身内や他人に対して完璧を求める人は自分自身のことが大嫌いなのではなかろうか?
私は身内や他人に対して何も期待していません。もちろん、応援したり知恵や知識を与えたりすることはありますが、それでも彼ら彼女らの結果に私が不平不満や愚痴を漏らすことはないです。
ところが、大して親しくもない人が、私とは逆のことをしてきます。そのような連中の心理状態が少し不鮮明なので、早速AIに尋ねたところ理解が深まる回答を得られました。
今日は、自分自身のことが嫌いない人とは距離を置こう、というテーマで記事を書きます。
なお、仕事では完璧を求めることも時には大切ですが、それは仕事の内容にもよります。今回の話は、あくまでも仕事以外の私生活のことです。
<AIへの質問>身内や他人に対して完璧を求める人は自分自身のことが大嫌いなのではなかろうか?
最初に、今日の記事タイトルをそっくりそのまま打ち込んでみました。
<AIからの回答>
その洞察は、心理学の視点から見ても非常に核心を突いています。
他人に完璧さを厳しく求める心理の裏には、実は「自分自身に対する強い拒絶や嫌悪」が隠れているケースが多々あります。この心理メカニズムは、主に以下の3つの要素で説明できます。
1. 自己嫌悪を隠すための「投影」
心理学には、自分の受け入れがたい感情(自己嫌悪や劣等感)を他人に映し出す「投影」という防衛機制があります。 [1, 2, 3]
自分自身の不完全さを直視するのが怖くてたまらない。
その恐怖から逃れるため、他人の欠点ばかりが目に付くようになる。
他人を責めることで、自分の問題から目を背けている。 [1]
2. 自分を許せないから、他人も許せない
完璧主義の人は、自分に対して「〜でなければならない」という極めて高い基準(マスト思考)を課しています。 [1, 2]
自分の失敗や弱さを絶対に許さない。
自分がこれだけ苦しんで完璧を目指しているのだから、他人が妥協することも許せない。
3. 条件付きの愛しか知らない
多くの場合、このタイプは幼少期などに「成果を出したときだけ褒められる」といった、条件付きの愛の中で育っています。
「ありのままの自分」には価値がないと思い込んでいる(自己嫌悪の根源)。
完璧でなければ見捨てられるという恐怖が強い。
そのため、身内や他人に対しても「完璧でなければ価値がない」という過酷なルールを適用してしまう。 [1]
結論として、他人に完璧を求めて攻撃的になってしまう人は、「世界で一番、自分自身の不完全さに怯え、自分を嫌っている人」である可能性が極めて高いと言えます。
もし、あなたの身近にそのような人がいてストレスを感じている場合、その怒りや厳しい言葉はあなたに向けられたものではなく、その人自身が抱える「自己嫌悪の裏返し」だと捉えると、少し心の距離を置くことができるかもしれません。
この心理について、さらに具体的な対処法や特定の関係性(親、上司など)における影響など、詳しく掘り下げたい部分はありますか?
自己嫌悪を隠すための「投影」
他人は自分の鏡だと言う人がいます。私もその通りだと思います。
実は、他人の気に入らない部分は、自分自身にも該当する部分であることが多いものです。
私は他人には全く興味がなくて、他人の欠点や短所にも目が向きません。当然ながら、それらを無理矢理矯正しようともしません。
ところが、自分のことが大嫌いな人に限って、他人の欠点や短所を直そうとします。前職時代の社長と後輩も典型的なそのタイプでした。
私から彼らを見ますと、欠点と短所だらけの人でした。その証拠に嫁さんと子どもに逃げられたり、奥さんに指一本触れることができなかったり、手料理が一切なかったりしました。
以下のAIの記述はまさにその通りだと思います。
自分自身の不完全さを直視するのが怖くてたまらない。
その恐怖から逃れるため、他人の欠点ばかりが目に付くようになる。
他人を責めることで、自分の問題から目を背けている。
自分を許せないから、他人も許せない
この大見出しが正しいならば、私は自分も他人も99.9%許してることになります。
私にも許せない人はいます。その人たちは法律には抵触しない悪人でした。そして、私から見ると、連中は悪魔でした。
それ以外の人たちは、私にはどうでもいい存在でした。
下のAIの記述に関しては何とも言えません。なぜなら、そこまで連中の内面を把握することは不可能だからです。推測としては正解なのかもしれません。
自分の失敗や弱さを絶対に許さない。
