「『わたしの渡世日記』(下)高峰秀子著文春文庫/戦後少女から大人の女性になった高峰秀子」
『わたしの渡世日記』(下)もやたら面白い
上巻については既報しました。
上巻が、5歳で子役としてデビューし子役から少女スターとしての日々を回顧したのに対して、
下巻は、昭和二十(1945)年終戦後21歳の高峰秀子が昭和30(1955)年に映画監督木下恵介の弟子で助監督の松山善三と結婚するまでを回顧したものです。
高峰秀子が少女から大人の女性になって活躍する中で、いろいろな出会いと別れを綴ったものですが、この下巻もやたらと面白い。もちろんそれは上巻でも記したように、高峰秀子のキラッと光る人間性が成せる技だということだと思います。
代表作である「二十四の瞳」(木下恵介監督)と「浮雲」(成瀬巳喜男監督)もこの期間の作品です。
木下恵介との出会い
戦後の高峰秀子の画期は、やはり監督木下恵介との出会いではないかと思います。あるいは戦前ということでは、山本嘉次郎監督なのでしょうが、なんと言っても大女優高峰秀子の戦後はやはり木下恵介ぬきにはないのではないかと、下巻を読むかぎり思わせられます。
詳細は、この下巻を読んでいただくしかありませんが、松山善三との生涯の結婚生活を木下恵介が結んだというところにそのことが象徴されているように思います。もちろん作品では、ストリッパーを演じた昭和25年の「カルメン故郷に帰る」からのカルメンシリーズ、そして何より「二十四の瞳」です。
飛び切りの人物の交友、そして初恋の人黒澤明との寸描も
下巻では、飛び切りの人物との交流ということで、画家の梅原龍三郎、作家の谷崎潤一郎があらわれます。
上記記事中でも述べましたが、上巻記事中の「馬」撮影中に起きた黒澤明との初恋と、高峰秀子の人生の中で現れる寸描が下巻においてもあらわれます。
それは、優れた人間との出会いによって自分は作られたと記す高峰秀子が、下巻「勲章」で映画製作の縁の下の力持ちの床山”重ちゃん”こそ飛び切り優れた人間だったとの思いで追悼を語ります。それは読んでいる者を厳粛にせずにはおきません。
映画が好きでたまらなかった”重ちゃん”、そのためになりふり構わず邁進していた”重ちゃん”、、、高峰秀子の中に一緒になって悪戦苦闘を繰り返した思い出が溢れる中、その棺が霊柩車に運ばれる。目の前をお棺が通り過ぎようとしたときそのお棺にすがりつき涙のかぎりすすり泣く高峰秀子、、、、その遠景に黒澤明が立っていた、、、
その寸描はまさに映画のようです。
