のすんで社での肩書きを業務委託、社員、役員と変化させ、業務内容もカメレオンのように変化させてきたという自負がある。

すんで社での5年間で心がけていたのは「1年に1度は新しいチャレンジをすること」だ。そこで今回、私がチャレンジしてきたことを、改めて振り返ってみたい。


挑戦の歴史(2021〜2023)

すんで社の成り立ちは、2020年、岡野が立ち上げ、とあるベンチャーキャピタルに出資を受けたことに始まる。
私が入社したのは2021年。X経由で岡野と知り合った。私が埼玉の高校の出身だったので、タイムラインに流れてきたのだろう。すんで埼玉黎明期、「宅建業に興味があるたま〜!」のような投稿に反応し、DMを送ったのだ。新宿駅で待ち合わせし、韓国料理のランチをしたのがきっかけだった。

ということで、まずは宅建業を取得するところからのスタートだった。

そこから2023年にかけては、岡野が営業担当で飛び回り、私が後半の事務作業を担当することで、最終的なキャッシュインまで持っていく。そんな役割分担のもと、業務を進めていた。
もっとも、当初はほとんど売上が上がらず、資金繰りが苦しかった時期もあった。そんな中でも、岡野はほとんど動揺したそぶりを見せず、明るく「すんで埼玉」を演じていたのが、印象に残っている。根っからの陽キャなのだろう。

さて、入社して最初のチャレンジとして、2022年春からスタートしたのが、私自身が営業マンとしてお客様を担当することだった。私は、不動産のキャリアはあるものの、もともと新卒で入社したデベロッパー時代、BtoBの営業がメインだったこともあり、 toCの営業の経験はなかった。ただ、私が配信した【すんでTOKYOライン】に反響があったお客様を、そのまま担当することとなり、乗り掛かった船だからと、本腰を入れてチャレンジしてみることにした。営業マンライフは、これはこれで大変だったのだが、詳細はまた別の機会に譲ろう。

試行錯誤しながらも、営業マンとしても結果が出つつあった2022年秋、2度目の大きなチャレンジの機会が訪れる。私は築地のコワーキングスペース、岡野は浦和にあった【すんたまハウス】にいて、Zoomで打ち合わせをしていた。
打ち合わせが終わりかけた時、私は思い切って岡野に持ちかけた。「周さん、私を取締役にさせてもらえませんか?」・・それを聞いた岡野は、意外な表情を見したように、私には見えた。

考えた末の結論だったのだろう。数日後、岡野はOKを出し、株が譲渡され、私は取締役に就任することとなった。

当時、それなりのサラリーをもらっていたし、雇用面の安定を考えたら、小さな会社とはいえ、正社員として働いていた方が合理的だっただろう。それでも40歳を目前にし、何となく、ここでチャレンジした方がいいんだろうな、というカンが働いた。岡野という可能性に賭けてみたい、また、彼と一緒にどこまでできるのか、自分の力を試してみたい、という思いがあった。それまで、どこか冷めていた自分(自分の会社じゃないし)というダサい姿勢を、言い訳できない環境に追い込むことで、消し去りたかったのかもしれない。

無事に取締役には就任したものの、社員わずか10名にも満たないこともあり、ほとんど役割は変わらない。営業をして、重説を読み、事務作業をこなす、そんな日々が2022年から2023年まで続いた。この時期が、売上は上がっていたもの、負荷としてはいちばん高く、肉体的にも精神的にもキツイ時期だった。
2023年秋にこうだいが入社し、他にも不動産業の経験者が加わったことにより、営業や事務ができる人間が、私や岡野だけではなくなった。
買取再販ビジネス(古い物件を買い、リノベして売る)を始めたのも、このころだ。

挑戦の歴史(2023〜2025)


2024年の初頭に、3度目の新しい挑戦に踏み出す。
すんで社として、日本橋にオフィスを借りることにしたのだ。それまでは築地のコワーキングスペースを、ほぼ私の専有にて、月5万円ほどで借りていたのだが、改めてしっかりとした支店を借り、東京支店としてオープンさせることとなった。
もともと私が新人のころに働いていた日鉄日本橋ビルが建て替えとなり、そのワンフロアがシェアオフィスとしてオープンしていたことから、このアイディアが浮かんだ。
賃料で言えば、月5万円だったのが、月30万円以上になる。会社としても、固定費が増す、大きなチャレンジだ。もちろん言い出しっぺの私としても、このオフィスを借りてよかった、と、関係各所に思ってもらわなければならない。プレッシャーも感じたが、それ以上に、自分がサラリーマンとして働いていたオフィスに、テナントとして戻ってきた、という嬉しさがあった。

2024年夏には、4回目のチャレンジとして、人事職に挑戦した。
この頃、闘病中の母の病状が悪化し、営業マンとしてが動けなくなった。そこで、人事を担当することになった。ただ、結果としては、2025年に複数の退職者を出すなど、苦い結果となってしまった。失敗の要因のひとつに、岡野との対話が減ったことが挙げられる。役員間でのコミュニケーションが減り、組織に不協和音が生まれてしまったのだ。
これらを含め、ひとえに私の実力不足なのだが、人をまとめる、組織を活性化させる、ということがこんなに難しいことなのだと、改めて痛感させられた出来事だった。

2025年春から、新しい試みとして、すんでキャリア塾を始めた。
メンターの「浦和ゆーすけ氏」と話す中で、キャリアについて悩む30代が多いことに気付かされた。
個人的にも、私自身は40代前半だが、妻は30代半ばであり、少し年上の立場から相談に乗ることも多く、そうした悩みを語り合える場があれば面白いのではないか、と思ったのがきっかけだ。
メンターさんを対象とすることで、交流してもらえる機会にもなる。毎月1回ほど開催し、個性豊かなゲストに登壇してもらい、盛り上がっている。こうしたイベントは、もちろん不動産屋としての目的があって、リアル(オフライン)で交流していれば、不動産の購入や売却の際に、声をかけてもらえる可能性が高まるのだ。
また、秋には、ベビーグッズ譲渡会を開催し、交流してもらったこともある。たくさんベビーグッズやウェアをいただけて、妻も喜んでいた。


俺の起業論
初心者からはじめる副業ライフ
バックオフィス(事務)向上委員会
俺の売却&キャリア&戸建塾

すんでキャリア塾の一例

これから

子どもが生まれたこともあり、少しマッタリしてしまっている自分がいるように思う。会社も大きくなってきたので、可能性が広がっている反面、自分だけでは何かと動きづらくなっている、図体が大きくなった故の難しさも感じている。自分にしかできない、面白いことは何だろう。そんなことを考えながら、2026年、チャレンジしながら、頑張っていきます!


キャリア塾の様子


譲渡会チラシ