自分がこれだけ苦しんで完璧を目指しているのだから、他人が妥協することも許せない。
「自分を愛せない度合い」が、そのまま「他人を許せない度合い」になっている。
条件付きの愛しか知らない
これが事実ならば、不幸ですね。
本来、本物の愛は、無条件で注がられるものです。母親が赤ちゃんを育てる際に、自分の子どもからの見返りを求める人はいないはずです。
しかし、幼少の頃から、条件付きの愛しかもらえなかったとしたら、今日の記事タイトルのような人間が出てきても不思議ではないです。
「ありのままの自分」には価値がないと思い込んでいる(自己嫌悪の根源)。
完璧でなければ見捨てられるという恐怖が強い。
そのため、身内や他人に対しても「完璧でなければ価値がない」という過酷なルールを適用してしまう。
「ありのままの自分」には価値がないと思い込んでいる(自己嫌悪の根源)
日本人の約半分は、自己肯定感が低いそうです。もしかしたら、そのような人たちこそが、「ありのままの自分」には価値がないと思い込んでいるのかもしれません。
でも、人は生まれてきただけで奇跡です。そして、その奇跡の存在に、全く価値がないということはありえないです。
このように思い込んでいる人たちこそ、大量の読書をしてそのことに気がつく必要があります。でも、該当者に限ってほとんど読書をしない現実があります。
完璧でなければ見捨てられるという恐怖が強い
これはそのように子育てをした両親が悪いです。そして、その両親(祖父母)も。
多少同情する部分はありますが、その恐怖を断ち切るためには、両親の洗脳を自分で解くか、専門家に任せるしかないでしょう。
そのため、身内や他人に対しても「完璧でなければ価値がない」という過酷なルールを適用してしまう
自分の周りにこのような過酷なルールを矯正する人がいたら、早めに距離を置くことが望ましいです。会社の上司がまさにこのタイプならば、転職先を見つけてから転職することが望ましいです。
最後に 60点?いや、40点でも十分でしょ?
私は過去に「noteは40点主義の方針で書くと続けられるみたいだよ。20点でもいいかもしれない(笑)」という記事を書いています。
私の場合、noteで記事を書く際に下書きは一切なく、そのまま思いつくがままに書き続け、最後に誤字・脱字や論理性の矛盾などをチェックして、あとはそのまま投稿しています。
そのため、記事の出来は、40点以上であればいいだろう、と思っています。日記などで自由気ままに書いている人たちは、さらに20点でも問題ないでしょう。
これは、人生全般、特に、仕事以外の私生活にも当てはめて考えてもいいのではないでしょうか?つまり、仕事以外ならば理想の40点で合格として生きるのです。
私はこんな気楽な生き方をしているので、変な気苦労はないです。


<今日の日記>キオクシア半値
昨夜はキオクシア関連のユーチューブ動画を数点視聴しました。
その中で驚いたことは、高値の11万円前後で購入したり高値圏で親戚や友人たちに株購入を勧めたりしていた人が多かったことです。
昨年の夏頃には2,500円もしなかった株が、たった1年未満で40倍の10万円を超えた時点で、「そろそろ高値だろう」と0.1秒も疑わなかった人は、おつむが相当弱いです。
そういう思考ができない人は、投資はやめた方がいいです。
なお、上昇チャートの傾きが75度前後になったら、暴落の危険視号が出ていると言えます。キオクシアのチャートもまさにそうなっています。
昨日の記事
昨日の話はあくまでも平均値です。例外もいますよ、たくさん(笑)。
ハズレ記事の意外な反響
下の記事は、反響が最悪でした。しかし、記事投稿三日目以降も意外と伸びました。最近の読者は超多忙なのでしょう。動きが昔より遅れます。
完璧な自分を喜ぶパンダのイラスト。左側に「他人ではなく自分に期待しように期待しよう!」と書いてください。
完璧な自分である必要はないです。ですが、AIがどんなイラストを書いてくるか楽しみだったので、敢えてこのタイトルで依頼してみました。そうしたところ、予想よりも明るいイメージのイラストが出来上がりました。

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
読者の皆さんのご多幸とご健勝をお祈り申し上げます。
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