廃線跡をいく:志文駅から始まる万字線の物語
万字線(まんじせん)は、かつて北海道の志文駅(岩見沢市)から万字炭山駅(空知郡栗沢町・現在の岩見沢市栗沢町)までの23.8kmをつないだ国鉄路線です。
1914年(大正3年)、北海道炭礦汽船(北炭)が開発した万字炭鉱から石炭を輸送する目的で開業されました。
炭鉱の発展とともに栄えましたが、昭和40年代のエネルギー革命により石炭需要が低下。
1976年(昭和51年)に万字炭鉱が閉山し、1985年(昭和60年)には万字線も廃線となりました。
万字線には、以下の6つの駅がありました。
・志文(しぶん)
・上志文(かみしぶん)
・朝日(あさひ)
・美流渡(みると)
・万字(まんじ)
・万字炭山(まんじたんざん)

以前、noteで「朝日駅」の記事を書きました。
それから約1か月半後、今度は万字線の起点であった「志文駅」を訪ねました。
今回は、その訪問記をお届けします。
万字線はなくなってしまいましたが、志文駅は現在、「室蘭本線の無人駅」として使われています。

駅に近づくにつれて、どこか懐かしい、遠い日の夏休みを思わせる香りが漂ってきました。
駅前にある小さな公園では、シニア世代の方々が草刈りを終えて帰るところでした。
辺りに満ちていたのは、みずみずしい草の香りです。
それでは、さっそく駅舎に入ってみます。

明るいオレンジ色の椅子がパッと目に飛び込んできました。
椅子の上には、茶色の座布団が丁寧に敷かれています。
駅舎内には、塵一つ落ちていません。
駅前の公園や駅舎内が、こうしてきれいに保たれているのを見ると、たとえ無人駅であっても、地域の方々の愛着と人の温もりを感じて嬉しくなります。
続いて、跨線橋へ向かいます。
トタン屋根の水色が、目にまぶしく映りました。

そのトタン屋根の上をよく見ると、鉄の棒のようなものが取り付けられています。

これは一体何でしょうか?
岩見沢は全国的にも知られる豪雪地帯。もしかしたら雪に関する設備かもしれないと思い、調べてみました。
正解は、「雪止め」でした。
屋根に積もった雪が一気に滑り落ちると、乗客や線路、プラットホームに危険を及ぼしかねません。
大量の落雪を防ぎ、駅の安全を守る、「雪国ならではの知恵」ですね。
それでは、跨線橋の中に入ってみましょう。
一歩足を踏み入れると、まるで私が子どもの頃に通った木造校舎のようで、深い味わいがあります。

壁のところどころに小さな穴が空いているのも、どこかご愛嬌です。

木造の柔らかな風合いがある一方で、柱は金具でしっかりと固定され、シルバーの金属の手すりも後付けされています。
木材が温かく乗客を迎え入れ、金属の硬質さが安全を守る、「やさしさ」と「頼もしさ」が同居しているように感じました。


次は、線路にかかる歩道橋をご覧ください。

錆びついていながらも堂々とした風格。かつての活気を伝える大きなスケール感に圧倒されます。
立ち入り禁止の表示がなかったので、実際に階段を上ってみました。
階段の立ち上がり部分(けりこみ板)がなくなっている箇所があるので、訪問される際は、足元に十分お気をつけください。

階段を上りきると、目の前には壮大な景色が広がりました。

どこまでもまっすぐに伸びる2本の線路。その美しさに、しばらく目を奪われていました。
ふと気配を感じて見上げると、見慣れない茶色の大きな鳥が、頭上高くで、ぐるりと円を描き、そのまま遠い空へと消えていきました。
その瞬間、
「あっ、あのときの鳥だ!」
と直感的に思いました。
そのシルエットは、朝日駅で見た鳥の姿と、どこか重なって見えたのです。
朝日駅といえば、かつて炭鉱があり、万字線の記憶が眠る場所。
あの鳥は、私をさらなる万字線の廃線跡へ手招きしているのではないか…。
そんな不思議な感覚を抱き、志文駅を後にしました。
