朝の当たり前のルール #77
教育関係者なら必ず分かっている「朝の当たり前のルール」があります。
言い換えれば、教育関係者なら「同じ轍を踏まないを肝に銘じて知っているルール」でもあります。37年間、教職員をしてきた私にとっては、今でもそれは「当たり前のルール」であり、「子どもを守るルール」でもあると私は思っています。「朝の当たり前のルール」と私は書きましたが、「先生と子ども」との関係の中では、「子どもを生かすためのルール」でもあります。
①朝の挨拶のルール(先生が教壇に立つと)……TV番組の「教場」みたいに緊張感はありません。逆に子どもからすると、今日の先生は何を話すのかなあとニコニコして待つ?位の始まりです。)
当番さん :「朝の挨拶をします。気をつけ。」
担任の先生:(まず、端から端まで子ども達を見渡した後、当番さんの方を向いて軽く頷く)
先生 :「おはようございます。」
学級の全員:「おはようございます。」
※ 当たり前のルールですが、先生と一緒に挨拶をする。担任の自分にとっては、学級のみんなで気持ちを整えて(少し落ち着いて)はっきりした声で「おはようございます。」を言う。この挨拶は、子どもには一日の始まりの挨拶なので、先生からと子どもの方からの両方からよくなかったらやり直すルールでもあることを最初に話し、子どもにも十分理解をさせておくことが大切です。
この「朝の挨拶のルール」のタイミングがずれたり壊れたりすると、学級の状態は厳しくなるかもしれません。
②朝の健康観察のルール
この時は、子どもの名前を呼ぶ時には必ず「子どもの顔を見て」その子の出席の確認をする。当たり前のことですがそれはどうしてでしょうか?
先生:「〇〇君」(先生は、健康観察簿の名前を指で押さえながら、その子 の名前を呼ぶ。)
児童:「はい、元気です。」(先生は、その子の顔をまず見、笑顔があるか、機嫌の悪さが無いかなど顔の表情を見ながら)
先生:「〇〇君、昨日はお腹痛かったけど、今日はもうよくなりましたか?」
児童:「はい。大丈夫です」
先生:「それはよかった。」
※ 当たり前のことですが、担任にとっては一日の始まりで一番大事な声かけだと思っています。このタイミングで全員には無理ですが、私は、昨日調子が悪かった子、最近気になっている子、そして帰る時まで一人につき最低一回は声をかけるようにしていました。絶対とは言い切れませんが(笑)でも「朝の健康観察でのルール」すなわち子どもへの声かけは「学級の宝」となることは確かです。
③欠席している児童や調子の悪い児童の確認のルール
朝の健康観察で一番大事なのは、「欠席している子ども」や「調子の悪い子ども」の確認です。
「欠席した子ども」については、この後、係の子(私の場合は当番の子。他のクラスでは健康観察の係の子がいる場合もありますが)が保健室に持って行って、学校の集計等を出してもらいます。もう少し詳しく書くと、
<欠席児童の確認>
㋐ 健康観察簿を保健室に持っていく。8:40(朝の会の開始8:30)
㋑ 養護教諭(保健の先生)が全校の集計をする。
㋒ 養護教諭はその集計と状況(欠席児童数と遅刻児童数、及び欠席の傾向(インフルエンザ等の影響等を踏まえてその日の集計と状況)を職員室の教頭に伝える。8:45
㋓ 教頭は、教務主任と一緒に連絡のない欠席児童の保護者に確認のため電話をする。
㋔ 教頭は、確認がとれ次第、学級の担任にインターホン等で状況を伝える。8:45~9:00
<調子の悪い児童への対応>
㋐ 健康観察の際に直接状況の確認をする。
㋑ 中休みや授業中に確認し、場合に応じて保健室で看てもらう。
㋒ 帰りの会の際に、「帰りの健康観察」として、気になった子への声かけや家庭への連絡の約束をする。
※ 当たり前のことですが、「調子の悪い児童への対応」については現在は「帰りの健康観察」を通してこの15年ぐらいかなり改善が進んでいるかなあと思います。
しかし「欠席児童の確認」については私は当たり前ですが、必ずやっているものと思っています。この徹底する理由には、実は次の事件の教訓があったからでした。
【29年前に福岡県K市で起こった福岡小2女児殺害事件】
1997年8月6日、当時の福岡県の小学校では夏休み中に登校日として、1,2回子どもが出校する日を設けていました。小学校2年だったその女の子は、学校まであと100mのところで、犯人のアパートに連れ込まれ、風呂に沈められて殺害され、隣町の山中に遺棄されたという痛ましい事件でした。
この時は大きな事件として、全国放送のTVや新聞で繰り返し報道が流さ
れていました。その少女の殺害自体は決して許されることではありませんでしたが、その学校側の大きな過ちとして問われたのは、「学校が欠席が分かっていながら保護者にすぐに出欠の確認をしなかった怠慢」でした。
朝の確認をもってすぐに連絡をしてもらえれば……という無念は30年近く経つ今でも親御さんにとっては悔しいことですが、当時の学校関係者にとっては歯痒くて堪らないことでした。
だから私達教育関係者にとっても、この女児の冥福を祈る気持ちで、欠席の確認は「当たり前のルール」として今も現場では生きています。
この話は、現在起こっている京都府南旦市小5不明事件とよく似ています。父親が学校まで車で送った、朝の出席確認(健康観察?)で確認できたが忙しくて12時前になって3時間遅れで保護者に連絡した。内容は違っても、学校の対応の誤りは明らかです。欠席の確認が出来、保護者に連絡出来れば、お子さんを30分で探すことが出来た事案です。
私は、この当たり前のルールとして①、②、③を書きましたが、特に③については、また「同じ轍を踏む」ことが出来なかったことに強い憤りを感じます。
私自身、20年ほど前、校長時代に県の校長会の代表で東京で会議に出かけたことがありました。その際に、このK市で起こった「欠席の確認不連の事案が話題になった時がありました。その会議の席で一緒になった関東、関西地区等全国の各地区のメンバーである校長先生方が全てがその事件を知っておられ、かつ学校の大切なルールとして定着しているとの話でした。全国の教育関係者にとっては欠席の確認をすぐすることは当たり前のことになっていました。
私は今72歳です。30年前の時は教務主任をしていました。この30年間で教師をしている方(30歳から60歳までの人)は、この福岡の小2女児殺害の事件から教訓を学んだはずだったのです。(現在、教務主任、教頭、校長職の方には周知の事実です。)だから余計に残念な気持ちでいっぱいです。
今回の事件の南旦市の小学校の所轄である京都府教育委員会、及び京都府校長会は、この「当たり前のルール」を学んでいなかったのかと思うと残念でたまりません。
指導をする際には必ず根拠となった事案が存在します。もう一度その根拠を思い出し「二度と同じ轍を踏まない」としてもらいたいと思います。
あの時不幸にも亡くなったMちゃんに、私は申し訳ない気持ちで一杯です。あの時の本人と親御さんの無念さが生かされなかった今回の事実に私は落胆しました。尊い命の犠牲を無駄にして欲しくなかったと…。
(令和8年4月10日(金))
